三兵戦術
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三兵戦術(さんぺいせんじゅつ 独: Taktik der drei Waffen)は、おおむね16世紀末から19世紀の陸上戦闘において兵科を歩兵・騎兵・砲兵に3区分して運用した戦術のこと。のちの諸兵科連合に通じるものである。
- ^ 古代のファランクス隊形を参考としている[要出典]
- ^ テルシオを陣形とする誤解はしばしば見られるが、実際にはテルシオとは編制名(部隊名)である。特にテルシオが戦場でとる隊列に注目する場合はテルシオ陣形・テルシオ戦術などと書かれる。陣形に着目して「スペイン方陣 Spanish square」と呼ばれることもあった。
- ^ 定員550名。古代ローマ軍団のコホルスを参考にした。George Gush. “Renaissance Warfare - Part 19 - the Dutch army” (英語). 2021年4月23日閲覧。
- ^ ただしこの時代の一般的な竜騎兵はマスケット銃を持ち乗馬移動する歩兵として運用されていた。
- ^ 『戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編』 学習研究社83p
- ^ 「グスタフ・アドルフはまた、砲兵を攻撃の道具に変えた。彼は戦闘の決勝点に最大火力の集中を望んだ。新しい連隊砲はその機動性でもって、グスタフのこの狙いに答えた。それまで、砲兵は戦闘前に据え付けられ、ずっとその場所に留まり、動かせなかった。軽量の連隊砲は思うままに動かせた」Henrik O. Lunde (2014) (英語). A Warrior Dynasty: The Rise and Decline of Sweden as a Military Superpower. Casemate. p. 71. ISBN 9781612002439 2021年4月26日閲覧。
- ^ これはフランスがスウェーデンの三十年戦争参戦に対して行ったベールヴァルデ条約における多額の資金援助による所が大きい[要出典]
- ^ Heinrich von Brandt原著 JJ VAN MULKEN訳 (1837) (オランダ語). Taktiek der drie wapens, infanterie, kavalerie en artillerie.(三兵器の戦術。歩兵、騎兵、砲兵). BROESE & COMP. 2021年4月23日閲覧。
- ^ “名著・貴重書/江戸幕府旧蔵の和漢書/1和書”. 静岡県立葵文庫. 2021年4月23日閲覧。 “「答古知幾」とは、オランダ語の戦術を意味するTaktiekの音訳である”
- 1 三兵戦術とは
- 2 三兵戦術の概要
三兵戦術
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 08:47 UTC 版)
詳細は「三兵戦術」を参照 17世紀初期、スウェーデン国王グスタフ・アドルフは銃兵や砲兵の軍事的な将来性に注目し、テルシオを大幅に改良して三兵戦術を確立した。 発射速度を向上させて銃剣を装着した小銃を装備した歩兵を六列以下の横隊を間隔を横にとって戦闘正面に対して広く配置した。騎兵部隊と砲兵部隊はこの歩兵部隊の間隔に配され、また全体としては部隊の両翼に騎兵の主力を置いた。こうして歩兵、騎兵、砲兵が共同作戦行動を行えるような戦闘教義を開発した。これは近代横隊戦術の原型であり、現代の戦闘教義にも影響を与えている。 この三兵戦術はナポレオン・ボナパルトによってより高度に高められた。
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