サハリン航路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:58 UTC 版)
戦後のサハリン航路については、1989年(平成元年)にホルムスク(旧称真岡)へのサハリン観光のツアー船が稚内港を出港し、1991年(平成3年)にはコルサコフ(旧称大泊)へのツアー船が出港した。1995年(平成7年)には、ロシア船によるコルサコフ航路が定期航路(季節運航)として50年ぶりに復活し、1999年(平成11年)からは東日本フェリー(現在のハートランドフェリー)によるコルサコフ航路が運航開始した。資源開発「サハリンプロジェクト」が一段落すると利用者の減少が顕著になり、査証(ビザ)を免除してのサハリンツアーを催行する対策を講じたが、2012年(平成24年)にはロシア側からコルサコフ港の港湾施設使用料の50 %値上げを通告された。2014年(平成26年)にハートランドフェリーはサハリン航路からの撤退を表明し、2015年(平成27年)に運航終了した。2016年(平成28年)に稚内市は第三セクターの「北海道サハリン航路」を設立し、ロシアの「サハリン船舶会社」(SASCO)と運航契約を締結して運航再開した。
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