作品概要・主題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 15:34 UTC 版)
『憂国』は簡素な構成と、〈大きな鉢に満々と湛(たた)へられた乳のやうで〉といった、肌の白さ(妻の肌の美しさ)を表す官能的な描写や、克明に描かれる切腹の迫真さで、短編ながら注目された作品で、三島自身も、〈小品ながら、私のすべてがこめられている〉とし、「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところすべてを凝縮したエキスのやうな小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編をよんでもらえばよい」と晩年にも繰り返している。 『憂国』は、死とエロティシズムを直結させるジョルジュ・バタイユの『エロティシズム』に通じる作品構造となっている。そこに描かれる〈愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一の至福〉と三島は語り、その映画化のねらいについては、以下のように説明している。 日本人のエロースが死といかにして結びつくか、しかも一定の追ひ詰められた政治的状況において、正義に、あるひはその政治的状況に殉じるために、エロースがいかに最高度の形をとるか、そこに主眼があつたのである。 — 三島由紀夫「製作意図及び経過」(『憂國 映画版』) 登場人物の青年将校や、その妻については、〈彼はただ軍人、ただ大義に殉ずるもの、ただモラルのために献身するもの、ただ純粋無垢な軍人精神の権化でなければならなかつた〉、〈彼女こそ、まさに昭和十年代の平凡な陸軍中尉が自分の妻こそは世界一の美人だと思ふやうな、素朴であり、女らしく、しかも情熱をうちに秘めた女性でなければならなかつた〉としている。 また、三島は『憂国』を、『詩を書く少年』、『海と夕焼』と共に〈私にとつてもつとも切実な問題を秘めたもの〉としているが、そういった主題の問題性などに斟酌せずに、物語として楽しんでもらえればよいとして、〈現に或る銀座のバアのマダムは、『憂国』を全く春本として読み、一晩眠れなかったと告白した〉という話を紹介している。
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