のぞきからくり
のぞきからくり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/04 07:21 UTC 版)
のぞきからくりは、江戸時代から明治にかけて盛んに行われていた大道芸のひとつで、客にレンズ越しに情景を描いた絵を覗かせ、「からくり節」ないし「覗き節」と称される節回しに乗せて説明を加えながら、紐を操作するなどして絵を次々と差し替えながら見せる見世物[1][2]。
表記と異称
表記は平仮名で「のぞきからくり」とするのが一般的であり、かつて江戸では「のぞき」、上方では「からくり」とも呼ばれたというが[1]、逆とする説もある[5][6]。しかし、「覗きからくり[7][8]」、「覗機関[1][9]」と書くこともあり、さらに「覗眼鏡[9][10][11]」とも称した。また、仕掛けの中に仕込む絵を指す[12]、「覗き絵[13]」、「眼鏡絵[9][10]」、「からくり絵[11]」といった表現で、この見世物に言及することもある。
形態
幅1メートル余り(三尺余)から1.8メートル(一間)ほどの屋台の前面に5-6個の覗き穴があり、中を覗くと、仕掛けられた絵がレンズで拡大されて見える[1][14]。屋台を挟んで左右に男女の演者が立ち、鞭で屋台を叩いて調子を取りながら[14][6][15]、「からくり節」に乗せて演者の男女で掛け合うなどしながら物語を進めた[1]。こうした演者は「口上師」などと呼ばれた[16]。見物料金は、1899年(明治32年)の福岡県田川郡で、大人2銭、子ども1銭という記録がある[6]。
のぞきからくりは、映画の興隆とともに人気が衰え、昭和初期には既にわずかな数が残るだけとなっていたとされる[2]。新潟県新潟市西蒲区(旧 巻町)の巻郷土資料館には、全国で唯一とされる実演可能な往時ののぞきからくりが現存しており、新潟市指定有形民俗文化財となっている[16]。
おもな演目
歌舞伎種
新派
戦記物/時局物
その他
歴史
17世紀末期のヨーロッパで生まれ、1750年代の京都などで渡来したものが確認される[21]。
渡来時期は不明であるが、オランダ商館日記によると、1638年(寛永15年)‐1664年(寛文4年)の26年間に「曲鏡之繪,曲遠眼鏡」(ガラス絵とプリズム付きの遠眼鏡)、「暗室鏡」(doncker camer glassen、カメラ・オブスクラ)、「透視箱」(perspectijff casken、透視投影を見る物)などがあり、のぞきからくりのルーツが上記の物か別のルーツから来ているかは判別がついていない[22]。
脚注
- ^ a b c d e f 世界大百科事典 第2版『覗機関』 - コトバンク
- ^ a b c d “声の玉手箱—愛荘町有線放送アーカイヴズから—その2:忠臣蔵の覗き節”. 滋賀県立大学細馬宏通研究室 (2016年6月29日). 2017年9月25日閲覧。
- ^ 坂井, 美香 (2013年3月). “明治初期,「西洋眼鏡」の盛衰 -人はなぜ覗き,なぜ観るのか-”. 年報 非文字資料研究 第9号. pp. 93–118. 2025年1月4日閲覧。
- ^ Template:Cite kotonbak
- ^ a b c d e “館内紹介”. 石川県金沢港大野からくり記念館. 2017年9月25日閲覧。
- ^ a b c “図録番号524 タイトル:ノゾキ/ 山本作兵衛コレクション/ 田川市”. 田川市 (2017年3月13日). 2023年2月4日閲覧。
- ^ 日本文化いろは事典『覗きからくり』 - コトバンク
- ^ 江戸川乱歩「押絵と旅する男」(新字新仮名) - 青空文庫:「...そこには色々な露店に並んで、一軒の覗きからくり屋が、ピシャンピシャンと鞭むちの音を立てて、商売をして居りましたが、...」
- ^ a b c ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『眼鏡絵』 - コトバンク:説明されているふたつの方式のうち、前者が本項目で説明しているもので、後者が「眼鏡絵」で説明されているもの
- ^ a b 世界大百科事典 第2版『眼鏡絵』 - コトバンク:説明されているふたつの方式のうち、前者が本項目で説明しているもので、後者が「眼鏡絵」で説明されているもの
- ^ a b 日本大百科全書(ニッポニカ)『眼鏡絵』 - コトバンク:説明されている2種類のうち、後者が本項目で説明しているもので、前者が「眼鏡絵」で説明されているもの
- ^ 江戸川乱歩「押絵と旅する男」(新字新仮名) - 青空文庫:「覗き絵の人物は押絵になって居りましたが、その道の名人の作であったのでしょうね。お七の顔の生々として綺麗であったこと。」
- ^ “葛城の行事と暮らし”. 国立国会図書館. 2017年9月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g 日本大百科全書(ニッポニカ)『のぞきからくり』 - コトバンク - 執筆:織田紘二
- ^ 江戸川乱歩「押絵と旅する男」(新字新仮名) - 青空文庫:「からくり屋の夫婦者は、しわがれ声を合せて、鞭で拍子を取りながら、『膝でつっらついて、目で知らせ』と申す文句を歌っている所でした。」
- ^ a b c “西蒲区の宝 のぞきからくりを観に行こう” (PDF). にしかん (新潟市西蒲区役所) (187): p. 1. (2015年1月18日) 2017年9月25日閲覧。
- ^ a b 板垣俊一「のぞきからくり「幽霊の継子いじめ」の製作年代と製作地」『新潟の生活文化:新潟県生活文化研究会誌』第22号、新潟県生活文化研究会、2016年、1-5頁。 NAID 120005990384
- ^ a b “図録番号521 タイトル:日清戦争のノゾキ絵/ 山本作兵衛コレクション/ 田川市”. 田川市 (2017年3月13日). 2023年2月4日閲覧。
- ^ “図録番号520 タイトル:日露戦争のノゾキ絵(軍神 広瀬武夫中佐)/ 山本作兵衛コレクション/ 田川市”. 田川市 (2017年3月13日). 2023年2月4日閲覧。
- ^ 細馬宏通. “ニウス:物語と「事件」の通路‐のぞきからくりの継子譚における物語構造‐”. 滋賀県立大学細馬宏通研究室. 2017年9月25日閲覧。
- ^ “浮絵付き のぞきからくり - 神戸市立博物館”. www.kobecitymuseum.jp. 2025年1月4日閲覧。
- ^ 坂井, 美香 (2012年3月). “近世覗きからくりは何を見せたか,その1 -カラクリを覗く-”. 年報 非文字資料研究. pp. 107–136. 2025年1月4日閲覧。
関連文献
- 河本正義 編『覗き眼鏡の口上歌』(原著 1935年/久山社 日本児童文化史叢書 1995年)
- 山本慶一「のぞきからくりと写し絵」南博ほか 編『えとく:紙芝居・のぞきからくり 写し絵の世界』白水社、1982年
関連項目
- 「くしゃみ講釈」 - 落語の演目。のぞきからくりの語りが盛り込まれている
- 『長屋紳士録』(小津安二郎:監督)・『時代屋の女房』(森崎東:監督) - いずれも映画。からくり節『不如帰』を歌う場面がある。
外部リンク
- のぞきからくり「八百屋お七」.wmv - YouTube - 2013年、横浜市歴史博物館における実演
「のぞきからくり」の例文・使い方・用例・文例
- のぞきからくりの所には長い列ができていた。
- のぞきからくりのページへのリンク