プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

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2017年09月12日

『正論』2017年9月号『戦後72年/誰も金正恩を止めない・・・』―日本が同じように統治したのに戦後の反応が異なる韓国と台湾、他


正論2017年9月号正論2017年9月号

日本工業新聞社 2017-08-01

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 (1)安倍政権が窮地に立たされている。NHKが公表している内閣支持率の推移を見ると、特定秘密保護法の公布(2013年12月)、集団的自衛権の憲法解釈の変更(2014年1月)、安保法制の公布(2015年9月)、共謀罪(テロ等準備罪)を新設した改正組織犯罪処罰法の公布(2017年6月)の際には、様々な批判があったにもかかわらず、内閣支持率はそれほど大きく変化していない。これに対して、森友学園問題、自衛隊のPKO日報問題、加計問題が発覚すると内閣支持率は急落し、7~8月は不支持が支持を上回った。私にはこの現象が不思議に見える。

 報道を詳しく追っているわけではないので私の認識が不正確な部分もあるかもしれないが、森友学園問題は財務省のチョンボにすぎない。安倍首相が籠池氏に100万円を渡したとされる点も、籠池氏が安倍首相に100万円を渡していたのならば問題になるだろうけれども、本件はお金の流れが逆である。自衛隊のPKO問題は、日報があった、なかったという問題であり、行政組織の透明性、政府の説明責任が問われた一件である。しかし、この手の不透明性や政府の説明の曖昧さは、安保法制や共謀罪をめぐる審議でも見られたことであり、何も防衛省が特別というわけではない(もちろん、だからと言って防衛省や政府が責任を免れられるわけでもない)。

 報道を見ていると、内閣支持率急落にとって致命的だったのは、どうやら加計学園問題のようである。国家戦略特区制度を利用して愛媛県に獣医学部を新設する際に、安倍首相への忖度が働いたのではないかということ、そしてそれを裏づけるかのように、自民党の下村幹事長代行が文部科学相であった2013~14年に、加計学園の当時の秘書室長から、後援会の政治資金パーティー券の購入代金として現金計200万円を受け取っていたことが問題視されている。

 こういうことを言うと関係者から怒られるかもしれないが、特定秘密保護法、集団的自衛権の憲法解釈の変更、安保法制、共謀罪に比べれば、獣医学部の新設というのは小さな問題にすぎない。そもそも、国家戦略特区制度とは、岩盤のような既存の規制にドリルで穴を開けて、国際競争力を持つ産業を育成するための制度である。それが、獣医学部の新設という、国際競争力の強化との関係が不明な取り組みのために矮小化されていることの方が問題である。確かに、日本のペット(犬と猫)の数は増加の一途にあり、現在では15歳以下の子どもの数より多い。それに伴って、獣医の需要が増えていることは想像に難くない。しかし、獣医を増やすのにわざわざ特区を利用する必要があったのかというこそが問われるべきである。

 それが、これほど大きな問題になって内閣支持率に打撃を与えているのは、結局のところ日本国民は「政治とカネ」の問題に対して異常に敏感である、ということなのだろう。思い返してみれば、第1次安倍政権が倒れたのは、当時の農水相であった松岡利勝に、事務所費の不透明な支出の問題、光熱水費の問題、100万円献金の使途不明という問題が覆いかぶさり、最終的に松岡が自殺したことが大きかった。国民は、政策の重要性の高低で内閣の支持・不支持を決めていない。本来、規制を強化または緩和してほしい、あるいは個人や特定の組織を庇護してほしい時には、その必要性とメリットを滔々と政治家に説いて政治家を説得するという努力を払うべきだと国民は考えている。それを不透明なカネの力で一気に片づけてしまおうとする姿勢に国民は反感を覚えるのであり、またその不透明なカネに乗る政治家にも強い不信感を抱くのである。

 この問題を解決するには、e政府が進んでいるエストニアのようにカネの流れを完全にオープンにするか、献金を完全に禁止するかのどちらかしかないだろう。ただ、前者の場合、結局はカネのある人が有利になるという問題は解決しないため、残るのは後者しかない。とりわけ、政治家の意思決定を歪めやすい企業団体献金は禁止するべきである。しかし、見方を変えると、企業団体献金というのは、選挙権を持たない企業や団体が政治的なニーズを政治家に伝達する手段であるとも言える。そこで、これは全くの私案であるが、献金を禁止する代わりに、法人にも選挙権を与えるというのはどうだろうか?もちろん、制度設計には様々な障害が想定される。

 ・法人の1票と個人の1票を同等に扱ってよいのか?
 ・外国人が代表者を務める法人にも選挙権を認めてよいのか?
 ・宗教法人にも選挙権を与えると、政教分離の原則に反するのではないか?
 ・権利能力なき社団には選挙権を与えなくてもよいのか?
 ・企業法人に選挙権を与えるなら、個人事業主にも選挙権を与えるべきではないか?ただしこの場合、事実上個人が2票持つことになり、他の国民との平等性が崩れるのではないか?

 (2)日本は日清戦争後の下関条約によって台湾を併合し、韓国併合に関する条約によって韓国を併合した。欧米列強がアジアやアフリカの諸国を植民地としたのに対し、日本は台湾や韓国を日本の一部にした。そして、欧米列強が植民地から食料や資源を略奪し、植民地に対して自国の製品を大量に輸出し、植民地の人々を過酷な労働環境の下に置いた、つまり一言で言えば植民地を搾取したのに対し、日本の場合は鉄道、道路、水道、ガス、電気などのインフラを整備し、工場を建設し、学校を設立し、教師を育成し、警察制度を確立するなど、当時の日本社会のコピーを台湾と韓国に実現しようとした。もちろん、日本のやり方には是非の議論が当然あるわけだが、注目すべきは戦後の台湾と韓国の反応がまるで違っていることである。

 台湾は、日本統治時代について概ね肯定的な見方をしているようである。事実、台湾に親日派が多いことは有名である。本号では、蔡焜燦の『台湾人と日本精神(リップンチェンシン)』(小学館、2001年)が紹介されている。以下、孫引きになることをご容赦いただきたい。
 台北の鉄筋コンクリート製下水道施設などは、東京市(当時)よりも早く整備され、劣悪な衛生状態を改善することによって伝染病が一掃された。そして、あらゆる身分の人が教育を受けられるよう、貧しい家庭には金を与えてまで就学が奨励された事実を忘れてはならない。

 戦後、台湾経済がこれほどまでに成長した秘密は、日本統治時代に整備された産業基盤と教育にあるといっても過言ではない。同様に、台北の近代化はこうした日本統治時代を抜きに語ることはできないのである。
台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)
蔡 焜燦

小学館 2001-08-01

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 ところが、これが韓国となると評価が180度変わる。韓国は日帝による支配を何としてでも否定しようとしている。右派で知られる作家・百田尚樹氏は、最近『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社、2017年)という著書を発表した。百田氏は、韓国に元々存在していた文化、風俗、社会制度などを無視して、日本式のやり方を強引に持ち込んだことを詫びている。ただ、本当に謝罪しなければならないのは、教育で韓国の精神を変えられなかったことだと言う。この点で、単に日帝=悪とし、韓国(や中国)に言われるがままに謝罪を続ける左派とは一線を画している。
 日本人は併合時代に朝鮮人に様々なものを教えました。もっともそれらは何度も言ってきたように、朝鮮人が望んだものではないので、彼らにしてみれば「有難迷惑なこと」以外の何ものでもありません。そのことは謝罪しなければならないのは当然ですが、それはひとまず置いておいて、日本人が朝鮮人にいろんなことを教えようと思った動機は、彼らが多くのことを知らなかったからです。文字を知らず、灌漑技術を知らず、近代的農業を知らず、護岸工事を知らず、植林の意義を知らず、ビジネスを知らず等々、だからこそ一所懸命に、それらを教えたのです。

 しかし日本人は一番大事なことに気付きませんでした。それはモラルです。もしかしたら日本人はそうしたものはわざわざ教えなくとも、自然に身に付くと考えていたのかもしれません。前に私は「衣食足りて礼節を知る」と書きましたが、衣食を与えれば礼節を知ることになるだろうと、安易に考えていたような気がしてなりません。
今こそ、韓国に謝ろう今こそ、韓国に謝ろう
百田尚樹

飛鳥新社 2017-06-15

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 明治維新後の日本が西洋の技術を取り入れて急速な近代化に成功したのは、佐久間象山の「東洋道徳、西洋芸術(東洋の精神の上に西洋の科学技術を移入させる)」という言葉の通り、日本人にはベースとなる精神があったからである。日帝時代の日本人は、韓国には儒教という精神的支柱があるから、日本と同じように近代化できると考えたのかもしれない。ところが、実際にはそんな精神的支柱はなかったのである。精神のないところに技術だけを持ち込んだことが、韓国統治の失敗の原因であり、同時に韓国の反発を買った原因なのかもしれない。もっとも、私の関心は、儒教国であるはずの韓国になぜ精神的な支柱が存在しなかったのかという点にある(この点は現在の中国も同じである)。これについては引き続き考察を続けたい。

 もう1つ、韓国がこれほどまでに日本に対して反発しているのは、実は裏に中国がいて、日韓を分断してアメリカの影響力の低下を狙っていることも考えられるが、それ以上に「『韓国オリジナル』というものがないことへの強烈なコンプレックス」の表れなのではないかと思う。朝鮮半島は長らく中国の属国であり、何もかもを中国に依存してきた。つまり、オリジナルのものを持つことを許されなかった。そこに、日帝がさらに様々なものを持ち込んだため、韓国の怒りは頂点に達してしまったというわけである。最近、韓国が自国に起源があると主張しているものは「ウリジナル」と呼ばれ、テコンドー、剣道、相撲、サッカー、茶道、端午の節句などが該当する。果てはメソポタミア文明やインカ文明、西洋文明も韓国が起源であり、孔子もイエスも韓国人だと言い出している。ウリジナルは、韓国オリジナルがないというコンプレックスの裏返しである。

 私は台湾の歴史のことはよく解らないのだが、日本に関して言えば、日本も外国に多くを依存しながら自国の文化を構築してきた国であり、その意味では韓国と同じく、オリジナルに乏しい。しかし、日本が韓国のようにヒステリックでないのは、日本が特定の国に属してその国に抑圧された歴史を持たないからであろう。だから、反動としてオリジナルなものに対する希求を抱くこともなかった。むしろ、日本はいつの時代にも外国に開かれていた。鎖国政策をとっていた江戸時代でさえも、近年の研究によれば外国に対して比較的オープンであったことが解っている。こうした背景が、日本人が日本オリジナルのものにそれほど執着しなかった要因と考えられる。先ほど、明治時代の日本には基盤となる精神があると書いたが、その精神も、諸外国の文化や価値観などの混合から醸成されたものである。それでよしとする寛容さが日本人にはあった。

 (3)高齢者の割合が増えてくると、いわゆる「シルバー・デモクラシー」に陥りがちである。そこで、若者、特に子ども向けの政策を充実させようという動きが見られる。その1つが「子ども保険」である。子ども保険とは、小泉進次郎・農林部会長ら自民党の若手議員による「2020年以降の経済財政構想小委員会」が提唱しているもので、保育や幼児教育を無償にすることを目的としている。財源としては1兆円ほどが必要と試算されている。その財源を確保するために、教育国債を発行する、現在の社会保険料に上乗せする、などの案が浮上している。

 子どもを持つことが「保険事故」に相当するのかという議論にはここでは立ち入らない。1兆円の財源確保の手段として、私は信用保証協会の代位弁済を大幅に減らすことを提唱したい。信用保証協会は、中小企業が金融機関から融資を受ける際、「信用保証」を与えることで、資金調達を支援する。仮に中小企業が債務を返済できなくなったら、信用保証協会が代わりに債務を返済する。これを代位弁済と呼ぶ。日本では代位弁済の額が年間約1兆円に上り、その財源は国民の税金である。これは、中小企業の数が日本の5倍近いアメリカの約10倍である。代位弁済とは、簡単に言えば、潰れかけの中小企業に税金を突っ込んで延命を図ることである。そんな形で市場競争を歪めるよりも、未来ある子どもに投資した方がよっぽど賢明であると思う。

 子どものためのもう1つの政策が「高等教育の無償化」である。本号には、日本維新の会・丸山穂高議員と、評論家・池田信夫氏の対談が掲載されている(「大学の無償化は是か非か」)。高等教育の無償化に必要な財源は、文部科学省の試算によると、大学の無償化だけで3.1兆円、他も合わせると5兆円になるそうだ。この規模の財源を確保するのは至難の業である。

 私はここで、大学で学び直す社会人を増やし、彼らに費用を負担してもらうことを提案したい。経営学者のピーター・ドラッカーは、これからますます増加する知識労働者は、自らの資本である知識を常に最新のものに保つために、継続学習に取り組まなければならないと様々な著書の中で繰り返し主張している。そして、継続学習の場として、大学が今後非常に重要な役割を果たすと述べている。『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来』(岩波新書、2015年)の中では、ドラッカーは日本の大学の問題点を次のように指摘している。
 他のいろいろな面で、日本は新しく生じてきたニーズに応える体制になっていない。例えば教育の分野では、高学歴者のための継続学習機関として大学を発展させる必要が十分認識されていない。日本の高等教育は、いまだに成人前かつ就職前の若者の教育に限定されている。そのような体制は、21世紀のものではない。19世紀のものである。
ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)ポスト資本主義――科学・人間・社会の未来 (岩波新書)
広井 良典

岩波書店 2015-06-20

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 2013年の調査によると、25歳以上の大学への入学者の割合は、OECD加盟国の平均が20.6%であるのに対し、日本はたった2.7%と非常に低い。原因としては色々考えられるだろうが、日本企業の悪しき伝統である長時間労働が、社会人の学び直しの機会を阻害していることは容易に想像できる。現在、安倍政権が取り組んでいる働き方改革が功を奏し、残業の抑制や週休3日制などが定着すれば、働きながら大学で学ぶことを望む社会人は増えると思う。

 OECD並みの水準とまではいかなくとも、仮に25歳以上の大学への入学率が2.3%増えて5%になったと仮定しよう。日本の労働力人口は2016年時点で6,648万人であるから、大学に入学する社会人は約153万人増える。社会人が大学を卒業するまでに要する年数を、若者と同じく4年とすると、毎年の社会人学生は約612万人増加することになる。彼らが負担する授業料を年間50万円に設定すれば、年間の授業料収入は約3兆円上乗せされ、大学の無償化に必要な財源をカバーできる。丸山穂高議員は、社会人学生も無償にするべきだと記事の中で主張していたが、私はお金のある社会人からお金のない若者への再分配を推進するべきだと考える。社会人学生が増えれば、当然のことながら教える側の人間も増やさなければならない。これは、現在就職先がなくて困っているポスドクに相当数のポストを用意できることを意味する。

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