ナンキン‐こくみんせいふ【南京国民政府】
南京国民政府
南京国民政府 (汪兆銘政権)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:05 UTC 版)
「日中戦争」の記事における「南京国民政府 (汪兆銘政権)」の解説
日本との徹底抗戦を主張する蔣介石に対して、当時の日本の首相近衛文麿は「帝国政府は爾後国民政府を対手とせず」「新興支那政権の成立発展を期待する」との近衛声明を出し、自ら和平の道を閉ざした。その後、蔣介石に代わる新たな交渉相手として国民党No.2である汪兆銘による中国国民党政権を樹立させた。汪は蔣介石の督戦隊戦法やゲリラ戦術、清野戦術などの中国民衆を巻き込んだ戦法に強い反発と孫文による「日中戦うべからず」の遺訓から「一面抵抗、一面交渉」の基本姿勢のもと、反共・和平解決を掲げ、1938年に蔣介石の中華民国政府から離反した。汪は日本の力を背景として北平の中華民国臨時政府や南京の中華民国維新政府などを集結して、1940年に蔣介石とは別個の国民政府を設立したが、蔣介石の国民政府から汪兆銘に追随するものがいなかった上、北支・中支などの一部の軍閥を除き、中国各地を支配していた多くの諸軍閥に支持されず、国際的な承認も得られなかった。主に共産党軍を相手に戦った。
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