難関中学や一流大学に合格した人、司法試験に受かった人、
音楽やスポーツの大会で上位入賞した人などは、
もちろん、その成果の大部分が自分の努力によるものだと思うだろう。
しかし、世の中には大きな教育機会の不平等が存在している。
成果のかなり大きな部分が、環境に依存するものであることも事実だ。
こうした不平等の大きさは、日米でどちらが大きいのだろうか?
これを客観的なデータを元にして示すことは意外と難しい。
例えば米国の多くの一流私立大学などでは、教育機会の平等を保つため、
学力や人物の他に、親の学歴、家族形態、居住地域、生活環境、経済状態、
人種などを考慮に入れ、不利なグループに属する志願者を
有利に扱うのが公然の秘密だが、そうしたデータは表には出て来ない。
なぜなら、こうした差別が合憲なのかということに関して
未だに議論が終わっておらず、訴訟リスクがあるためだ(
参考記事)。
しかし、米国で子供を育てている実感としては
米国の格差は日本より圧倒的に大きいように感じられる。
そして、その格差は二極化と言われるような単純なものではなく、
何層にも分かれた階級社会のようになっている。
社会的に注目されやすいのは、貧困層の負の連鎖である。
例えば主に貧困層が住むデトロイト市は
人口71万人と島根県全体に匹敵する人口を抱えるが、
市内に住む成人の識字率は53%に過ぎない。
日本でも、高学歴でない両親を持つ子供が良い大学に進むのは難しいかも
知れないが、識字率が53%しかない地区はないだろう。
大阪府の同和地区に限っても識字率は85%を超えている
(大阪市『同和問題の解決に向けた実態等調査報告書』2009年)。
デトロイトのような地域の子供が人並みの教育を受けることは難しい。
中流以上に限れば格差は小さいのかというと、そこにも大きな格差がある。
米国では公立学校別の学力データは公開されており、
教育熱心な家庭はそうしたデータを血眼で読んで良い学区を選ぶ。
例えばミシガン州では、アパートの管理人が住人の人種構成に付いて述べたり、
個人が郵便受けに表札を出したりすることすら禁止されているにもかかわらず、
教育省のウェブサイトを見れば、学校別、学年別、男女別に詳細な人種構成データと
各グループの学力データまで詳細に公開されているのだ。
建前は大事だが、背に腹は代えられぬ、ということなのだろう。
各校の学力データから生徒個人のスコアの分布を割り出して偏差値化すると、
何の入学選抜も行っていない公立学校でも、
良い地区の学校では生徒の平均偏差値が60前後に達する。
これは、生徒の半分が州の上位15%に入っているということになる。
大雑把に日本の公立中学校の話に置き換えれば、
学区内に10校近い公立高校があるのに、
ある中学校では生徒の半分が上位の2校に進学し、
別の中学校では生徒の半分が下位の2校に進学するというイメージである。
日本は教育データがあまり公開されていないので分からないが、
感覚的には格差は米国の方が断然大きいように感じられる。
一般に高所得の世帯の子弟の平均的学力は高いということもあるが、
学区の良い地区の安い住宅には裕福でないが教育熱心の家庭が集まる
ことによる格差も存在する。
実際、学区外からの通学者の生徒の成績は、
学区内からの通学者とほぼ同じであると報告されている。
しかし、環境に恵まれた学校であっても公立学校なのでカリキュラムは貧弱だ。
例えば算数について言えば、東アジアやインド、ベトナム、シンガポール、
ロシアのような熱心な国に比べれば1〜2年は遅れているし、あまり体系的でもない。
また、音楽や体育の授業は、予算カットのせいもあり十分な設備がなく、
気晴らし程度のもののようだ。
格差を感じさせるのは公教育だけではない。
むしろ学校教育以外の習い事において、更なる格差を感じる。
米国の初等、中等教育の段階において一番問題なのは、
経済的な方法で子供に真剣に何かに取り組ませるような
教育体制ができていないことである。
例えば、娘にはサッカー、水泳、絵画、ピアノといろいろと習わせてみているが、
集団での指導は子供を楽しませる事が第一でとにかく教え方がユルい。
また、練習をさせるにしても、事故などを気にしているのか、
ホスピタリティーの基準が違うのか、理由はよく分からないが、
一人づつ練習させるので待ち時間が異常に長い。
水泳教室に娘を連れて行くと、私はベンチで本を読んでいるのだが、
時々顔を上げて娘の方を見ると、十中八九、
娘はプールサイドで順番待ちをしている。
日本だと、大人数のクラスでももっと
流れ作業のようにバンバンやらせる事が多い。
上のクラスも同じプールでレッスンをしているので観察して見ると、
確かに一応みんな泳げるのだが、きちんと教えていないのでフォームはバラバラだ。
センスのいい子や他で泳ぎ方を習ってきたであろう子は綺麗なフォームで泳げるが、
そうでない子は「何とか溺れてはいない」というフォームで
個人メドレーの練習をしている。
意味がないので、この水泳教室は止めさせた。
習い事が、日本の中学校の英会話の授業のよう、
と言えば雰囲気を分かって頂けるだろうか。
ゆるい授業で先生がたくさんの生徒を順番に当てていくだけなので、
50分の授業で平均的な生徒が口にするのは、
"I went to bed at around 11pm yesterday." だけ、
というイメージである。
そんなユルい授業で、英語が話せるようになるわけがない。
もちろん、アメリカにもスポーツが得意な子、音楽が得意な子、
勉強が出来る子などがいるわけだが、そういう子はお金をかけて
個別に先生を雇ってもっとインテンシブにやっているとしか考えられない。
実際、娘のケースでも、ピアノだけは個別指導で、
家でも奴が厳しく指導しているお蔭か、それなりの勢いで伸びている。
しかし、こうして手間とお金をかけられるのは
環境に恵まれた場合だけだ。
良い私立学校に入れれば熱心な先生が懇切丁寧に見てくれて、
こうした問題は解決するかも知れない。
しかし、年間2万ドルを超える学費を払える家庭はそうそうないだろう。
小学校の一年間の授業時間数は千時間弱なので、
一時間あたりでは優に20ドルを超す計算になる。
科目毎に、その分野を専門にする博士課程の学生や
音楽、スポーツのインストラクターを家庭教師に雇っても同じ位の額で
済むかも知れない。
そう考えると、米国でホームスクーリングが流行る理由も分かる。
米国教育省によれば、米国で義務教育期間の子供のうちの3%、
実に150万人もが学校に通わず家庭で教育を受けている。
そのうち、宗教(35%)や障害(2%)などを理由に学校に通わせない親はむしろ少数派で、
学校の教育環境に何らかの不満を持つことを主な理由として上げる親が4割を超す。
グーグル創業者の一人セルゲイ・ブリンは、小学校を出たあと家庭で教育を受けた。
父親は、ロシア出身でメリーランド大数学科の教授であった。
17歳でメリーランド大に入学したセルゲイは、
数学とコンピューターサイエンスを専攻して3年で卒業し、
国費奨学生としてスタンフォード大の博士課程に入学した後、グーグルを創業する。
高学歴層の親の教育に関する関心は高く、
その結果、子供の人生にも大きな影響を与えている。
先日会った統計学者は、娘が数学教育の博士号を取り娘婿も統計学者だそうだ。
彼とディナーに行った際に、
「何か娘に特別な教育をしたのですか」と聞いてみた。
彼は「何も特別なことはしていないけど」と言ったあと、
「娘の中学の数学の先生は簡単な因数分解もできないような問題のある先生だった。
他の保護者も心配なようだったので、
私が州の中高の教員免許を取って娘がいる間、その中学の先生として教えたんだ。
私はたまたまハンガリーの教員免許を持っていたから、
割と簡単な手続きで免許を取れてラッキーだった。」と続けた。
日本でも、早期教育、ゆとり教育の失敗、個別指導の流行などで
教育環境の格差は年々広まっているし、地域間の情報格差も依然として大きい。
しかし、実際に米国で住んでいる肌感覚からすると、
米国での教育の格差は非常に大きいと感じられるのである。
テーマ : 子育て・教育
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