巨大津波を予測する手がかりは「土の中」にある

ハワイのカウアイ島で、いまから400~600年前に巨大津波が到達していたことを示す堆積物が発見された。シミュレーションと実データから、アリューシャン列島で発生したM9.25の地震によるものとされている。
巨大津波を予測する手がかりは「土の中」にある
IMAGE BY RHETT BUTLER

アラスカ州からカムチャツカ半島にかけて、さまざまな地点を震源とする地震と津波のシミュレーション。

2001年に、ハワイのカウアイ島南東部にあるシンクホール(陥没穴)から、過去の津波による堆積物が見つかった。シンクホールの開口部は海岸線から約100m離れた場所にあり、またそこは海抜が7mを超えている。

この地域で記録されている過去最大の津波は3mで、1960年にチリで発生したマグニチュード9.55の巨大地震によるものだった。シンクホールに痕跡を残した、7mを超えたと見られる津波は、いつどのように発生したのだろうか。

カウアイ島のシンクホールは、約7,000年前に(洞窟が陥没して)できたものだが、このホールで津波の堆積物は1回分しか見つかっていないため、この津波は例外的な出来事だった可能性が高い。

ハワイ大学の研究チームは、問題の堆積物が示すような大津波がカウアイ島に到達する可能性を検証するべく、環太平洋において発生するさまざまな地震のシミュレーションを行った。

「Geophysical Research Letters」に発表された研究では、津波の伝播を再現するモデルを使い、米アラスカ州からロシアのカムチャツカ半島にまたがる領域を震源とするマグニチュード9.0~9.6の地震を発生をシミュレートした。

アラスカ半島とカムチャツカ半島の間に連なるアリューシャン列島の東部沿いに地震を発生させたところ、ちょうどハワイが津波の直撃範囲に入った。この領域で、マグニチュード9.25以上、断層が35m以上ずれる地震を発生させると、津波がカウアイ島のシンクホールにまで到達するという結果が出た。

カウアイ島のシンクホールで見つかった津波の地層は、放射性炭素年代測定によって、西暦1430~1665年のものと推定されている。

津波の堆積物はアリューシャン列島の島のひとつでも見つかっているが、こちらは高さが海抜18mに達する。いちばん新しい津波の地層は、1957年にその付近で発生したマグニチュード8.6の「アリューシャン地震」に対応しているが、このときカウアイ島のシンクホール地域に到達した津波の高さは2mだった(この地震では、アリューシャン列島のウニマク島に22mの津波、ハワイの一部では最大16m強の津波が到達したとされている)。

そのひとつ前の地層は1530~1665年のものと推定され、カウアイ島のシンクホールで見つかった津波の堆積物と年代が一致する可能性がある。

この年代の堆積物は、カナダのブリティッシュコロンビア州から米オレゴン州にかけての地域でも発見されている。モデル計算によると、この年代にアリューシャン列島で発生したマグニチュード9.25の地震は、(ハワイのほかに、)日本に最大1m、米国とカナダの太平洋沿岸地域に最大3~9mの津波をもたらしたと推定される。

1700年におけるカスケード地震発生10時間後の津波をコンピューター・シミュレーション。Image:米国地質調査部(USGS)、画像は日本語版過去記事より

このような「ビッグウェーヴ」が再び発生したら、津波は約4時間半でハワイに到達する。研究チームは、現行の警報システムの信頼性に懸念を示しており、アリューシャン列島周辺には、地震による津波を検知できるセンサー(後述する米国海洋大気庁(NOAA)のDARTシステム)がわずかしか設置されていないと指摘している。こうしたセンサーは数カ月にわたって故障することがたびたびあり、バックアップのセンサーを設置することが望ましいという。

※NOAAは、ハワイのオアフ島で「太平洋津波警報センター」(Pacific Tsunami Warning Center:PTWC)を運用している。これは、ハワイとアラスカで165人の犠牲者が出た1946年のアリューシャン地震(マグニチュード8.1)を受けて、1949年に設立された。中核となるのは、海底津波計 (Deep-ocean Assessment and Reporting of Tsunamis : DART) システムで、2001年までに太平洋に6つのステーションが設置されている。

なお、米国北西部の「カスケード沈み込み帯」で1700年に起きたマグニチュード9の地震は、日本にも甚大な津波被害をもたらしたことが古文献でわかっている(日本語版記事)。これと同程度の大地震が、今後50年以内に75%の確率で発生するとの予測もある(日本語版記事)。

TEXT BY SCOTT K. JOHNSON

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TRANSLATION BY TOMOKO TAKAHASHI, HIROKO GOHARA/