マッタリ・リベラル系女子が少ない日本
海外ニートさんによる、
フルタイムで働く女性に関する記事が面白い。
内容は、「子持ちでフルタイムの女性が発言小町で相談したら
よってたかって叩かれた」というものである。
私は子供が女の子であることもあって、
日本で女性が置かれている社会環境はどんなものか?
ということがここ数年気になっている。
日本の女性とアメリカで見る女性を比べたとき、
一番違うと思うのは、日本では
キャリアに対する考え方が不自然に二極化している点だ。
これを「バリキャリ」と「婚活系」とでも呼ぼうか。
つまり80年代後半以降、男女同権が叫ばれて
女性の選択肢は一応増えたわけだけど、
四半世紀を経ても、社会的価値観は依然として
旧来型保守派の価値観を追求する「婚活系」がベースにあって
それをどうしても打ち破りたい人は「バリキャリ系」
もありますよという感じになっている。つまり
事実上極めて不自由な二者択一を迫られているのだ。
これは日本の雇用制度の特殊性に起因している部分も大きい。
大体、バリキャリなんて表現自体が差別的ではないだろうか。
結婚も子供も諦めて、仕事一筋、途中で階段を
下りることも許されない人生を選びたい人なんて
男女を問わず極めて少数派だろう。
仕事は面白いけど、幸せな結婚もしたいし、子供も欲しいし、
だからと言って他人の二倍頑張るつもりはないから、
マッタリ半分ずつやりたい、
というのがむしろ自然な考え方ではないだろうか。
そういう「マッタリ・リベラル系女子」は
アメリカにはたくさんいる。
例えば日本社会では
「キャリアを中断したくないけど子供も欲しい」という女性に対して、
「じゃあ、育休取らないで子供産めばいいじゃん」と提案したとしても、
そういう意見はほとんど無視される。
一方、アメリカではどうなのかというと、
例えば今住んでいるアパートの事務の女性は、
昨秋に子供を産んで一ヶ月くらいで仕事に復帰した。
彼女は超マッタリした感じの気立ての良いただの事務の
おばちゃんでとてもじゃないがバリキャリのイメージではない。
しかし、短期間で復帰する代わりにマッタリ働いている。
普通にそういう人がいるのである。
あるいは、米国で理系のPhDを取って高給取りの女性はたくさんいるが、
肩肘張って頑張ってるという感じの人はあまりいない。
みんな自然にマッタリやっている。
そもそも理系なんて元々みんなマッタリしているし、
PhDなんて5年も6年もかかるのでマッタリしてなければ
やっていけないだろう。
もちろん、一時代前に二流大のMBA取った女性の中などには
妙にプライドが高くて肩肘張った感じの困ったちゃんもいるが
そういう女性は少数派だ。
結局、生き方が2種類しか選べない社会なんて全然自由じゃないのだ。
日本を女性にとってもっと住みやすい世の中にするには、
正社員に対する社会的価値観を多様化すると共に
硬直的な雇用制度を見直し、
選択肢の多い社会にする必要がある。
もっとも、バブル景気で労働力不足が叫ばれた80年代後半と違って
昨今の買い手市場の労働環境では、そんな社会を構築する
経済的なインセンティブは政府にはないんだろうけど。
フルタイムで働く女性に関する記事が面白い。
内容は、「子持ちでフルタイムの女性が発言小町で相談したら
よってたかって叩かれた」というものである。
私は子供が女の子であることもあって、
日本で女性が置かれている社会環境はどんなものか?
ということがここ数年気になっている。
日本の女性とアメリカで見る女性を比べたとき、
一番違うと思うのは、日本では
キャリアに対する考え方が不自然に二極化している点だ。
これを「バリキャリ」と「婚活系」とでも呼ぼうか。
つまり80年代後半以降、男女同権が叫ばれて
女性の選択肢は一応増えたわけだけど、
四半世紀を経ても、社会的価値観は依然として
旧来型保守派の価値観を追求する「婚活系」がベースにあって
それをどうしても打ち破りたい人は「バリキャリ系」
もありますよという感じになっている。つまり
事実上極めて不自由な二者択一を迫られているのだ。
これは日本の雇用制度の特殊性に起因している部分も大きい。
大体、バリキャリなんて表現自体が差別的ではないだろうか。
結婚も子供も諦めて、仕事一筋、途中で階段を
下りることも許されない人生を選びたい人なんて
男女を問わず極めて少数派だろう。
仕事は面白いけど、幸せな結婚もしたいし、子供も欲しいし、
だからと言って他人の二倍頑張るつもりはないから、
マッタリ半分ずつやりたい、
というのがむしろ自然な考え方ではないだろうか。
そういう「マッタリ・リベラル系女子」は
アメリカにはたくさんいる。
例えば日本社会では
「キャリアを中断したくないけど子供も欲しい」という女性に対して、
「じゃあ、育休取らないで子供産めばいいじゃん」と提案したとしても、
そういう意見はほとんど無視される。
一方、アメリカではどうなのかというと、
例えば今住んでいるアパートの事務の女性は、
昨秋に子供を産んで一ヶ月くらいで仕事に復帰した。
彼女は超マッタリした感じの気立ての良いただの事務の
おばちゃんでとてもじゃないがバリキャリのイメージではない。
しかし、短期間で復帰する代わりにマッタリ働いている。
普通にそういう人がいるのである。
あるいは、米国で理系のPhDを取って高給取りの女性はたくさんいるが、
肩肘張って頑張ってるという感じの人はあまりいない。
みんな自然にマッタリやっている。
そもそも理系なんて元々みんなマッタリしているし、
PhDなんて5年も6年もかかるのでマッタリしてなければ
やっていけないだろう。
もちろん、一時代前に二流大のMBA取った女性の中などには
妙にプライドが高くて肩肘張った感じの困ったちゃんもいるが
そういう女性は少数派だ。
結局、生き方が2種類しか選べない社会なんて全然自由じゃないのだ。
日本を女性にとってもっと住みやすい世の中にするには、
正社員に対する社会的価値観を多様化すると共に
硬直的な雇用制度を見直し、
選択肢の多い社会にする必要がある。
もっとも、バブル景気で労働力不足が叫ばれた80年代後半と違って
昨今の買い手市場の労働環境では、そんな社会を構築する
経済的なインセンティブは政府にはないんだろうけど。