ヤマハ復帰 (2013-2021)
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「バレンティーノ・ロッシ」の記事における「ヤマハ復帰 (2013-2021)」の解説
2013 2012年8月10日、ロッシは2012年シーズンをもってドゥカティを離れることを発表した。同日午後には翌シーズンから2014年シーズンまでヤマハファクトリー・チームに再び加入し、ホルヘ・ロレンソとペアを組むことが発表された。 2012年11月13日、14日にバレンシア・サーキットで行われたテストで、ロッシは再びYZR-M1に乗る。しかしながら、雨のために正確なラップタイムを計ることはできなかった。2013年2月5日から7日にかけてセパンで行われたテストでは、2013年型のマシンが用意された。ここで彼は28名のライダー中3位の2:00.542を記録し、これはペースセッターのダニ・ペドロサから0.442秒、チームメイトのホルヘ・ロレンソから0.113秒差のタイムであった。 開幕戦カタールGPでは2位に入るが、続くアメリカズGPでは6位、スペインGPでは4位となった。第4戦フランスGPではクラッシュしたがコースに復帰し、12位となる。ホームグランプリのムジェロではアルバロ・バウティスタと接触してリタイアとなった。第6戦スペインGPでは4位となった。2013年6月29日に行われた第7戦ダッチTTでロッシは2年ぶりに優勝する。続く2戦で連続して3位表彰台に上る。その後も4位が6回3位が2回と安定した成績を残し、237ポイントを獲得してランキング4位となった。ロッシはシーズンを通してカル・クラッチロー、ステファン・ブラドル、アルバロ・バウティスタらとセカンドグループで争った。 2014 2013年シーズンが終わると、ロッシはチーフエンジニアのジェレミー・バージェスとの長きにわたった関係を解消することを発表した。バージェスの後任として、マルコ・メランドリのスーパーバイク世界選手権チームのクルーであったシルヴァーノ・ガルバセラが起用された。 シーズンは開幕戦カタールGPで2位に入り、好スタートを切った。レースはマルク・マルケスとの激しい争いが繰り広げられた。第4戦スペインGP、第5戦フランスGPでも2位に入る。2014年6月1日、ロッシはホームグランプリのムジェロでGP参戦300戦目を達成した。第13戦サンマリノでロッシはシーズン初勝利を挙げる。この勝利はシーズン初のホンダ車以外による勝利であった。この勝利で彼はまた通算5000ポイントを達成した。続くアラゴンGPでは予選6位となるが、決勝では濡れた路面でスリップ、芝を走って激しくクラッシュした。ロッシはクラッシュで短時間意識を失い、アルカニスの病院でCTスキャンを受けた。シーズンのリタイアはこの1回のみであった。第16戦オーストラリアGPではレースをリードしていたマルケスがリタイアし、ロッシはシーズン2勝目を挙げる。フィリップ・アイランドでロッシは2001年から2005年まで5連勝しており、この勝利は6勝目となった。最終戦のバレンシアGPでは2010年フランスGP以来のポールポジションを獲得するが、これはGPにおける自身60回目のポールポジションとなった。決勝はマルケスに次ぐ2位となり、マルケスから67ポイント差の295ポイントでランキング2位となった。 2015 世界GP参戦20年目となる2015年は、開幕戦カタールGPでの勝利から始まった。開幕戦での勝利は2010年以来であった。ロッシはドゥカティのアンドレア・ドヴィツィオーゾの109勝目を阻止し、3位にはドヴィツィオーゾのチームメイト、アンドレア・イアンノーネが入ってイタリア人ライダーが表彰台を独占した。これは2006年日本GP以来のことであった。第2戦アメリカズGPではマルケス、ドヴィツィオーゾに次ぐ3位となり、第3戦アルゼンチンGPでシーズン2勝目を挙げる。このレースでロッシはリアタイヤにエクストラ・ハードを選択し、同タイヤを使用して優勝した初のライダーとなった。GPキャリア200戦目となった第4戦スペインGPでは3位に入って8戦連続の表彰台となる。続くフランス、イタリアでも表彰台を獲得、記録は継続した。 第7戦カタルーニャGPではチームメイトのロレンソが優勝、ロッシは2位となりポイント差が1と詰め寄られたが、次戦ダッチTTではポールポジションを獲得、決勝ではマルケスとの長いバトルを制して3勝目を挙げ、3位に入ったロレンソとのポイント差も10へと広がった。ポールトゥフィニッシュは2009年サンマリノGP以来のこととなった。第9戦のザクセンリンクでは3位に入賞しリードを広げ、続くインディアナポリス、チェコでも3位に入賞、連続表彰台の記録も継続した。ロレンソはブルノで勝利し、その時点で勝利数でロッシを上回ってタイトル争いでもリードを取った。次戦イギリスGPはウェットレースとなり、ロッシはマルケスとトップ争いを繰り広げたが、マルケスは転倒リタイア、ロッシがシーズン4勝目を挙げて再びチャンピオン争いでもトップに立った。このレースでロレンソは4位に入賞した。サンマリノGPでは5位となり連続表彰台の記録は16で途切れたが、ロレンソはリタイアしポイント差は23へと広がった。第14戦アラゴンGPではロレンソが優勝、ロッシは3位に入り残り4戦で14ポイント差となる。両者が順調にポイントを積み重ねたことで、ヤマハは2010年以来のマニファクチャラーズタイトルを早々に決定した。 日本GPでロッシはペドロサに次ぐ2位となる。ロレンソはポールポジションを獲得したが、タイヤの問題で3位となった。続くオーストラリアGPではロレンソが2位、ロッシが4位となりポイント差は11に縮まった。マレーシアでもロレンソ2位、ロッシ3位という結果でポイント差は7となったが、ロッシはマルケスとの接触でペナルティを受け最終戦バレンシアGPでは最後尾からスタートすることとなる。バレンシアでロッシは最後尾から4位まで追い上げたものの、ロレンソが優勝したことで7ポイント差を逆転され、ロレンソが5ポイント差を付けてタイトルを獲得した。 2021 2021年は長く在籍していたヤマハファクトリー・チームを離れ、ペトロナス・ヤマハ・SRTに移籍する。チームメイトは2017年Moto2チャンピオンのフランコ・モルビデリ。最終戦バレンシアGPを最後にMotoGPを引退。MotoGPレジェンドとして、殿堂入りを果たす。
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