上院議員として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 00:06 UTC 版)
「ハワード・H・ベーカー・ジュニア」の記事における「上院議員として」の解説
1964年の上院議員選挙に共和党から立候補するが、落選する。当時テネシー州は民主党の強固な地盤であった。1966年に再び上院議員選に挑戦し、今度は当選する。ベーカーは南北戦争後の再建期以降、初めてテネシー州から選出された共和党の上院議員であった。また、南部(テキサス州を除く)から初めて再建期以降に選挙で選出された共和党の上院議員でもあった。(当時唯一南部出身の共和党所属の上院議員であったストロム・サーモンドは、1964年に民主党から共和党に鞍替えした。) 1973年にウォーターゲート事件が発覚した際には、設置された上院ウォーターゲート特別委員会の副委員長に就任し、公正中立に真実を明らかにする立場から、共和党内からいち早くニクソン大統領を追及する姿勢を見せた。このことは党派に囚われない公正な政治家としてのベーカーの名声を高めた。1977年に共和党上院院内総務であったヒュー・スコット上院議員が引退したのを機に、院内総務に就任。パナマ運河返還問題では、党内に根強い返還反対の声を押し切り、返還賛成でまとめ上げ、パナマ運河返還条約(新パナマ運河条約)締結を実現するなど、強い指導力を見せた。1980年の共和党大統領予備選に立候補するが、ロナルド・レーガン元カリフォルニア州知事に敗れる。この年の選挙で共和党が勝利し、多数党となると、ベーカーは名実共に上院の最高指導者となった。1984年の改選の際には立候補せず、上院を去った。上院では強いリーダーシップを発揮し、歴代院内総務の中でも傑出した人物の一人と看做されている。またベーカーは、民主党が圧倒的な強さを誇った地元テネシー州における共和党組織の構築に大きな功績を果たし、同州での共和党の勢力を民主党に伍すものにした。
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