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SZ Newsletter VOL.249「地面の再未来化 」

定住や都市の誕生以来、人類が血眼になって確保を試み、戦争を起こし、地面師が暗躍し、誰もが大枚をはたいて私物化してきた「地面」とはいったいなんだろうか? 編集長からSZメンバーに向けたニュースレター。
編集長からSZメンバーへ:「地面の再未来化 」SZ Newsletter VOL.249
WIRED JAPAN

南海トラフ地震のことから書き起こした先週のニュースレターに続いて、今週は台風7号の到来を目前に、各所で被害が拡がらないよう案じながらこの原稿を書いている。台風となると、拙宅の築50年を超えるボロ屋がもちこたえられるのか毎度心配になるし、3年前に即席DIYでつくった木材と金網の鶏舎が吹き飛ばされはしないだろうかとハラハラする。加えて、いつも気をもむのが、この10年間で少しずつかたちづくってきた庭と、その土地に定着していった草木のことだ。

かつてこのニュースレターで書いたこともあるけれど、庭仕事は自分にとって趣味というだけでなく、ヘッセが『庭仕事の愉しみ』で「庭仕事とは、魂を解放する瞑想である」と言っているように、人生の欠かせない営みとなっている。都心のマンションから鎌倉に引っ越したのも、トレイルランニングを日常的に愉しみたかったのと同時に、庭が欲しかったから、というのが大きい。資産家でもなければ、それは都内23区では難しいことだし、東日本大震災のときに、マンションの眼下に拡がる国道の大渋滞、帰宅困難者の途切れることのない波、棚からあらゆる食品が消えた近所のコンビニとスーパーの風景を目の当たりにしたことで、こうした大都市のライフラインだけにすべてを頼る生活を脱し、もう少し土壌の地面があるような、そんなライフスタイルを志向するようになったのだ。

地面といえば、いま人気のNetflixオリジナルドラマ『地面師たち』をご多分に漏れず一気観してしまった。地面師が大勝負を仕掛ける土地はドラマでの設定ではかつて住んでいたマンションのほど近くで、実際に、高輪ゲートウェイと思われる建設現場からその土地を彼らが睥睨する先には、かつて自分が住んでいた緑色の高層マンションがくっきりと映り込んでいる。ちなみに、土地をめぐる狂騒やフェティシズム、それに高度な集団詐欺が織り成すスリルとカタルシスという点をもっと強調するためにも、グローバルの視聴者に迎合したような過剰な暴力やセックスの描写はいらなかったんじゃないかと思う。例えば『オーシャンズ11』と『地面師たち』が違うのは、何か具体的なターゲットを物理的に盗み出すのではなく、自分たちの所有物ではないもの(土地)を空売りすることで何十億という金額を詐取する点にある。そこには、土地を“所有”するという行為自体の壮大なフィクション性が炙り出されているように思うし、そこにこそドラマの妙味があると思うのだ。

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そういうわけで、鎌倉でささやかながらも確保した100坪の敷地も実はお寺の借地なのだけれど、「借地権」なるものを設定されそこに住み続けている限り、けっきょくのところでこの土地の営みがどこに帰属するのか、法律上は明確であっても、実際上はとても曖昧なものとなる。それをとりわけ意識させるのが、庭の木々たちだ。

もともと、10年前にここに引っ越してきた時点で、庭には山桜や枝垂れ桜、紅葉、唐楓、大手毬、紫陽花といった木々に加えて、3、4階分の高さになるムクの大木が庭先の滑川沿いにそびえ立っていた。そこから少しずつ樹種を加え、あるいは植え替えをするなどして、柏葉アジサイに雪柳、小手毬、シモツケ、シャクナゲ、ムクゲ、西洋ニンジンボク、ツツジ、ツバキ、バラ、イチゴノキ、月桂樹、カリフォルニアライラック、ヒメシャラ、レンギョウなど、さまざまな木々を、適所を毎年試行錯誤しながら植えてきた。けっきょく定着せずに真夏や真冬に溶けてなくなってしまったものは、ここには数え切れないほどある。例えばシコンノボタンのあの吸い込まれるような赤紫の花が大好きだけれど、いま植えている苗はすでに3代目となるし、真夏に気持ちいいビタミンカラーのオレンジの花を咲かせるノウゼンカズラは、いつまでたっても成木にならない。

さらには、当初の目論見どおり果樹も少しずつ増やしている。もともと柿の木や梅、夏みかん、スダチ、キンカンといった木々が植わっていたのだけれど(残念ながら杏の木は今年枯れてしまった)、イチジクやレモン、ブルーベリーにラズベリーにマルベリー(桑)、最近友人から譲り受けたフィンガーライムの木も順調に育っている。加えて庭の一角には3×3mほどの菜園があり、いまやトマトやキュウリ、ナス、オクラ、シシトウといった夏野菜が育っている。そしてもちろん、ニワトリだ。庭先養鶏を始めて3年が過ぎ、2羽いるニワトリのうち1羽はもう卵を産まなくなってしまったけれど、毎日元気に庭に放し飼いにされて暮らしている。新鮮な卵が食べたいときにすぐに手に入る環境も含め、自給自足にはほど遠くても、自分で何かを生産できる、という意味で「土地をもつ」ことの意義を存分に味あわせてくれる。

いま少しずつ増やしているのがいわゆるオージープランツ、オーストラリアやニュージーランド、南アフリカなど南半球の樹木だ。もう何年もブームになっていて、最近は入手しやすくもなっているけれど、こちらもやはり、原産地と鎌倉の生育環境の差があって、プロテアなどは盛大に枯らしてしまった。いまはグレビレアやアデナンサス、ウエストリンギア、ギョリュウバイにコルジリネ、メリアンサスにディアネラなんかを地植えで育てている。日本のこの鎌倉の気候で、世界中の木々が植えられたなか、このオージープランツをどのように植栽に自然に混ぜ込んでいくか、という試行錯誤がまた楽しいのだ。

こうして長々と木々のことを書いたのは、その土地が誰のものかという話をするときに、土地売買契約書には記載されない、さまざまなステークホルダーが、そこに住む人間と同じように歳を重ねているという想像力を喚起したかったからだ。先週末に本誌の取材で横須賀にあるSHO Farmさんを訪ねる機会があったのだけれど(ここが発信源になって三浦半島から葉山、逗子、鎌倉にまで庭先養鶏のムーブメントが拡がっていった)、いまは「家畜」というものへの向き合い方をいろいろと考えていて、養鶏も続けるべきかどうか悩んでいるのだという。その話から、では農家の野菜や植物は、家畜とどれだけ違うのか、という話になってとても考えさせられた(詳しくや本誌やWebで)。例えばアリス・ロバーツの著書『飼いならす』(原題はTamed)では「世界を変えた10種の動植物」としてニワトリや牛とトウモロコシやムギが同列に論じられている。

次号の「リジェネラティブ・シティ」特集でもまた、地面はとても大切な要素となる。それは、再開発のための土地、ということ以上に、土の見える地面をいかに取り戻すのか、という議論になるかもしれない。そして忘れてはならないのは、土に戻った地面はもはや売買契約書の字面に収斂するような抽象的な「土地」ではなく、そこに草木が生えて微生物や虫たちが群がるマルチステークホルダーによるコモンズになるということだ。都市においてそういう意識はいかにして醸成されるだろうか。そんなことを考えながら、庭の木々や草花がこの台風を乗り切ってくれることを祈っている。

『WIRED』日本版編集長
松島倫明

※SZ NEWSLETTERのバックナンバーはこちら(VOL.229以前はこちら)。

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地震や大規模災害からの復興に取り組み続ける日本は、リジェネラティブな都市の姿をめぐってそのビジョンを常に上書きしていける稀有な立場にあるのかもしれない。編集長からSZメンバーに向けたニュースレター。