六孫王(ロクソンワウ)
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源経基
(六孫王 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/21 10:19 UTC 版)
源 経基(みなもと の つねもと、源 經基)は、平安時代中期の皇族・武将。経基流清和源氏の初代。
注釈
- ^ 当時の「検注」とは、国司がその任地の有力者から受け取る莫大な貢物・賄賂が目当である事が多く、経基らも正任の国司が赴任する前に自らの赴任直後に行っている事を見ても、それが目的であったと思われる。
- ^ 「箸ノ如キノ主ハ、眼ヲ合ハセテ、骨ヲ破リ膏ヲ出スノ計ヲ成ス。」と興世王と源経基それぞれを一対の「箸」に例えてその横暴振りを表現している[2]。
- ^ 「介経基ハ未ダ兵ノ道ニ練レズ。驚キ愕イデ分散ス」[2] という記述があり、後に武門の棟梁となる清和源氏の初代の経基は軍事の経験が浅くまだ武士とは言えない体たらくだった。
- ^ 天慶3年正月9日に叙せられており[3]、将門追討後に平貞盛・藤原秀郷らと共に行賞されたのではない。
出典
- ^ 『尊卑分脈』
- ^ a b 『将門記』
- ^ 『貞信公記』『日本紀略』
- ^ シンポジウム「日本歴史」5『中世社会の形成』
- ^ 『勅撰作者部類』
- ^ 『将門記』
- ^ 『日本紀略』
- ^ 『園太歴』延文5年正月1日条
- ^ 『将門記』では3月1日とする。
- ^ 『扶桑略記』
- ^ 『帝王編年記』
- ^ 『貞信公記抄』
- ^ 上村悦子 (1972), 蜻蛉日記の研究, 明治書院, pp. 287-289
- ^ 「世ノ所謂淸和源氏ハ陽成源氏ニ非サル考-源朝臣經基の出自をめぐつて-」(『聖学院大学総合研究所紀要』第二五号、 2003年1月発行)
- ^ a b c 経基射鹿事『通俗日本全史. 第2巻』 早稲田大学編輯部編、早稲田大学出版部、明45-大2
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