仏教と道教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 02:32 UTC 版)
仏教が中国に伝来した際、中国に固有に存在した道家思想・神仙思想を媒介として中国の社会・文化の中に入っていった。老子がインドに入って仏となり作ったのが仏教とする「老子化胡説」や、老子・孔子・顔淵は仏が中国の人々を教化するために派遣した仏弟子であるとする「三聖派遣説」などが唱えられ、道教・仏教は互いの優位性を争うこととなった。 元徽年間、道士の顧歓が「夷夏論」を著すと、「夷夏論争」と呼ばれる仏教と道教の論争が始まった。顧歓は、仏教と道教はその根源的な真理は一致しており、どちらも人々の本性を完成させるという目的は同じであるが、そのための教化方法が異なり、中国においては中国の風俗に合った道教がふさわしいと述べた。 仏教の要素は道教にも取り入れられるようになったが、特に霊宝経の仏教需要は顕著であり、仏教の宇宙論・大乗思想・因果応報思想・戒律などが霊宝経の中に取り入れられている。
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