ほうじょう‐たみお〔ホウデウたみを〕【北条民雄】
北条民雄
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北条 民雄(ほうじょう たみお、旧字体:北條 民雄[1]、1914年[2](大正3年)9月22日 - 1937年[3](昭和12年)12月5日[4])は、徳島県出身の小説家。ハンセン病となり隔離生活を余儀なくされながら、自身の体験に基づく作品「いのちの初夜」などを遺した。本名:七條 晃司(しちじょう てるじ)。
- ^ a b c d e “ハンセン病作家の本名を公表 遺族「存在取り戻すよう」”. 朝日新聞社 (2014年8月9日). 2014年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月9日閲覧。
- ^ a b “2人の心理学者の関係に迫る「後悔の経済学 世界を変えた苦い友情」など稲泉連が薦める新刊文庫3冊|好書好日”. 朝日新聞社. 2022年4月2日閲覧。
- ^ a b c “いのち込めた北條民雄作品、後世へ 遺族も誇り”. 朝日新聞社. 2021年12月30日閲覧。
- ^ a b c 岩浅嘉仁. “平成26年5月 北条民雄 生誕100年”. 阿南市. 2019年6月14日閲覧。[リンク切れ]
- ^ a b c d e f g h i 北條 1988, pp. 255–257.
- ^ a b “ハンセン病作家、北條民雄の本名を公表 地元・徳島の冊子、生誕100年「業績を後世に」”. 産経WEST (2014年9月13日). 2015年9月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月4日閲覧。
- ^ “「いのちの初夜」半世紀ぶり復刊へ 徳島出身・北條民雄”. 朝日新聞社. 2021年12月30日閲覧。
- ^ “広報編集長の小窓 8月(2)”. 阿南市. 2021年12月30日閲覧。
- ^ “広報編集長の小窓 3月(1) | 阿南市出身のハンセン病作家の功績を顕彰 北條民雄の「文学特別展」が始まる (3月1日)”. 阿南市. 2021年12月30日閲覧。
- ^ “広報編集室の小窓 12月”. 阿南市. 2021年12月30日閲覧。
北条民雄
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「ハンセン病に関連した人物」の記事における「北条民雄」の解説
北条民雄(1914-1937年)は、働く傍ら各種学校に通い、苦労した。ハンセン病患者。文学者。同人誌なども手がけた。昭和9年21歳で全生病院に入院。絶望、不安、孤独の中で文学の世界で活路を見出す。川端康成に手紙を送り真価を認められた。「間木老人」、「いのちの初夜」、「らい院受胎」など小説、随筆を発表、文壇に確固たる地位を占めた。「いのちの初夜」は第2回文学界賞をうけた。24歳で腸結核で永眠。
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