新「六次の隔たり」仮説を発見したかも、という話
あくまでネタ。いわゆる「六次の隔たり」というのは、一時はやった、6人を介すると世界中とつながるというアレである(参考)。この話を「仮説」というか「神話」というか別として、実際には世界はそこまで狭くはないよというあたりも含めて、知ってる人はみんな知ってる状態になるまで広まったわけだが、もう1つ、「六次の隔たり」仮説と呼べるものがあるのではないか、ということに気づいた。なにをいまさら、なのかもしれないけど。
気づいたのは、昨夜というか今朝というか、テレビ朝日の「朝まで生テレビ」を聞いていたときだ(ラジオで音声だけ聞いていたので「見た」のではない)。今回のテーマは「激論!“いじめ”“自殺”と日本の教育」。出演者はこんな感じ。
司会: 田原 総一朗 進行: 長野智子 渡辺宜嗣 パネリスト: 葉梨康弘(自民党・衆議院議員) 蓮舫(民主党・参議院議員) 福島みずほ(社民党党首、参議院議員) 伊藤玲子(『立て直そう日本・女性塾』幹事長) 喜入克(都立高校教師、「教師の会21」代表) 鈴木義昭(元東京都教育委員会指導主事) 寺脇研(前文部科学省大臣官房広報調整官) 中嶋博行(作家、弁護士) 長谷川潤(大阪府公立中学校教諭) 宮崎哲弥(評論家) 森越康雄(日本教職員組合委員長) 八木秀次(高崎経済大学教授、『日本教育再生機構』理事長)
現場の人がけっこう入っていたこともあり、議論はなかなか面白かった。国会議員の子供は学校でいじめられやすいという話とか、いじめを受けた子のうち自殺に至るのはほんのわずかだから、いじめと自殺とは切り離して考えるべきだとか、「へえなるほど」もいろいろ。元文部省の寺脇研氏の考えを直接聞けたのもよかった。全体として、教育を再生したければまず大人からやるべきで、学校をめぐる諸問題の解決には学校教育をいじるだけでは不充分ではないかとかといった、これまで自分が書いてきたことを変更する必要はなさそうだな、という感じがする。
しかし、なかでも一番面白かったのは、「反日教組原理主義者」の人たちと日教組委員長のバトルだった。あらかじめことわっておくが、別に私は日教組に対してなんらの思い入れもうらみもない。ないのだが、この「原理主義者」の人たち(2人ほどいたと思うが、声だけで特定するのは不安なので誰かは書かない。想像はつくけど)がとにかくなんでもかんでも日教組のせいにしていくさまがおかしくて。
なんでも日教組は「諸悪の根源」であって、いじめも自殺も学級崩壊も、日教組組合員のいない学校や学級でのいじめや自殺も家庭の崩壊も今の日本から規範が失われたことも全部日教組のせい、なんだそうだ。その剣幕たるや、ひょっとしたら、外国のいじめも、日教組結成(1947年)以前にあったいじめも、そんな「諸悪の根源」である日教組が結成されたこと自体も日教組のせい、と言い出しかねないほど。ところが対する日教組委員長はわけのわからない発言で周囲をいらつかせ、「原理主義者」の皆さんはますます激高していく。まるでボケとツッコミ。まあ、要するにどっちもどっちで、本題とあまり関係ないどうでもいい話なんだが。
ここからがやっと本題。この日教組論議を聞いていて、はたとひらめいたのだ。これだけ強引に因果関係をこじつけられるなら、ひょっとしたら、どんなにつながりが薄い2つの現象でも、6回ぐらい「AはB」みたいな論点を重ねれば、因果関係がつながるのではないかと。つまり「因果関係における六次の隔たり」仮説、というわけだ。
さっそく考えてみる。まず過去の例。そういえば、「風が吹けば桶屋がもうかる」というのもあったな。あれは確か:
スタート:風が吹けば、砂埃がたつ。
(1)砂埃が目に入って、失明する人が増える。
(2)失明した人は三味線弾きになるため、三味線の需要が増える。
(3)三味線の材料となる皮をとるために、たくさんの猫が殺される。
(4)猫が減ったため、鼠が増える。
(5)増えた鼠が桶をかじる。
(6)桶の需要が増えるので、桶屋がもうかる。
ほうら。「六次の隔たり」ではないか。これなら、たいていのものはできそうだ。 もう1つ、考えてみる。「今朝は寒かった」ので、「明日宝くじを買うとあたるにちがいない」なんてのはどうか。えーと。
スタート:今朝は寒かった。
(1)寒いのでバスを待ちきれず、タクシーに乗った。
(2)無駄遣いをしたと反省し、今日は倹約に努める。
(3)倹約のため、帰りはがんばって歩いて帰る。
(4)歩いていく途中に神社があるので、通るときはお賽銭を入れることにしている。
(5)神様も私をほめてくれるはずだ。
(6)よって、明日宝くじを買うとあたるにちがいない。
うむ。なんかあまり面白みがないが、これならあらゆる占いに論理的根拠を与えられるのではないか。ついでにもう1つ。
スタート:最近、ミニスカートがはやっている。
(1)ミニスカートがはやると、自動車のドライバーが見とれて自動車同士の接触事故が増える。
(2)自動車事故が増えると、修理工場がもうかる。
(3)修理工場がもうかると、修理工場のオヤジの羽振りがよくなる。
(4)修理工場のオヤジの羽振りがよくなると、大金かけて長年悩まされていた水虫を治療する。
(5)水虫が完治した修理工場のオヤジは、大手を振ってビーチサンダルがはけるようになる。
(6)ビーチサンダルがはけるようになるようになった修理工場のオヤジは、ハワイへ家族旅行に行く。
かくして、「ミニスカートがはやるとハワイへの観光客が増える」という因果関係はみごと証明されたのであった。むはは。
ミニスカートがはやると景気が、というよくある話へ行かないのがミソ。実際、中南米だかのとある国では、自動車事故の主な原因が、ドライバーのよそ見(しかも女性を見ているらしい)によるとか。それに、自動車修理工場のオヤジは、日頃鉄板で覆われた安全靴を履くため、水虫に悩まされるケースが多いらしい(参考)。まあ、関係がまったくないわけじゃないといえなくもない。たぶん。
というわけで、この新「六次の隔たり」仮説、けっこういけるのではないかと思うのだがどうだろうか。それともやはり、なにをいまさら、なんだろうか。
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