児玉清との関係
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福岡での活動中から児玉清のモノマネを披露していた。2005年11月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』内のコーナー「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権6」に出場し、児玉清のモノマネで優勝した。12月29日に放送された「全国大会」でも児玉清のモノマネで再度優勝し、賞金100万円を手にした。2006年はR-1ぐらんぷりに出場し児玉清のモノマネ(あいうえお作文「あ行」から「た行」)で優勝、トロフィーと賞金500万円を獲得した。自身のブレイクのきっかけをつかむネタでもあったため、「もし、(児玉のモノマネが)なければここにはいません」と断言している。 児玉本人は、自身のモノマネに対し「僕は似てないと思うんだけど、家内が似てると言うんだよ」と述べていた。 2006年9月3日放送の「アタック25芸能人大会」で、児玉本人と初共演した。 児玉のモノマネとして、2007年8月25日に等々力陸上競技場で行われたJリーグ・川崎フロンターレ対ガンバ大阪戦で川崎が行った集客PRキャンペーン「アタック!25日」に登場した。福岡市にもJリーグクラブ・アビスパ福岡があり、その応援もしている華丸は川崎からの依頼にためらったものの、この年は福岡がJ2リーグにおり、川崎とは直接対戦しないので出演を決めたと自らのブログで説明した。 児玉に対しての敬意として、「アタックチャンス」の宣言の際、児玉は右手を用いているが、華丸は左手を用いている。2011年5月16日、児玉が胃癌で死去した際に、自身が偽物であることに由来し、また児玉本人への敬意の表れでもあると言った。先述の「アタック25」に出演した際のみ、児玉自身の提案により児玉・華丸ともに右手での宣言が実現した。5月21日に営まれた児玉の葬儀には大吉と共に参列した。 児玉の死去後の取材で、華丸は児玉に「僕のモノマネで食っていけるの?」「そろそろいいんじゃない」と言われたことを明かしており、「新しいことにチャレンジしなさいと言われていたのかも」と解釈しつつ「もちろん、そういう(モノマネする)機会があればさせていただきます」と述べ、現在も児玉のモノマネを続けている。
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