伴正順
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伴 正順(ばん まさより[1]、1843年(天保14年) - 1908年(明治41年)6月14日)は、明治時代前半期の文部官僚、裁判官。旧土佐藩士。通称は権太夫[1](明治初年までは修吉もしくは周吉[2])。
- ^ a b c 『高知県人名事典 新版』。
- ^ 渋谷、287頁。
- ^ a b 川田、202頁。
- ^ 「神戸外国人に対する錦旗事件」(『史談会速記録』第184輯、史談会、1908年6月)。渋谷、101-102頁。
- ^ 雑賀博愛著 『大江天也伝記』 大江太、1926年1月、111頁。高知新聞社編 『土佐百年史話 : 民権運動への道』 浪速社、1968年3月、111頁。
- ^ 川田、95頁。
- ^ 川田、105-107頁、110-111頁、116-117頁、133頁。
- ^ 川田、119-122頁、124-135頁。
- ^ 川田、138頁、141頁。
- ^ 三村昌司 「公議人の変遷について」(『東京未来大学研究紀要』第7号、2014年3月、NAID 130007531232)174頁。
- ^ 「十三大藩海外視察団の性格 : 体制再変革への始動」(犬塚孝明著 『明治維新対外関係史研究』 吉川弘文館、1987年7月、ISBN 4642035990)247-254頁。
- ^ 前掲 「十三大藩海外視察団の性格」 262頁、266-269頁。
- ^ 川田、214頁。
- ^ a b c 「官吏進退・明治二十一年官吏進退二十三」。
- ^ 『東京帝国大学五十年史 上冊』 東京帝国大学、1932年11月、347-348頁。東京大学百年史編集委員会編 『東京大学百年史 通史一』 東京大学、1984年3月、ISBN 4130010514、270-271、289、301頁。
- ^ 野中正孝編著 『東京外国語学校史』 不二出版、2008年11月、ISBN 9784835057675、15-17頁。
- ^ 「督学局年報」(『文部省第二年報附録』)。
- ^ 「宮城英語学校年報」(『文部省第二年報附録』)。『東巡録』 巻之六、21頁。宇野量介著 『明治初年の宮城教育』 宝文堂、1973年2月、137-140頁。
- ^ 「明治十四年 文部省処務概旨」(『文部省第九年報附録』)。金井之恭ほか共纂 『明治史料 顕要職務補任録 下巻』 成章堂、1903年5月増補再版、314頁。『官報』第482号、1885年2月12日、7頁。
- ^ 『明治過去帳』。
- ^ 前掲 「神戸外国人に対する錦旗事件」1-4頁、「史談会々務報告」(前掲 『史談会速記録』第184輯)2-3頁。
- ^ 『官報』第719号「賞勲叙任」1885年11月21日。
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