イスラエルとパレスチナの子ども取り違え共存の道探る:映画『もうひとりの息子』監督に訊く

イスラエルとパレスチナの赤ん坊が、戦時の混乱で取り違えられる。18年間愛してきた息子は、実は「敵」の子どもだった。深まる宗教・文化対立、終わりのみえない武力紛争。家族とは、アイデンティティとは何か。ふたつの家族が試練に向き合い、共存の道を探る映画『もうひとりの息子』が10月19日(土)に公開される。ロレーヌ・レヴィ監督は、異なる他者と共存するには「尊重と敬意が必要」と語る。
イスラエルとパレスチナの子ども取り違え共存の道探る:映画『もうひとりの息子』監督に訊く

ロレーヌ・レヴィ

ロレーヌ・レヴィ | LORRAINE LEVY
1985年劇団「La Compagnie de l’Entracte」を設立。91年「ゼルダ、または仮面」で仏SACD(劇作家・劇作曲家協会)の最高栄誉「ボーマルシェ賞」を受賞。舞台の脚本・演出担当を経て、映画の脚本執筆を開始。2004年に初の劇場用長編映画『私が20歳であった最初の頃』を監督。12年、長編3作目『もうひとりの息子』で第25回東京国際映画祭グランプリ、最優秀監督賞をダブル受賞。

イスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)が「暫定自治宣言」(オスロ合意)に調印して20年。今年7月に直接交渉が再開されたが、和平実現は遠いのが実情だ。『もうひとりの息子』の家族は、パレスチナ自治区とイスラエルを隔てる「分離壁」の両側で暮らしている。壁の内側に閉じ込められ、厳しい暮らしに耐えるパレスチナの親子。取り違えでユダヤ人であることを否定され、アイデンティティに悩むイスラエルの息子。両者は悩み、葛藤しながら相手に向き合い、少しずつ距離を縮めていく……。

映画の日本公開に合わせて9月、東京都内でイスラエル、パレスチナ両駐日大使を招いた特別上映会が開かれた。パレスチナのワリード・アリ・シアム大使は「壁の向こうに住む者として、人々の生活はとても厳しいと伝えたい。いまは素早い行動が必要だ。隣国イスラエルと平和に共存できると信じている」と強調。涙ながらに作品を観たイスラエルのルート・カハノフ大使は「過去につくられた戦争映画の多くは、一方が相手を非難するものだった。わたしたちにはいま、楽観的な映画が必要だ。互いに尊敬し、愛し合い、共存できる解決方法が必ずあると思う」と話し、シアム大使と手を取り合った。

一方、ロレーヌ・レヴィ監督はユダヤ系フランス人として高いハードルに取り組んだ。「わたしに語る資格があるのか」と常に問い続けたという。宗教、文化が異なる他者と暮らす難しさを、映画は抑制をもって静かに語る。イスラエルやパレスチナの人々がどんな街に暮らし、どう日々を過ごしているか。遠い日本に暮らすわたしたちに伝える作品でもある。


──撮影のため現地に4カ月間住んだと聞きました。事前に報道などで得た情報と比べ、何にいちばん驚きましたか?

(ユダヤ系フランス人の)わたしは、昔からイスラエルに親しんできました。18歳のころからキブツ(農業共同体)に3カ月間住み込んだり、休暇をエルサレムなどで過ごしたり。まったく未知の場所ではありませんでした。だからそれほど意外性はなかったけれど、今回は撮影での滞在。現地を見る視線は鋭くなったと思います。(パレスチナ自治区とイスラエルを隔てる)「分離壁」の両側で住民に会い、写真を見せてもらい、家族の話を聞きました。

──イスラエル、パレスチナの双方の家族から、作品に対して注文はありましたか?

さまざまな家族に会いました。不幸せな家族もいれば、そうでもない家族。生活が苦しく「地獄だ」と言う人もいれば、逆の人もいました。わたしはどちらかの側につくのではなく、耳を傾けることに徹しました。映画監督として受け取った感情を、わたし自身の感情として映画に反映させました。(映画と現地の人たちの)「渡し守」になるよう努めました。

(c)Rapsodie Production/ Cité Films/ France 3 Cinéma/ Madeleine Films/ SoLo Films
特別上映会で手を取り合う(左から)イスラエルのルート・カハノフ大使、パレスチナのワリード・アリ・シアム大使、ロレーヌ・レヴィ監督。(C)日本ユニセフ協会

──ご自身はユダヤ系フランス人で無神論者、過去に家族をナチスの強制収容所で亡くされたと聞きました。自分のアイデンティティや背景が、作品に影響すると考えましたか?

映画に特別な影響を与えたことはないと思います。ただわたしの人格、アイデンティティ……ユダヤ系の家庭に育ち、過去に家族を失ったことは、何らかの影響があったのではないでしょうか。わたしは記憶から逃れられません。ユダヤ人というだけで、何もしていないのに虐殺する。非常に野蛮な行為です。しかし、それを映画に生かそうとか、ユダヤ人だからイスラエルの肩をもとう、と考えたことはありません。そうならないよう、好意的な中立性を保とうと努めました。

──イスラエルとパレスチナの現実は、映画より厳しいと思われます。監督はこの物語を「昔のおとぎ話のように語った」と話され、観た人のなかには「楽観的に描かれている」という人もいました。監督は撮影で「わな」に落ちる恐怖を感じたそうですね。

わたしはイスラエル人でもパレスチナ人でもないのに、本当にこの映画がつくれるのか。撮る資格、正当性があるのか。そういう恐怖がありました。わたしは実は何も知らず、いちばん大事なことを見過ごしてしまうのではないか。自分の偏見に傾きすぎてテロ行為を登場させてしまうのではないか……それぞれの恐怖が、自分が陥るかもしれない「わな」でした。実際にこの「冒険」に身を投じるまで、わたしにつきまとい続けました。

──イスラエル、パレスチナの人たちは作品を観たのですか?

撮影スタッフにはイスラエル人もパレスチナ人もいて、みな感動してくれました。イスラエルでは映画祭や特別上映で紹介され、好意的に受けとめてもらえました。観た人の間で議論も始まり、興味深い動きが起きています。近くイスラエルで公開されることが決まりました。

──文化や宗教、言語が異なり、「とても理解できない」と感じる他者と共存するには、何がいちばん大切でしょうか?

尊重です。相手に敬意を払う。それに尽きると思います。


<strong>『<a href="http://www.moviola.jp/son/" target="_blank">もうひとりの息子</a>』</strong>(2012年、フランス)

TEXT BY AKIKO ABE