GoProでぼくらが獲得した「新しい視点」:映画『リヴァイアサン』

漁船にGoProを10台ほど詰め込んで撮影されたこのドキュメンタリー映画は、「これまで誰も試みたことのないやりかたで捉えた、現代商業漁業の鮮烈な姿」をリアルに描写している。現在日本でも上映中のこの作品の見どころを紹介しよう。
GoProでぼくらが獲得した「新しい視点」:映画『リヴァイアサン』

(c)Arrete Ton Cinema 2012

サーフィンやスノーボードだけでなく、子どもの成長記録や犬の水中ダイヴまで、さまざまな撮影が試みられているウェアラブルカメラ「GoPro」。

その新たな表現の可能性を示すドキュメンタリー映画『リヴァイアサン』が現在、公開されている。


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この映画を製作したのは、ハーヴァード大学「感覚民族研究所」ディレクターのルーシァン・キャステーヌ=テイラーと、同研究所に所属するフランス人映画作家のヴェレナ・パラヴェルのふたりだ。

すべてのシーンがマサチューセッツ州ニューベッドフォードから出港した底曳網漁船アテーナ号の中と、その周辺の光景のみで構成されている。しかし、その映像は「海洋ドキュメンタリー」と言われて想像するものとはまったく異なる。轟音とともに暗闇の中を動く金属製の物体、船の揺れにあわせて水の中を漂う死んだ魚、船から海に放出される無数の貝殻などが登場する。

この映画の撮影には、1台のデジタル一眼レフカメラと約10台のGoProが使われている。GoProを漁師や船体や網などあらゆるところに取り付け、撮影者の意図が介在しない形で撮られた映像をふくむ150時間以上の映像素材をつなぎあわせて、1本の「物語のない」映像作品に仕上がっている。

(c)Arrete Ton Cinema 2012
(c)Arrete Ton Cinema 2012

「まったく海を映さずに、漁業についての映画をつくろうと思っていた」というふたり。彼らがこのような表現に行き着いたキーワードとしてあげるのが、「共有人類学(shared anthropology)」だ。

共有人類学は映画監督で文化人類学者でもあったジャン・ルーシュにより提唱された概念で、人類学者と調査地の人々が映像制作を通して双方の視点や経験や知識を共有することを意味し、多くの場合それは人類学者が学びを得ることを可能にするとともに、「声なき人々」に声を与える働きをもつ。

ふたりは船上での映像制作の過程で、「GoProを使えば、実験を重ねながら、作品をある種の集団制作に変容できるのではと期待した」という。カメラは漁師の体に貼り付いただけでなく、船底の隅っこに入り込み、甲板の魚たちの中に置かれ、魚の内蔵をついばむカモメに迫る。

その映像はときに何を写しているのかまったくわからないことすらあるが、それはいままで観たことがない人間以外の視点から捉えられた映像だからだ。そのようにして共有人類学が言ういうところの「人類学者と調査地の人々」という関係をさらに超え、人間の営みとその対象となる生き物や環境の関係を、その双方の視点から捉え、シェアすることにつながっていく。そしてそれを観るわれわれは、ふたりが言うように「人間をより広い生態学的・宇宙的文脈のなかで捉え直すこと」ができるのだ。

そのような映像の構築を可能にしたものこそGoProという新しい撮影手段である。「こんなドキュメンタリーを観たことがあるはずがない」(ハフィントン・ポスト)、「古いドキュメンタリーのパラダイムを破壊する」(ヴィレッジ・ヴォイス)と評されるように、この作品はこれまでのドキュメンタリーの文法をひっくり返した。映画の素材はもはや作り手によって撮られたものでなくてもいいばかりか、人間が撮ったものでなくてもいいのだ。

ただ、その映像は見たこと/感じたことがないものであるために、ときには不快感や恐怖を感じさせ、あるいは退屈なものにもなりうる。しかしそれでいい。どう感じ、それをどう解釈するかは観る人それぞれに任されているのだから。

『リヴァイアサン 』(2012年、アメリカ・フランス・イギリス合作)。シアター・イメージフォーラムにてロードショー公開中、他全国順次。

TEXT BY KENJI ISHIMURA