反奴隷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/06 18:47 UTC 版)
「ルーファス・キング (連邦党員)」の記事における「反奴隷」の解説
キングは奴隷制度と奴隷貿易について、長期にわたって反対を続けた。このスタンスは道徳的信条に端を発するものであったが、連邦主義を掲げたニューイングランドの政治的情勢と結び付くことで明確な反対運動へと発展した。1785年、キングは北西部領土に奴隷制を持ち込むことに反対した。だがキングはことさら熱心にこの問題を取り上げることはなく、南部の政治的経済的利点を考慮し、政治的理由で妥協した。 1817年、キングは奴隷貿易の廃止を求める上院決議を支持した。1819年、キングはミズーリ準州の連邦加入に際して奴隷禁止を求める法律を組み込むことを強く求めた。キングは政治的・経済的・人道的な議論を展開し、奴隷制度の拡張は解放と自由の原則に悪影響を及ぼすと主張した。1820年にミズーリ協定が結ばれた後も、キングは様々な方法で奴隷制の段階的廃止へ向けた支援を続けた。 キングが議会において行った最も大きな干渉は、1820年のタルミッジ修正条項に関わる議論に他ならない。キングはミズーリ準州が州に昇格した際に奴隷制度を禁止するよう努力した。キングは奴隷制の撤廃が革命的なものであるとの印象を薄らげさせる活動をし、「任意の人間に対して任意の制約を課す法律ないし協定は、絶対的に無効である」と宣言した。結果的にミズーリ州は奴隷州として連邦加入をするに至ったが、キングは全大西洋的な奴隷廃止運動の発展に貢献した。この出来事について後の歴史学者デイヴィッド・ブライオン・デイヴィスは、政治指導者が急進的な態度で公然と奴隷制度の法的正当性を攻撃した事例であるかもしれないと示唆した。
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