TOEFLを大学入試で義務づけるとどうなるか?
自民党の教育再生実行本部が、英語試験のTOEFLで一定の点数を
大学入試で義務づける案をまとめたようだ。
この案にはプラスの面もマイナスの面もあるが、私の第一印象は
「あー、TOEFL受けたことがない人が考えた案でしょ」
であった。
1.英語能力試験として優れるTOEFL
まず、TOEFLの最新の形式である TOEFL-iBT について簡単におさらいしよう。
この試験は、米国のETS社によって作られた、ノンネイティブの学生の
米国大学における英語運用能力を評価するための試験だ。
120点満点で、Reading, Listening, Writing, Speaking
の4科目に30点ずつ配分される。
口語と文語、インプットとアウトプットを均等な点数配分で見るテストで、
大学に進むための正に総合的な英語力を試す試験となっている。
基本的に「米国で学生生活を送るのに支障がないレベル」
が満点に設定されていると考えれば良い。
米国の大学院に入るための基準点は90点前後であることが多いが、
これは「学生生活に支障はあるけど、何とかやっていけるレベル」
だと考えると良いと思う。
この試験は、米国の大学が留学生に求める英語力を測るために、
改良を積み重ねて作られており、大学入試や英検やTOEICなどの
試験と比べても断然、英語の運用能力がきちんと測れるように作られている。
難しいけれども、意味のないマニアックなクイズや「無理ゲー」の
ような試験ではないのだ。
こうした点で、TOEFLは大学生に求める英語力を測る試験として
適していると言える。
2.英語教育体制に問題
TOEFLはきちんと英語を勉強してきた人ならそれなりに良い点を取る事ができる試験だ。
もちろん得点を上げるために対策もできる。
しかし、問題は日本にTOEFLの対策をできるような教育体制が
整っているかという点にあるだろう。
日本人は、一般的にライティングやスピーキングなどの
アウトプットが苦手だと言われるが、これは日本人が生まれ持った性質ではなく、
アウトプットをきちんと評価できる中学・高校の英語教員が少ないせいだ。
毎週、宿題などで短いエッセイを書いてその表現や構成を英語教員が添削する、
というような授業が行われていれば、生徒のライティング能力は飛躍的に
向上するだろうが、そこまで力量のある教員が少ないのではないか。
スピーキングに関しても同様だ。
近年はALT(英語指導助手)が導入されていると思うが、
その質や時間数、生徒数に対する教員数の比を考えると、全く十分とは言えない。
私の感覚ではスピーキング能力の上達速度は、1クラスの生徒数に比例する。
例えば、4人のグループで会話を習うと、上達のスピードは1対1の
4分の1程度だということだ。
これは人数に反比例して話す時間が短くなることに加え、
トピックが最大公約数的なものにならざるを得ないことにも起因する。
意味のあるスピードで上達するには、インターネット経由でもいいから、
自分の興味にあった会話を1対1でできるということが必須の条件だと思う。
要するに、これまでの文法や読解重視の英語教育というのは、
必要性から生まれたというよりは、日本の英語教育のリソースの制約下で
考えた次善策という側面が強いと言えるだろう。
現在の教育体制を放置したまま、大学入試の英語をTOEFLに代えると、
教育環境の整った大都市圏の裕福な家庭、
子供を留学させたりイマージョンスクールに入れられる家庭
親が英語を話せるような家庭の子女などが更に有利になることは間違いない。
もちろん、英語力が高い子供が有利になるのは一向に構わないわけだが、
ある程度、教育体制を改善して機会の平等を図ることも必要だろう。
3.TOEFLの大規模かつ公正な運用には疑問
もっと実際的な問題は、TOEFL iBT が日本の大学入試ほど発達した大規模な
仕組みに耐えるほどのシステムになっていないということにある。
TOEFLのライティングは、私が受験した当時、
出題されうる問題は200題程度に限定されており、
原理的には全ての問題を「予習」しておけば解答できるようになっていた。
実際には200のエッセイを準備する時間はないので、
典型的なパターンを練習をするだけで終えるのが普通だが、
英語力が足りない子が何とか高得点を取ろうと思えば、
200のエッセイを暗記させる塾が現れることは想像に難くない。
しかし、それでは英語力向上の点では本末転倒である。
その他のセクションにしても、基本的には同じ問題が繰り返し使われる。
TOEFL受験者は守秘義務にサインする必要があるが、
他の受験者に問題を漏らしたとしても、その捕捉は容易でない。
また受験者個人だけとっても、何度も受験すれば、
同じ問題が出題されることもあるのである。
留学熱が高い中国や韓国では試験問題の情報交換が頻繁に行われ、
ETS社は、これらの国で受けたコンピューターベースの
試験スコアを無効にしたことがある。
その結果、裕福な韓国人などは、
わざわざ大阪までTOEFLを受けにやって来ていたのである。
韓国人の友人によれば、大阪の受験会場の近くのスタバは、
韓国人受験生の溜まり場になっていたそうだ。
もしも政府が英語教育を本当に改善したいのであれば、
実用的な英語試験の開発を自ら行うべきだろう。
現状のまま、TOEFLの受験を全受験生に義務づければ、
受験者は大学受験生だけで50万人程度になる。
各受験生が5回試験を受け、毎回約2万円の受験料を払えば、
それだけで毎年500億円の受験料がETSに落ちる計算になる。
政府が少しばかりの予算をつけて検討すれば、
TOEFLと同じ程度に英語の運用能力を図ることのできる試験を開発し
公正に運用することも十分できるのではないだろうか。
(かつてやった参考書)
大学入試で義務づける案をまとめたようだ。
この案にはプラスの面もマイナスの面もあるが、私の第一印象は
「あー、TOEFL受けたことがない人が考えた案でしょ」
であった。
1.英語能力試験として優れるTOEFL
まず、TOEFLの最新の形式である TOEFL-iBT について簡単におさらいしよう。
この試験は、米国のETS社によって作られた、ノンネイティブの学生の
米国大学における英語運用能力を評価するための試験だ。
120点満点で、Reading, Listening, Writing, Speaking
の4科目に30点ずつ配分される。
口語と文語、インプットとアウトプットを均等な点数配分で見るテストで、
大学に進むための正に総合的な英語力を試す試験となっている。
基本的に「米国で学生生活を送るのに支障がないレベル」
が満点に設定されていると考えれば良い。
米国の大学院に入るための基準点は90点前後であることが多いが、
これは「学生生活に支障はあるけど、何とかやっていけるレベル」
だと考えると良いと思う。
この試験は、米国の大学が留学生に求める英語力を測るために、
改良を積み重ねて作られており、大学入試や英検やTOEICなどの
試験と比べても断然、英語の運用能力がきちんと測れるように作られている。
難しいけれども、意味のないマニアックなクイズや「無理ゲー」の
ような試験ではないのだ。
こうした点で、TOEFLは大学生に求める英語力を測る試験として
適していると言える。
2.英語教育体制に問題
TOEFLはきちんと英語を勉強してきた人ならそれなりに良い点を取る事ができる試験だ。
もちろん得点を上げるために対策もできる。
しかし、問題は日本にTOEFLの対策をできるような教育体制が
整っているかという点にあるだろう。
日本人は、一般的にライティングやスピーキングなどの
アウトプットが苦手だと言われるが、これは日本人が生まれ持った性質ではなく、
アウトプットをきちんと評価できる中学・高校の英語教員が少ないせいだ。
毎週、宿題などで短いエッセイを書いてその表現や構成を英語教員が添削する、
というような授業が行われていれば、生徒のライティング能力は飛躍的に
向上するだろうが、そこまで力量のある教員が少ないのではないか。
スピーキングに関しても同様だ。
近年はALT(英語指導助手)が導入されていると思うが、
その質や時間数、生徒数に対する教員数の比を考えると、全く十分とは言えない。
私の感覚ではスピーキング能力の上達速度は、1クラスの生徒数に比例する。
例えば、4人のグループで会話を習うと、上達のスピードは1対1の
4分の1程度だということだ。
これは人数に反比例して話す時間が短くなることに加え、
トピックが最大公約数的なものにならざるを得ないことにも起因する。
意味のあるスピードで上達するには、インターネット経由でもいいから、
自分の興味にあった会話を1対1でできるということが必須の条件だと思う。
要するに、これまでの文法や読解重視の英語教育というのは、
必要性から生まれたというよりは、日本の英語教育のリソースの制約下で
考えた次善策という側面が強いと言えるだろう。
現在の教育体制を放置したまま、大学入試の英語をTOEFLに代えると、
教育環境の整った大都市圏の裕福な家庭、
子供を留学させたりイマージョンスクールに入れられる家庭
親が英語を話せるような家庭の子女などが更に有利になることは間違いない。
もちろん、英語力が高い子供が有利になるのは一向に構わないわけだが、
ある程度、教育体制を改善して機会の平等を図ることも必要だろう。
3.TOEFLの大規模かつ公正な運用には疑問
もっと実際的な問題は、TOEFL iBT が日本の大学入試ほど発達した大規模な
仕組みに耐えるほどのシステムになっていないということにある。
TOEFLのライティングは、私が受験した当時、
出題されうる問題は200題程度に限定されており、
原理的には全ての問題を「予習」しておけば解答できるようになっていた。
実際には200のエッセイを準備する時間はないので、
典型的なパターンを練習をするだけで終えるのが普通だが、
英語力が足りない子が何とか高得点を取ろうと思えば、
200のエッセイを暗記させる塾が現れることは想像に難くない。
しかし、それでは英語力向上の点では本末転倒である。
その他のセクションにしても、基本的には同じ問題が繰り返し使われる。
TOEFL受験者は守秘義務にサインする必要があるが、
他の受験者に問題を漏らしたとしても、その捕捉は容易でない。
また受験者個人だけとっても、何度も受験すれば、
同じ問題が出題されることもあるのである。
留学熱が高い中国や韓国では試験問題の情報交換が頻繁に行われ、
ETS社は、これらの国で受けたコンピューターベースの
試験スコアを無効にしたことがある。
その結果、裕福な韓国人などは、
わざわざ大阪までTOEFLを受けにやって来ていたのである。
韓国人の友人によれば、大阪の受験会場の近くのスタバは、
韓国人受験生の溜まり場になっていたそうだ。
もしも政府が英語教育を本当に改善したいのであれば、
実用的な英語試験の開発を自ら行うべきだろう。
現状のまま、TOEFLの受験を全受験生に義務づければ、
受験者は大学受験生だけで50万人程度になる。
各受験生が5回試験を受け、毎回約2万円の受験料を払えば、
それだけで毎年500億円の受験料がETSに落ちる計算になる。
政府が少しばかりの予算をつけて検討すれば、
TOEFLと同じ程度に英語の運用能力を図ることのできる試験を開発し
公正に運用することも十分できるのではないだろうか。
(かつてやった参考書)