「お祈り」する人、される人
小ネタ。私は最近やっと知ったのだが、就職活動中の学生たちはけっこう前から「お祈り」ということばを使っていたようだ。「これまで○社からお祈りされちゃった」なんて会話してる。意味はまあ、考えてみれば想像がつくが、「不採用」ということ。かなり普及してるようで、いまや「お祈り」でぐぐれば、この意味で使われた文章がたくさんヒットするはず。
この「お祈り」という表現、いうまでもなく本来は書き言葉だ。典型的には「今後ますますのご健康とご活躍をお祈り申し上げます。」みたいに使い方。選考の結果不採用となった場合、その通知の末尾に使われる。口頭でこういうことばを使う状況はちょっと想像しにくいし、いわば時候の挨拶なんかと同じで定型文だから、そもそもそれ自体を意識することにあまり意味はない。
それが日常的に会話の中でも使われることばになったのは、これまた簡単に想像がつくが、電子メールが普及したからだ。私が大学生として就職活動をしていたころ、メールというしくみはなかった。選考結果は、「今日中に電話がなかったら縁がなかったものと考えてください」というかたちで知らされた。その後転職する際には、何度となく「お祈り」をされたが、いずれも封書だった。新卒採用の場合には、多人数を一気に、かつごく短期間に採用しなければならないから、封書でいちいち通知しているひまはないのだろう。転職の場合はそこまでではないから、ていねいに封書を使うということか。
今、新卒採用をめざす大学生たちがこういったメールを受け取るのは、メールが電話と封書の中間的な存在だからだろう。電話よりも少しは正式、ていねいな通知に見え、かつ封書より手軽で迅速に届く。通知を送る企業の立場からすれば、メールを使うのは自然な選択だ。
興味深いのは、ここで「異種」の出会いが生じているということ。企業が「お祈り」をメールの文面に入れるのは、基本的にはメールを紙の不採用通知の代替と考えているからだ。不採用とした学生も、顧客ないし将来の顧客候補ではありうるわけで、悪い印象を避けるためにできるだけていねいな文章にしておきたいという配慮もあろう。ただ、それと同時に、おそらく企業側がこうしたメールをPCから送っているという要素もあるのではないかと思う。つまり、「書くための道具」だ。
それに対し、受けた学生の側がこれを話しことばとして使うのは、もちろん冗談半分でもあるのだろうが、彼らにとってはメールが電話と同様のリアルタイムコミュニケーションとなっているからだろう。実際、彼らが実際に連絡を受けるメールアドレスは携帯電話のものであることが多いように見える。つまり、「話すための道具」だ。
つまり、上に書いた「異種」の出会いとは、書きことばと話しことばという「異種」の出会いであると同時に、そこで使われる「PC」と「携帯電話」という異種の出会いでもある。かくして、一種の儀礼として書かれた「お祈り」が実体をもったことばとして受け手に伝わっていく。学生たちがそこに「気持ち」がこもっていないことに憤ったり「また『お祈り』かぁ」と落ち込んだりするのも、そこに意味を見出そうとするからだろう。
考えてみれば、ことばも機器も、コミュニケーションを媒介するものであるわけで、思い切り拡張するとこれも、デジタル技術による「メディア」の収斂がコミュニケーションを変えていくという、あまたある例の1つ、なんだろうな。
企業の皆さん、もし上手な断り方をしたいのであれば、通り一遍の「お祈り」ではない方法を考えたほうがいいかもしれない。じゃあ何がいいかといってさしたる妙案もないんだが、よく学生たちがいうのは、「なぜ不採用になったのか知りたい」だ。企業で採用活動にかかわったことがある経験からいって、企業側にはっきり説明できるほど明確な不採用理由が全員について存在するということはないだろうと思う(採用する理由、ならまだ説明しやすいだろうが)。だから難しいとは思うが、そういう説明があれば、「誠実な企業」として学生たちの印象により残りやすいだろう。「誠実そうにみえることば」より、「誠実な態度」が必要ということなのではないか。
まあ、学生の側からみれば、ていねいな断りよりも内定がほしいところだろうけど。企業の皆さんも、これが人への投資だという視点をお忘れなく。特に新卒採用は「投資」の要素が強いはず(逆に、ベテランへ社員の人件費は「経費」の要素が強いと思うがどうか)。少々「無理」をしてもいいところだと思うんだが。
※2009/05/11追記
「不採用の理由」までは難しくても、不採用にした学生に、「ここがよかった」「ここは直したほうが」みたいなコメントをしてあげるくらいならできないか?企業の皆さんも就職活動の際に同じ思いをしただろうが、面接のたびに「ああここは失敗した」「ここはうまくいったんじゃないか」と気を揉んでいるのだよ学生さんたちは。そのたびに「人によって見るポイントはちがうから一概にいい悪いはいえない」とか「無理に自分を作らずに自然に話せ」とか言ったりするのだが、企業からのフィードバックがあれば、より納得感が高まるだろう。文句を言われたくないとか手間がたいへんとか、いろいろあるだろうけど、ご一考いただけるとありがたい。
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Comments
経営陣が若年層と中高年層をどのように見ているかといえば、仮に、
・若年層→付き合いが悪い。共通の話題がない。可愛げがない。活躍にあまり期待していない。
・中高年層→その逆
だとすれば、それに応じた処遇になっていくのも不自然でないと、、、
Posted by: | May 10, 2009 03:44 PM
さん、コメントありがとうございます。
>だとすれば、
もし逆だったら?
それは極端ですが、一方的に若年層がだめで中高年層がいいという評価をする経営者というのが多数派であるとは思えません。ベテラン社員の給与がすべて高すぎるとは思いませんが、すべて適切であるとも思えません。
感覚的なものですが、ベテラン社員の給与は新入社員の少なくとも数倍ぐらいあるでしょう。それに見合った働きをしている方ばかりではないということは、私が20年間勤めた会社においても、見聞きしたさまざまな企業においても、明らかでした。現在の労働法制や雇用慣行がそれを可能にしていることも。
Posted by: 山口 浩 | May 10, 2009 04:46 PM
あくまでも印象に基づいてコメントしたものでございますが、
ご反応いただきまして誠に恐縮至極でありますが、
「感覚的なもの」でお応えいただいているということで、
根拠が弱いままに議論を展開するという図式にあまり関心がないのかどうかと、、、
Posted by: | May 10, 2009 08:22 PM
さん
「印象」に基づいたご意見に「感覚」でお答えしたまでですが、一応、企業人としてのわずかな経験と経営学研究者のはしくれとしてのなけなしの知見をふまえているつもりです。客観的には幾多の情報があるはず。信頼できるソースのものを選んで、幅広くお調べになれば、おのずと全体の構図が見えてくるのではないでしょうか。
Posted by: 山口 浩 | May 11, 2009 09:01 AM