ロンメルの計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 15:08 UTC 版)
ロンメルのヴェネツィア作戦(en)は、枢軸国軍の装甲部隊を攻撃主力とし、ガザラから伸びる陣地線の側面を回って南端のボックス陣地ビル・ハケイムを南から迂回させ、イギリス軍を背後から攻撃しトブルク奪取を目指すというものであった。その布陣の最左翼イタリア第132アリエテ機甲師団 (en) はビル・ハケイムのボックス陣地を攻撃し、その間中央を進むドイツ第15、第21装甲師団がイギリス第8軍のガザラ陣地線の背後を北上してイギリス機甲師団を攻撃し、ガザラ・ラインのイギリス第13軍団を分断孤立させる計画だった。また、最右翼のドイツ第90軽アフリカ師団戦闘団 (en) は、ガザラからの物資供給の拠点となっているトブルク南方のエル・アデム (El Adem) を攻撃し、砂塵生成機(トラックに航空エンジンとプロペラをとりつけたもの)によりトブルク攻撃の強力な装甲部隊の援軍にみせかけイギリス軍を引き付けることとした。 その間、イタリア第20自動車化軍団の他の半分のうち、イタリア第101自動車化歩兵師団トリエステは、シディ・ムフタ陣地近くビル・ハケイム陣地北方の地雷原を切り開き、装甲部隊への補給ルートを開くことを目的とした。ロンメルは夕刻にはイギリス装甲部隊に対処し、エル・アデム、エル・デュダ及びシディ・レゼーグ、さらにはビル・ハケイム北東25 mi (40 km)のナイツブリッジも占領できると予想していた。さらにその翌日には装甲部隊を西に向け、ガザラからアレム・ハムザ (Alem Hamza) 間のイギリス第8軍の防御陣地を攻撃し、西から攻撃して来るイタリア第10及び第21軍団と合流する計画だった。
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