北条朝時
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北条 朝時(ほうじょう ともとき)は、鎌倉時代前期の武将。鎌倉幕府第2代執権・北条義時の次男。名越流北条氏の祖。母は正室の姫の前。祖父・北条時政の屋敷であった名越邸を継承したことにより、名越 朝時(なごえ ともとき)とも呼ばれる。
注釈
- ^ 同じ日、蒲原(親不知)では幕府軍と朝廷軍の最初の戦いが繰り広げられている。しかし、北条義時が現地指揮官(市河六郎刑部)に宛てた6月6日付け御教書[3]にはこの戦いについて「しきふのせうをあひまたす、さきさまにさやうにたゝかひして、かたきおひおとしたるよし申されたる、返々しむへうに候」とあり、朝時(式部丞)の到着を待たずに行われたことを伝えている。『承久記』などによれば、朝時はちょうどこの日、越後国の国府に到着したものと思われる。
- ^ 砺波山の戦いを6月9日とするのは、『吾妻鏡』等で8日に越中の般若野に着いたとされる朝時軍が翌明け方に砺波山に攻め入った(「しきぶのせい未だあけがたの事なるに、うんがのせいをもてをしよせ時をどつとつくりければ」云々)とする『承久軍物語』や夜通しかけて山を越えた(「よをこめて、いがらしとうをさきとして、山をこえけれハ」云々)とする『承久兵乱記』の記載を根拠とする。
- ^ 朝時の外祖父・比企朝宗は、かつて北陸道勧農使(守護の前身)として北陸地域を管轄していた。
出典
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