微生物に「わたしは人類」と言わせたい──やくしまるえつこ 微生物と音楽をめぐる対話

やくしまるえつこがバイオテクノロジーを駆使した『わたしは人類』の配信をスタートした。「KENPOKU ART 2016」のテーマソングでもある楽曲は、微生物の塩基配列をもとに制作したという。やくしまるえつこに、その制作秘話を訊いた。
微生物に「わたしは人類」と言わせたい──やくしまるえつこ 微生物と音楽をめぐる対話
PHOTOGRAPHS BY by MIRAI SEISAKU, PHOTOGRAPH BY by MAYUMI ISHIKAWA
YAKUSHIMARU ETSUKO|やくしまるえつこ
音楽家として「相対性理論」など数々のプロジェクトを手がけるほか、メディアアート作品の制作、楽曲提供やプロデュース、文筆と多岐にわたる活動を行う。人工衛星や生体データを用いた作品、人工知能と自身の声による歌生成ロボット、独自のVRシステムを駆使した舞台操作及び演奏指揮などを次々に発表。近年の活動に、森美術館「LOVE展」(2013年)、豊田市美術館「反重力展」(13年)、相対性理論 × Jeff Mills「スペクトル」(15年)、相対性理論「天声ジングル」(16年)など。茨城県北芸術祭では、バイオテクノロジーを駆使したテーマソング「わたしは人類」を制作。yakushimaruetsuko.com

音楽家として「相対性理論」など数々のプロジェクトを手がけるほか、メディアアート作品の制作、楽曲提供やプロデュース、文筆と多岐にわたる活動を行う。人工衛星や生体データを用いた作品、人工知能と自身の声による歌生成ロボット、独自のVRシステムを駆使した舞台操作及び演奏指揮などを次々に発表。近年の活動に、森美術館「LOVE展」(2013年)、豊田市美術館「反重力展」(13年)、相対性理論 × Jeff Mills「スペクトル」(15年)、相対性理論「天声ジングル」(16年)など。茨城県北芸術祭では、バイオテクノロジーを駆使したテーマソング「わたしは人類」を制作。yakushimaruetsuko.com

情報の羅列でしかない

──今回はバイオテクノロジーを使った曲づくりをしたそうですが、どういったものなのでしょう?

DNAを記録媒体として使うことにはずっと興味がありました。音楽でいうとDNAがメディアで、遺伝子が音楽といったようなイメージで。人類が存在する前や、存在がなくなったあとも残り続ける「記憶」とか「記録」といったものを考えたときに、そこに昔から存在している微生物の自己複製能力とそのDNAのことを考えました。遺伝子は「A」と「G」と「C」と「T」という4つの塩基をもつDNAの組み合わせによって伝えられる。音楽の情報もデジタルなら「0」と「1」の配列で表せる。それならもう、DNAは記録媒体として扱えるんじゃないかなって。

──人類目線からすると滅亡ってすごいことな気がしますが、やくしまるさんは、人類はいてもいなくてもありえる世界を常に頭のなかに想定しながら活動してる気がします。

「わたしは人類」なんてタイトルなのに、わたしが人類であるっていう感覚はあまりありません。人類が存在しているとき、していないときっていう感覚がないというか。

──自分の死後の世界も考えながら活動していますよね。300年後とか1,000年後とかに、データとして残っているやくしまるえつこを誰かに見られる可能性があるとか、そういうことを念頭に置いている。スケール感が、現世で売れたいとかそういうことではなくて、未来の誰かの解釈に晒される可能性をいつも意識している印象があります。

そうですね。作品自体は自分と切り離されているものと思っていて、それは読み解かれた時点で作品が現れるという感覚です。読み取り手がないことには、作品があってもそれはただの情報の羅列でしかないもので、逆に言うと、どういう状況でどんな人が、あるいはどんなものが、その情報をどのように読み取るのかっていうことが、作品にとってはほぼ全て。だからこそ、全方位に開いていた方がおもしろい。

Created with GIMP on a Mac

やくしまるえつこ『わたしは人類』(Apple Music/iTunes Storeにて先行配信中)

50万年後

機械が読み取るとどういうふうに変換されるのか、人工知能がその音楽を聞くとどういう解釈を示すのか、あるいは地球外生命体のフィルターを通すとどういう色に映るのか、そしてそこにはどんな差異が発生するのか。そのような思索の一環として、人類が滅亡したのちに誕生するポストヒューマンにもこの情報の羅列を解析してもらいたいと思ったのです。

ここで記録媒体の寿命についても考えなくてはなりませんでした。例えばCDの寿命、これは数十年といわれています。紙でいうと中性紙は数百年。近年1,000年もつ紙がつくられたりもしてますが、そのくらいのものです。対してDNAの記録媒体としての寿命は、物理化学的には50万年。なかには何千万年だとか、信ぴょう性があるかはさておき何億っていう単位でも、DNAが残っていたという報告があったりします。そう考えるとDNAの寿命は長い。実験するにはとても適した媒体だったので使ってみようと思いました。

「人類滅亡後の音楽」とわかりやすく言っていますが、この文明のうえにいない生命体であれば読み解き方は絶対的に違うわけで、そこに興味があったんです。こういうコードや配列があるとなったときに、それにどういう音が割り当てられるのか、あるいは色として認識するのか、形として、文字として、はたまた新しい何かとして。そんな風に読み解かれるごとに機能が出現していく、誕生していくと思うと、とても楽しいです。

怖くない

──「自分自身を証明する」ことを歌うミュージシャンが多い中で、やくしまるさんはどう受けとめられてもいいというか、自分や作品をツールとして差し出してきたように見えます。その中でも、今回は最高レベルの譲り渡しというか。どう読み解かれるかを考えたときに、人類が滅亡しているっていう前提に立って、人類が確認できない世界でも読み取られる可能性を持たせている。未来に向かって投げるというのはすごく勇気のいる表現だと思いますが、怖くはないですか?

怖いというのは全く無いですね。そういう意味ではどう読み解かれようと気にもならないというか。音楽も遺伝子も、配列でしかない。音楽だったら音の並びや重なり。遺伝子だったらDNAの塩基配列。そのなかで遺伝子っていう機能が、あるいは音楽が出現するっていう瞬間があるだけのこと。配列はさも「なにか」であるかのように見えたり聞こえたりする。それはとてもマジカルで、すこし不気味。だからこそ、その見えているものが絶対かのように思えるけれども、絶対的なのは配列自体でしかなくて。それがどんなかたちをとるかは読み取り方次第。

──どのレシーヴァーを使うかで、アウトプットは変わってくるという。

そう。それにデータは生き残って運ばれるために変異を起こすこともあります。そのようにミューテーション(突然変異)はさまざまな行程で発生しうるものです。だから別に、それがどう読み取られようがどうでもいというか。やくしまるはそれでいいと思っています。音楽だって人だって情報の配列の結果でしかないから。

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(どうでも)いい話

──今回の企画を聞いたとき、円城塔さんが書き下ろした特殊な構造のテキストをやくしまるさんが解読・再構築した『タンパク質みたいに』が頭に浮かびました。

やくしまるにとってはいままでも

他者が人間であるか
人間以外のものであるか
どの時間軸の存在であるかなどは
どうでもいいこと

なるほど。タンパク質はアミノ酸が複数結合した鎖状の分子です。今回の作品はこのタンパク質を構成するアミノ酸をコードする3つ組の塩基配列「コドン」をルールに用い、また塩基配列自体も楽曲に使用しています。そう考えるとたしかに『タンパク質みたいに』の親類ともいえますね。実際のところは特に関係を意識することなく制作したものです。アミノ酸の成り立ちから考えたわけではなくこのことが頭に浮かんだのだとしたら、それはあなたを構成しているタンパク質たちが騒いだのかもしれません。いい話ですね。

──これまでも「手紙」や「信号」といったモチーフ、あるいは自身のデータ化を通じて、「伝達」や「記録」という問題を扱ってこられましたが、今回はそれを明確にはるか未来の、しかも人類以外の生物に向けられている点が新鮮です。

やくしまるにとってはいままでも他者が人間であるか人間以外のものであるか、どの時間軸の存在であるかなどはどうでもいいことであったともいえます。たとえば『ロンリープラネット』も、何万光年も先から発信されているメッセージともとれるような曲ですから、そうすると受信する存在は何万年後という未来の存在だったりするわけで。もはや発信者はいないかもしれないし、地球に誰もいないかもしれない。そんな共通項が『わたしは人類』と『ロンリープラネット』にあると思ったので、今回『ロンリープラネット』の楽曲情報をゲノムに組み込んだ微生物もつくりました。

やくしまるの楽器dimtaktは、9次元を駆使して音を出し光を放つ。

CODEとCHORD

──微生物に楽曲データを入れるって、パッと聞いただけではどういうことなのか想像がつかないのですが、どんなプロセスで制作を行ったんでしょう?

これまで自分の生体データを使って作品をつくったり、存在している場所の座標を音に変換したり、さまざまなことをしてきました。例えば生体データなんかは究極の個人情報でもあるので、やくしまるの実際の生体データ(脳波、心拍、まばたき、口、喉の動き)がリアルタイムで送られてくるサイト「YAKUSHIMARU BODY HACK」をつくったり。そんなことをしているともちろんDNAのことを考えずにはいられず。DNA情報を音やほかのなにかに変換・応用することや、DNAを記録媒体として扱うことにについて調べるため、NITE独立行政法人 製品評価技術基盤機構のバイオテクノロジーセンターというところに勉強を兼ねて視察に行かせてもらったんです。

アミノ酸をコードするコドンで
コードをコードしよう!
完璧じゃない?

設備が整っていて、微生物の収集や保存、分譲をしていたり、ゲノム情報の提供をしてくれる夢のような施設です。そこでいろんな研究者の方の話を聞かせてもらったり、微生物やゲノム、遺伝子組換えを使って自分がやろうとしていることの話を聞いていただいたりしました。ゲノム情報があればそれを音や絵などに置き換えるシステムはつくれるので、いつかそれもやりたいなと思っています。

ただDNAの塩基配列を解析するDNAシーケンサーという装置はとても大きく、解析に時間もかかり、そして値段も高いのです。リアルタイムでゲノムを変換するにはまだちょっと手に余ります。でもすごくかっこいいです。DNAシーケンサーが、携帯電話くらいの装置になったら楽しいのにな。

と、そんな話をしているうちに、現在のテクノロジーでできることとできないこともわかり、依頼のあった「海か山か芸術か」がコンセプトであるKENPOKU ART 2016のテーマソングのことも考えて、まずは県北地域の海と山に生息しているもののなかから遺伝子組換えに適した微生物を探し出し、最終的に「シネココッカス」というシアノバクテリアを記録媒体にしてみることにしました。

──シネココッカスにどうやってデータを乗せていくんですか?

まず音楽をDNAに置き換えるためのルールが必要でした。ルールのつくり方はいろいろ考えられるけど、今回は「コドン」という塩基が3つ組になったものを使用することにしました。なぜかというと、やりやすそうだなというのもあったのですが、さっき少し話したように、コドンってTCTとかGGAとかがそれぞれひとつのアミノ酸をコードしているんです。だから、「アミノ酸をコードするコドンでコードをコードしよう! 完璧じゃない?」って、思っちゃったんです。ダジャレです。

〈コードする〉のコードと〈音楽〉のコードは、英語の綴りは違うんですけど、研究者の方々とも「音楽でも、遺伝子工学でもコードって似ているね!」みたいな話で盛り上がったりもしました。ほかにもシーケンサーやトランスポーズなどリンクするような用語があるし、考え方を共有しやすい分野だと思います。今後は音楽をデジタルデータにして0と1の状態にしてそれを置き換えるというのもいいなと思っていますが、今回はつくった楽曲をコドンに変換して、コドンは3つ組の塩基配列なのでそれが連なった長いDNAシークエンスの設計図をつくり、人工合成しました。

【KENPOKU ART 2016 参加アーティストトーク #2】風と光を可視化するテキスタイル:森山茜×畑中章宏×林千晶

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「わたしは人類」さん

そうやってDNAを人工合成したものを、対象の微生物に組み込む。組み込み方もひとつではないですが、今回はちゃんと染色体に組み込みました。

それらがうまくいくかどうかっていうのは人工合成の前から色々計算してやらないといけなくて、例えば「CG」含量が局所的に75パーセントを超えないようにするとか、9塩基以上の同一塩基の連続を含まないとか。そういったことも意識しながら音楽を制作しました。繰り返し配列が多すぎるとやはり人工合成がうまくいかないので、楽曲内で変化をもたせるタイミングを計ったり。

微生物に「わたしは人類」って

言わせたかったんです

──人工合成した微生物に名前をつけていますか? もしかして「わたしは人類」は、この微生物の名前ですか?

はい。微生物に「わたしは人類」って言わせたかったんです。何が人類なのかってどうでもいいから。人類による人類の定義なんて、人類滅亡以降の生物にとってはどうでもいいこと。可愛いですよ?「わたしは人類」さん。本来のシネココッカスと比べると少し色味が変わったり、あとは発育にも普通より時間がかかったりもします。これは使用する微生物にもよるのですが、たとえば大腸菌なんかだともっと簡単で早いです。

──微生物からぼくたちが音楽を読み取りたいときには、どうすればいいんですか?

かっこいいかっこいいDNAシーケンサーを使ってください! 本当は微生物そのものも配信したいところだけど、バイオテロになっちゃうから…。今回、シネココッカスの遺伝子組換えをする、しかもその目的が農業などではなく、音楽作品の展示ということで産業扱いとなり、経産省の管轄なんです。それは前代未聞で前例がないことだったので、経産省の大臣の認可が必要でした。認可が降りないと、展示はできないんです。まずそれが第一関門でもありました。

組換え体が絶対に外にもれないような設備が整っているのかとか、もし散らばってしまったり、組換え体が逃げ出したときに、すぐに不活化できる人がその場にいるのかとか。いろいろな課題をクリアして、やっと展示にこぎつけることができました。

今回は初の遺伝子組換え体の産業利用という扱いだったけど、産業利用されることは今後きっと増えると思います。もうちょっと先になったら、微生物でリリースも夢じゃないかなとは思うけどね。

【KENPOKU ART 2016 参加アーティストトーク #3】青い密室と鏡の魔:石田尚志×畑中章宏×若林恵

9月17日から開催されている「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」。その第3弾として映像作家の石田尚志と民俗学者の畑中章宏、弊誌編集長によるトークショーが開催された。

進化を止めて/止めないで

──バイオテクノロジーを使うことで、今後、表現はどうなっていくと思いますか?

おもしろいと思います。生物を設計図から変容させることのできるテクノロジーですから、取り扱い注意とされながらも今後は確実にみんなが触れていくものだと思います。自分自身をデザインすることも可能なわけだから、やっぱりそのうち人類の定義だって変わっちゃうんじゃないかな。

個人的には表現の分野に限らず、記録媒体としての可能性もすごく感じています。ただ、さっきも少し触れましたが、塩基配列は変異を起こすこともままあるのです。その結果もちろん遺伝情報にも変化が表れます。『わたしは人類』の曲のなかで、微生物「わたしは人類」さんは「進化を止めて/止めないで」と歌っています。変異は進化を促しますが、それは種が変わっていくことでもある。「わたしは人類」さんは自身が進化することにより、楽曲情報をもった塩基配列が失われ、「この歌を歌えなくなるかもしれない」と、進化の狭間で揺れているのかもしれません。

じつは『わたしは人類』の楽曲をつくる段階で、シネココッカスのトランスポゾンという塩基配列も取り入れています。シネココッカスがそもそももっている塩基配列を組み込んで楽曲をつくり、その楽曲をさらにDNA変換して、それを再度シネココッカスに入れる、入れ子状になっているわけです。そしてこのトランスポゾンは「動く遺伝子」といわれていて、ゲノム上を転移することができるんです。

そんなだから、この子がまさにゲノム改変、突然変異の原因になるのです。そんな爆弾を仕掛けられた「わたしは人類」さんがこの変異を止められるのか、はたまたどんなふうに進化してしまうのか観察したいですね。音楽の歴史も変異を発生させながら時空を超えて拡散するものだし。

あらあらこんにちは

──やくしまるさんはどんどん視点が超越的になってきてる感じがします。初期の頃の日常の一風景を描くような歌詞の世界から、リスナーの感覚のスケールを広げるような歌詞になってきている。今回も、アダムとイブから哲学や宗教まで想像させるような部分も歌詞にあり、人類史をコンパクトに書いてるような印象もあります。

今回「人類」というワードを使ったのは、遺伝子組換えのような遺伝子工学だとか、人工知能だとか、そういった分野が目に見えて発展してきたことにより、研究職じゃない人々のあいだですら、自分たちが人間という「個体」であることより人類という「種族」であるということを意識しやすい土壌が整ってきてると思ったからでもあります。10年以内に太陽系内で地球外生命体を発見できそうなんてNASAの話もありますしね。2045年のシンギュラリティをひかえて、そんなタイミングなんだと思います。

PHOTOGRAPHS BY by MIRAI SEISAKU

PHOTOGRAPH BY by MAYUMI ISHIKAWA

INTERVIEW BY by TAMAKI SUGIHARA

TEXT BY by WIRED.jp_N