在野活動とは? わかりやすく解説

在野活動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:59 UTC 版)

大隈重信」の記事における「在野活動」の解説

憲政本党総理辞して後の大隈は、早稲田大学総長への就任大日本文明協会会長としてヨーロッパ文献日本語翻訳事業南極探検後援会長への就任など、精力的に文化事業展開した明治41年1908年米国バプテスト教会宣教師であったH・B・ベニンホフ博士依頼しキリスト教主義学生寮友愛学舎」(現在の早稲田奉仕園)を開く。 明治41年1908年11月22日戸塚球場開催された米大リーグ選抜チーム:リーチ・オール・アメリカンチーム 対 早稲田大学野球部国際親善試合における大隈重信始球式日本野球史上、記録残っている最古始球式とされている。大隈重信投球ストライクゾーンから大きく逸れてしまったが、早稲田大学創設者にして総長あり、か内閣総理大臣務めた大政治家である大隈投球ボールにしては失礼になってしまうと考え早稲田大学の1番打者当時主将だった山脇正治がわざと空振りをしてストライクにした。これ以降、1番打者投手役に敬意を表すために、始球式投球ボール球でも絶好球でも空振りをすることが慣例となったこの頃大隈自身が製作に関わった、明治45年1912年6月公開記録映画日本南極探検』には、探検隊自邸招いた際に撮影されと見られるカメラ向かって帽子取って挨拶する大隈の姿が映像として記録されている。 また新聞等で政治評論を行うことも継続した明治43年1910年2月には憲政本党議員招待され事実上の党復帰果たしたこの年以降大隈大規模な遊説旅行行い政治活動再開への動き見せていた。明治45年1912年)、橋本徹馬加藤勘十結成した立憲青年党の発会式に大隈は、松村介石山田三七郎と共に招かれる

※この「在野活動」の解説は、「大隈重信」の解説の一部です。
「在野活動」を含む「大隈重信」の記事については、「大隈重信」の概要を参照ください。

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