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September 24, 2006

マスコミを撮った、という話

以前、「マスコミを撮ろう」という文章を書いたことがある。市民ジャーナリズムなるものがあるとして、その役割を考えるとしたら、第四の権力であるマスコミを監視する役割というのはひとつの候補ではないか、といったような趣旨だった。

それにあたると思われる例が、ライブドアPJニュースに出ている。

記事は、「マスコミならば、喫煙マナーもなんのその=吉野家取材で」と題したもの。去る9月18日、吉野家の牛丼復活祭を取材中のマスコミ関係者を撮ったもの、ということらしい。記事によると:

有楽町駅周辺は千代田区の生活環境条例により路上禁煙地区に指定されており、駅周辺は道路上で喫煙する行為すべてが禁止されている。
 この吉野家周辺はJRの敷地内にあるので、この条例がそのまま適用されるわけではないが、あたりを見回しても喫煙者などいなかった。そこに、堂々とテレビカメラのセッティングをしながら、喫煙するマスコミの姿があった。

だ、そうな。記事の書き方からして、区条例と近隣の土地所有関係は調査した上でののようだ。編集段階でのチェックがあったことをうかがわせる。要するに、道路ではないので生活環境条例第21条に直接抵触するわけではないということらしい。この場所は、駅前のJR所有地であっても一般の往来であるから、条例がいう「公共の場所」にあたると考えるほうが自然だと私は思うが、少なくとも、マナーとして疑問の余地がある、という指摘は理解できる。それと私としては、その吸殻をどこに捨てたかについても、重大な関心を抱いている。もし吸殻を路上(同様にそれを「公共の場所」と解するなら)に捨てたのであれば、上記区条例第9条違反になるからだ。

私が前に文章で書いたのは、市民ジャーナリストはこういうことをすればいいのではないか、ということだった。第四の権力は、監視されるべきであると。監視は市民によってなされるべきであると。その意味で、このPJは「いい仕事」をしたといえるだろう。ただ、気になる点はある。写真はかなり鮮明なもので、その気になれば個人を特定するに足ると思われるから、顔にモザイクを入れる等の措置をとったほうがよかったかもしれない。代わりに、この本人に取材をしていれば。せめて会社名だけでも聞き出せれば、顔をさらすよりも有効であったろう。ただ、取材中のマスコミは周囲の人々も撮ったりしているわけだし、正直なところ、このくらいは許容範囲内ではないかと思う。

これはあくまで特定の事例であり、これを理由としてむやみにマスコミ叩きをする意図はない。だからマスコミはだめと一般論で断じるのもおかしい。ただ、こうしたかたちで監視する動きを続けていくのは、悪くない方向ではないかと思う。権力は、監視されなければ暴走するおそれがある。皆に聞いて回ったわけではないが、世論の風潮を見聞きする範囲では、情報源としてのマスコミには高い信頼が寄せられる一方で、マスコミ自体とかマスコミ人に対してはかなりの不信感をもたれているように思う。これを打開するためには、マスコミ側も積極的に市民による監視を受け入れていったほうがいいのではないだろうか。

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Comments

はじめまして。yujiと申します。いつも楽しく拝見しています。

「第3の権力であるマスコミに市民ジャーナリズムが監視の目を」という理解でよろしいでしょうか。そうだとすると、その考えには賛同いたしますが、今回の事例には首をかしげます。

マスコミ人もサラリーマンです。条例に抵触することはもちろんいけませんが、今回のPJニュースの事例は言わば、「サリーマンの路上喫煙記事」と何ら変わらないかと。

第四の権力として市民ジャーナリズムが果たすべき役割は、今回の事例とは違うところにあるべきかと私は思います。「私が取材を受けた時にこんな失礼なことをされた」とか、「マスコミの加熱報道を間近で見た」などです。

どうお考えですか?

Posted by: yuji | September 24, 2006 02:08 AM

私などはそれよりマスコミの情報操作の側面にメスを入れるべきではないかと。たとえば少年犯罪が「激増」しているかのようなメディアの報道ですが、実際のデータによれば過去に比べてとりわけ今が多いと言うわけでもなく、むしろ少ない方だというのが実情らしいです。ところがそこは意図的に隠して煽るかのような姿勢は問題だと思うのです。世論もマスコミ報道を鵜呑みにする傾向が強いですから。客観的報道より御託が多すぎるように感じます。もう少し情報の提供者としての役割に特化してもらって、価値判断は我々受け手に委ねるというかたちにしていく方が望ましいと思うのですが。

Posted by: すなふきん | September 24, 2006 02:30 PM

コメントありがとうございます。

yujiさん
あの事例は「ベスト」ではなかったでしょうね。ただ「サラリーマンの路上喫煙」もPJ的には報道する価値がある事例とはいえるでしょうから、それがマスコミであったとすれば、さらに「価値」は高いのかも、という気もします。事例は1つでなくていいわけですし、最初からベストである必要もないのでは?

すなふきんさん
少年犯罪の話もありますよね。ただ、上にも書きましたが、これが唯一の事例でもベストの事例でもないと思いますので、今後いろいろなものをどんどん積み重ねていけばいいのではないでしょうか。マスメディアにできないことができれば、市民ジャーナリズムの社会的な価値が生まれてくるのではないかと思います。

Posted by: 山口 浩 | September 24, 2006 10:42 PM

反応遅くなり申し訳ありません。

>最初からベストである必要もないのでは?

そうですね。理想を盲目的に追い求める原理主義では物事は進まないのでしょうし。ただ、理想(見通し)を持たないとただのマスコミ人批判にもなりかねません。
先生が市民ジャーナリズムをこのように提言することで、「第4の権力としての市民ジャーナリズム」が育つことに繋がって欲しいと思います。

Posted by: yuji | September 29, 2006 02:59 AM

yujiさん
そうですね。批判はもうしばらくようすをみてからでも遅くないのではないかと思います。

Posted by: 山口 浩 | September 29, 2006 11:43 PM

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