北陸振興策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 13:34 UTC 版)
短命に終わった3政権の間に行われた北陸地区の振興策では次のようなものに協力的であった(整備新幹線、航空関係等は別記)。森は2008年11月より水深12mで暫定供用(最終的には水深13mを予定)された金沢港多目的国際ターミナル(着工は2006年7月)の供用式典に出席し「金沢はシベリア鉄道を利用した日欧の物流ラインの起点となる」と述べた。一番船は当時海外輸出にウェイトを置いていたコマツの建設機械を載せている。そのコマツは2007年1月、岸壁のある大浜地区の隣接地に金沢工場を着工したが、森はその際にも起工式に出席している。コマツは工場新設を検討していた際、輸出に適した港湾地域に候補を絞り「一カ所なら茨城県ひたちなか市」に傾いていたと言う。会長の坂根が後年明かしたところによればに2005年の夏に森と会談した際「金沢港は水深10メートルしかなく大型は輸出できない。このままではコマツはますます石川県から逃げていきますよ」と直言したと言う。そのため、金沢工場の建設は金沢港の大水深化を視野に入れたものであったことを垣根のコメントを掲載した新聞記事は伝えている。 森は港湾や後述する空港ばかりだけではなく北陸地区から内陸部への物流ルートの充実にも関心を示し、2006年3月には地域高規格道路として計画された小松白川連絡道路の地元陳情に同行し、「来年の東海北陸全線開通を見据え、加賀温泉郷への誘客や物流の促進を図るためにも小松白川連絡道路の早期整備が不可欠だ」と述べている。
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