プロだと思うからいけないのではないか
たまにはブログらしく人のブログ記事について書いてみる。おなじみガ島通信の「オーマイニュースジャパンの『炎上』と『現状』」(蛇足だがこういう語呂合わせは好き)について。
ガ島氏の指摘はいちいちごもっとも。私が繰り返しても意味はないので、ぜひ元記事をお読みいただければ。要するにその主張は、「既存メディアの劣化版を作ったところで、意味はありません。」のひとことに集約される。この意見には賛同。立場もリソースもちがうのだから、同じことをやっても効果的ではないし、やりがいもないだろう。参加型ジャーナリズムは、すでに日本に存在する。韓国でのケースとちがって、日本でのオーマイニュースに先発者のアドバンテージはない。だから、オーマイニュースが持っている、ネット、市民記者、韓国発などさまざまな独自の属性のセットをうまく生かす方法を考えていかないと、業界で生き残っていくのは難しいだろう。
それを前提として、だが。
もう少し長い目で見守っていってはどうか、と私は言いたい。
なぜか?それはガ島氏がすでに指摘している。
このような状態になってしまっているのは、編集長と編集部のネットリテラシーの低さ、戦略のなさ、そして編集部員の意識にあると考えられます。
準備ブログの「迷走」ぶりは、編集長の鳥越俊太郎氏はじめ、編集部の人たちが、ネットの人たちの考え方を理解せず、既存マスメディアを上とみる意識から抜け出せないことからきている、というわけだ。ここがポイント。彼ら(の多く)はおそらく、ネットにおいては私たちよりも経験の浅い、初心者なのだ。この世界では、彼らが既存マスメディアの世界で培った名声やノウハウの大半はあまり役に立たない。彼らは、商売としてやってるので一応「プロ」の肩書きはついているが、この世界ではまだ「専門家」ではない。本当の意味での「プロ」ではないのだ。
だから私たちも、彼らを「プロ」と思うのはやめたらどうか、と思うのだ。鳥越氏は1940年生まれの66歳。いい歳の老人ではないか。見たところ公式サイトもないようだし、いってみれば最近インターネットを始めたおじいちゃんなわけだ。たとえば皆さんの周りに定年退職した後ブログを始めたばかりのじいちゃんがいたとして、ネットでのマナーとか、発言のしかたをあまり知らなかったとしても、それをあまり厳しくとがめたりするのはなんだか大人気ないと思わないか。まだ現役バリバリだったころの記憶が抜けずにいばりちらしているじいちゃんには、「はいはいそうだね」と適当に合わせておいてあげたりするものではないか。他のスタッフはもっと年齢が若いのかもしれないが、それにしてもネットでは初心者に近い人たちなのだろう。「先輩」であるネットユーザーの皆さんがよってたかって袋叩きにするのはちょっとかわいそうではないか。
要するに、彼らを特別視するのはやめよう、ということだ。「有名ジャーナリストともあろう者が」みたいに目くじらをたてるのは、逆に私たち自身が彼らの「権威」を所与のものとしてしまっていることになる。もし彼らを「同列」と考えるなら、初心者なんだから多少は大目に見てやろうよ、という方向で考えることができるのではないか。
もちろん、支援までする必要はない。彼らはビジネスでやっているのだ。面白い記事、いい記事がなければ放っておけばいい。投げ銭とか広告とかのビジネスモデルを考えているのであれば、読者が集まらない限り、他のほとんどのネットベンチャーと同様、早晩淘汰されることになるだろう。なければ困る存在ではないし、代わりになるものは他にたくさんある。しかしひょっとしたらそのうち、彼らも「流儀」がわかってきて、方向性を変えていくかもしれない。それで生き残っていくならそれでいい。最終的に私たちにとって意味のあるメディアに育つなら、ありがたいことだ。とにかく、せっかくの試みなのだし、始まる前からつぶしてしまうようなことはもったいない、と思うだけだ。
というわけで、私としては、ご不満の向きもあるだろうが、当面見守ってはどうか、と提唱しておく。ほら皆さんも、他にもっと有益なことはたくさんあるのでは?ということだ。ただ、ガ島氏には、「ネットで活動する(元)マスコミ人」の先輩として、批判だけでなく、彼らに具体的な「アドバイス」をしてあげたらどうかとお勧めする。既存マスメディアの問題をメディア人の立場でいろいろ取り上げてきたガ島氏にはそれなりのモチベーションがあるのではないかと思うので。
※2006/8/24追記
コメント欄にkkojima氏からの情報。「鳥越俊太郎氏は、長年に亘り糸井重里氏のサイト「ほぼ日」で記事を書いてきているので」、「最近インターネットを始めたおじいちゃん」ではないとのご指摘。多謝。なるほど。で、「むしろ、インターネット上でジャーナリズムっぽいことをするという点では、いわゆるブロガーよりキャリアが長い」としておられるのだが、本文での意味合いは、単にネットを利用しているかどうかということではなく、ブログの普及以降生じている状態、つまりプロの書き手がアマチュアの方々に直接接する状態、プロとアマの境界がぼやけてしまう状態に接しているかと考えるほうが適切だと思うので、その意味でやはり「慣れた」人のふるまいではないように思う。新聞社のサイトで新聞記事が公開されていても、記者ブログでどうふるまえばいいかを理解していない記者さんたちがけっこういたことを想起いただければ。というわけで、本文は訂正しない。とはいえ、「インターネットを始めた」があまり適切なたとえではないというのはその通りなので、お詫びの上ここに追記する。
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Comments
>見たところ公式サイトもないようだし、いってみれば最近インターネットを始めたおじいちゃんなわけだ。
鳥越俊太郎氏は、長年に亘り糸井重里氏のサイト「ほぼ日」で記事を書いてきているので、このような見方は正しくなく、むしろ、インターネット上でジャーナリズムっぽいことをするという点では、いわゆるブロガーよりキャリアが長いのではないでしょうか?
もちろん、キャリアの長短とプロであるかどうかの判断は別ですが、少なくとも、「ネットに疎いおじいちゃんなんだから」という前提に立つことは無理があると思います。
Posted by: kkojima | August 24, 2006 04:24 PM
kkojimaさん、コメントありがとうございます。
なるほどそうですね。不勉強で知りませんでした。ほぼ日はちょくちょくのぞいていたんですが、わざわざあそこでニュースを見たいとは思わなかったもので。いただいたお話を本文に反映させていただきます。
ほぼ日はコメント欄とかがない(メールはできるみたいですね)ので、ブログとはけっこうちがうように思います。実際、ブログのなかったころからhtmlとかで「ホームページ」を作っていた人たちの中には、ブログ界隈での「慣習」になじめない、と言っておられる方がけっこういました。オーマイニュースの市民記者や読者は2ちゃんねるやブログのユーザー層とかなりかぶるところがあるのではないかと思います。その点について鳥越氏が必ずしも充分意識してはいなかったのではないか、という印象は今もあります。その意味では、やはり「不慣れ」だったのではないか、という当初の考えは、それほどずれていないのではないか、と思います。
もちろん、私がまちがっていて、本当に「確信犯」なのかもしれません。その場合でも、やはり実際に立ち上がって記事が出始めるまで待っても遅くないと思いますし、「祭り」のようなかたちで糾弾しても、互いに得るところは少ないと思います。
Posted by: 山口 浩 | August 24, 2006 09:04 PM
シンポジウムについて否定的なことをブログで書いていますので、ご立腹ではないかと危惧しております。ご立腹の段ありましたら、心よりお詫びもうしあげます。
そして、多分はじめまして。
鳥越氏の感覚はきっと、マルチメディアではなく、マルチキャスト。つまり、ネットというメディア特性を勘案せぬままにネットに参入していると思われます。
そして、一段も二段も高いところに立って演説していた人たちは、地べたで演説することが屈辱に思えている。なのに、フラットなどと嘯いている。
対話をすることが、壇上から引きづりおろされることに繋がるとの不安がある。だから、地べたで言論する私は、壇上の方々の対話には混ぜてもらえない。
同じ、共同幻想の壇上に乗っかっている同志なら、どんな引っ張り合いをしても、自分の立ち居知が陥没する不安はない。
彼らの深層心理は、そういうことなんだと思います。
WEB2.0を操っている人たちは、そのことが十分分かっているクレバーな人たちですから、たちが悪いと感じています。
Posted by: スポンタ | August 26, 2006 03:50 PM
スポンタさん、コメントありがとうございます。
あちらの皆さんの「内心」は実際のところよくわかりませんが、「不安」というよりも、ご自分たちの価値基準のほうが適切である、といった感じなのではないかと想像しています。
Posted by: 山口 浩 | August 27, 2006 01:31 AM