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2016年07月18日
『非立憲政治を終わらせるために―2016選挙の争点(『世界』2016年7月号)』―日本がロシアと同盟を結ぶという可能性、他
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(1)
日本政府は、G7サミットを意識でもしたのか、「ヘイトスピーチ対策法案」の今国会での成立を急いだ。だが、この法案は罰則を含まず、保護の対象を「適法に居住する」「本邦外出身者とその子孫」に限定したため、沖縄出身者やアイヌ、在留資格のない外国人が保護されない可能性を残した。2008年以降、国連からは日本に対して複数回に渡り、沖縄県民を先住民族として扱うべきだという勧告が出ている。2008年の自由権規約委員会においては、「日本国は国内法によって琉球、沖縄の人々を先住民族として明確に認め、彼らの文化遺産および伝統生活様式を保護し、保存し、促進し、彼らの土地の権利を認めるべきである」と勧告された。これを受けて、仲村覚氏は、「今現在、沖縄に住んでいる県民、そして、県外を含む沖縄県出身者とその子や孫に対する侮辱である」、「国連からヘイトスピーチを受けていると言っても過言ではない」と憤っている(中村覚「沖縄発―「先住民族」勧告撤回運動の行方」〔『正論』2016年7月号〕)。
(神保太郎「メディア批評」)
![]() | 正論2016年7月号 日本工業新聞社 2016-06-01 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
冒頭の引用文で、「沖縄出身者やアイヌ」がヘイトスピーチ対策法で保護されないとあるのは、神保太郎氏が沖縄出身者を先住民族として自覚しているからこそ発生する危惧である。別の言い方をすれば、神保氏など沖縄左派の人々にとって、沖縄出身者は元々「本邦外出身者」であって、現在は日本国内に「適法に居住している」存在なのである。アイヌに関しては、日本政府は先住民族として認めている。これに対して、当然のことだが、沖縄県民については政府はそんな認定をしていない。しかしながら、現在の沖縄では、自らを先住民族と見なす動きが広まりつつある。その先にあるのは、言うまでもなく沖縄の独立である。
沖縄の独立運動の裏では、中国共産党が暗躍している。中国共産党は沖縄左派のプロ市民を導入し、アメリカ軍基地の撤退運動を支援している。運動員には、中国共産党から日当が出ているという話もある(そうでなければ、仕事をせずに毎日基地の前に座り込んでいる人たちは生活できないだろう)。中国は沖縄からアメリカを駆逐し、江戸時代に琉球王国が中国に朝貢した関係を取り戻そうとしている。いや、そんな生ぬるい関係ではなく、中国はアメリカと対峙し、自らの海洋戦略を拡大するために、沖縄そのものを奪取するに違いない。
アメリカが沖縄から手を引き、沖縄が中国のものとなった時、容易に想像できるのは、アメリカ軍基地跡に中国軍が進出することである。しかも、アメリカよりもはるかに乱暴なやり方で基地の建設を進める。最近、米兵による沖縄人女性殺害事件を受けて、沖縄では大規模な反米デモが起きているが、中国が沖縄に進出してくれば、この程度の事件では絶対に済まない。そのことを理解している沖縄県民は、果たしてどのくらいいるのだろうか?
私は最近、東アジアにおける最悪のシナリオとは何かを考えることがある。それはつまり、以下の事象がほぼ同時期に起きることである。
①北朝鮮を見限った中国が、左傾化した韓国を突き動かし、韓国主導で朝鮮半島に新たな共産主義国家を建設する。韓国の莫大な資金は北朝鮮の核に注入されて、凶悪な核保有国ができ上がる(以前の記事「『「慰安婦」戦、いまだ止まず/台湾は独立へ向かうのか/家族の「逆襲」(『正論』2016年3月号)』―朝鮮半島の4つのシナリオ、他」を参照)。
②台湾で親中派の政権が登場し、中国が一国二制度を破棄して台湾を中国に統合する。
③沖縄が日本から独立し、さらに中国の統治下に入る。
④アメリカで共和党のトランプ氏が大統領となり、日本からの米軍撤退を進める。
これら全てが現実のものとなった時、日本には戦後直後よりもはるかに激しい共産主義化の波が押し寄せるに違いない。しかも、戦後とは異なり、日本を守ってくれるアメリカはもう当てにならない。こうなった場合、日本は日米同盟を破棄し、代わりにロシアと同盟を結んでロシアの核の傘に入るという選択肢が現実味を帯びてくる。日本の米軍基地跡はロシアに使わせる。中朝を牽制するために合同軍事演習を行う。代わりに、北方領土を全部返せと交渉するのである。
あまりに支離滅裂で一貫性がないと思われるかもしれない。しかし、元々吹けば飛ぶような小国である日本には、大国のようにエレガントな原理や理想を貫き通す外交を展開する力がない。その時々の時流を見極め、恥も外聞も捨てて生き残るための最善策をあちこちから調達して組み合わせるのが小国のやり方である。例えば、インド(インドが小国なのかという議論はあるが)の「全方位外交」(ブログ別館の記事「山田剛『知識ゼロからのインド経済入門』」を参照)、ベトナムの「八方美人外交」(ブログ別館の記事「福森哲也『ベトナムのことがマンガで3時間でわかる本―中国の隣にチャンスがある!』」を参照)に学ぶところは大きいのではないかと思う。
(2)
ここで明白なのは、自民党への支持が回復したから政権復帰したのではない、ということである。実際、衆議院選挙における得票数ベースでも、自民党は麻生政権末期の惨敗の際の得票率を2012年・2014年の2回とも下回ったままなのに、政権復帰を果たしたばかりか、公明党と合わせて3分の2を超える議席を獲得している。中野氏は、衆議院選挙でも参議院選挙でも、得票数すなわち民意が各政党の議席数に適切に反映されていないと言いたいようである。暗に、自民党は獲得した投票数以上の議席を占めていると示唆している。だが、ここでこんな分析をしてみよう。表①は、2003年11月の衆議院選挙から2014年12月の衆議院選挙までの国政選挙について、自民党、民主党、その他の政党が獲得した議席数をまとめたものである。1行目のカッコ内の政党名は、各選挙で勝利した改選第1党である。これに、NHKが毎月実施している政治意識月例調査を組み合わせる。それぞれの選挙が実施された月の政党支持率のデータを抽出した。
(中野晃一「憤りはどう具現化されるか 2016年参議院選挙の政治史的意味」)
《表①》

表①をグラフ化したものが図①である。それぞれの年の左側の棒グラフは、選挙で自民党、民主党、その他の政党が獲得した議席数の割合である。右側の棒グラフは、各政党に対する支持率を表している。これを見ると、国民の支持率以上に議席数を獲得しているのは、実は自民党ではなく民主党なのではないかと言いたくなる(もちろん、自民党も2012年12月の衆議院選挙では、政党支持率をはるかに上回る議席数を獲得しているのだが)。
《図①》

ただ、表①や図①では「支持なし」層が存在するため、分析としてはまだ十分ではない。そこで、非常に機械的ではあるが、「支持なし」層が選挙の際にはいずれかの政党を支持するものと考えて、調整を加えてみた。「支持なし」層はいわゆる浮動層であり、多くは改選第1党の支持に回ると考えられる。そこで、「支持なし」層の5割は改選第1党を支持すると仮定した。残り半分のうち、3割は野党第1党を、2割はその他の政党を支持すると仮定した。
2003年11月の衆議院選挙、2005年9月の衆議院選挙、2012年12月の衆議院選挙、2013年7月の参議院選挙、2014年12月の衆議院選挙では、自民党が改選第1党であったので、同月の政治意識月例調査で「支持なし」と回答した割合のうち50%を自民党の支持率に、30%を民主党の支持率に、20%をその他の政党の支持率に加えている。2004年7月参議院選挙、2007年7月参議院選挙、2009年8月衆議院選挙、2010年7月参議院選挙では、民主党が改選第1党であったので、同月の政治意識月例調査で「支持なし」と回答した割合のうち50%を民主党の支持率に、30%を自民党の支持率に、20%をその他の政党の支持率に加えている。
《表②》

調整後の表②をグラフ化したものが図②である。これを見ると、政党支持率と獲得議席数の割合はそれほど大きくかい離していないことが解る。むしろ、2009年8月衆議院選挙で、民主党が政党支持率以上に議席を獲得しているのが目立つぐらいだ。よって、中野氏が言うように、現在の選挙制度は民意を適切に反映しておらず、制度的に欠陥があるとは必ずしも言い切れない。もっとも、民意が得票数の割合と一致していないにも関わらず、結果的にはほぼ民意に沿った結果に落ち着くというのはなぜなのかという、選挙制度の謎を紐解く必要はある。
《図②》

《2016年8月13日追記》
『世界』2016年9月号を読んでいたら、2016年7月の参議院選挙において、無党派層の投票先が自民党22.3%、民進党22.3%(共同通信調べ)と書かれていたため、「「支持なし」層の5割は改選第1党を支持すると仮定した。残り半分のうち、3割は野党第1党を、2割はその他の政党を支持すると仮定した」というのは極端すぎると反省した。そこで、各選挙において無党派層がどの政党に投票したのか、可能な限り過去の新聞記事から拾ってきた。ただし、2007年以前については記事が見つからなかったため、自民党と民主党のうち、勝利した方が30%、敗北した方が20%を獲得し、残りの50%はその他の政党に流れたものと仮定して計算をやり直した。

例えば、直近の2016年7月の参議院総選挙時には、自民党の政党支持率は40.3%、「支持なし」は36.5%であった。無党派層のうち、自民・民進がそれぞれ19%を獲得し、残りの62%はその他の政党に流れた。よって、自民党の調整後得票率は、40.3%+19%×36.5%=47.2%となる。民進党、その他の政党、また他の年の選挙についても同様に計算している(もっとも、この計算でも、自民党の支持者が全員自民党に投票することを前提としているため、欠陥はある)。この計算によって、獲得議席数と調整後の得票率の関係をグラフ化したものが下図である。

グラフの解釈は色々あるだろうが、少なくとも左派がしばしば言うように、「自民党は全体の20%ぐらいしか票を集めていないのに、過半数の議席を獲得している」という批判はあてはまらないと思う。どういう理由かよく解らないものの、選挙結果は案外民意を反映している。
(3)
当選こそかなわなかったものの、市民の力、野党共闘の力を示し、全国にその可能性と希望をもたらしたことは、一つの成果と言える。2016年4月24日に行われた衆議院北海道5区補欠選挙は、全国で初めて野党共闘が実現した選挙であった。著者の池田真紀氏は統一候補として立候補した。当選には至らなかったが、「市民選挙」、「市民政治」の可能性を感じた選挙であったと振り返っている。
(池田真紀「市民の政治のつくりかた」)
左派がよく使うこの「市民」という言葉には、地位も権力も持たないひ弱な個人であっても、協力して積極的に政治に参加すれば、自らの力で政治を変えることができる、という意味合いが込められているように思える。それが世界レベルにまで広がれば「世界市民」、「コスモポリタン」となり、国家という枠組みを取り払って世界中の人々が平等に連帯することを目指す。
ところで、市民=civilという言葉の語源をたどって行くと、「礼儀正しい」という意味に行き着く。ここから、civility(英語)、civilité(フランス語)、Zivilitat(ドイツ語)といった名詞が派生し、いずれも「礼儀正しさ」や「礼儀作法」を表す。では、ここで言う「礼儀正しさ」とは一体何であろうか?ドイツ語には、Zivilitatの同義語としてhöflichkeitという語がある。これはhöflich(礼儀正しい)という形容詞の名詞形で、この形容詞の語源をさらにたどると、Hofという名詞に行き当たり、これは「宮廷」を意味する。これらのことを踏まえると、civilという言葉は、宮廷社会の中で礼儀正しく振る舞う人々を指しており、必然的に中世以来の身分制を前提としていることになる。
ルソーは、civilが前提とする身分制を攻撃し、身分制によって生じる不平等を糾弾した。ルソーの著書『不平等論』の中には、「様々な階級を支配している、教育と生活様式の驚くべき多様性」を肯定しているかのように見えるところがある。しかし、実際には全くの逆で、その多様性を不平等の原因であり結果であるとして告発しているのである(ここまでの内容は、市野川容孝『社会』〔岩波書店、2006年〕を参照)。今の日本で「市民政治」や「市民選挙」を実現しようと声を上げている人々が、このような歴史的背景をどこまで理解しているのか、はなはだ疑問である。
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(4)
大澤:客観的に見れば、もちろん神ではなく唯物論的に説明できるような現象を、人びとが、神に関わる出来事のように受け取ったときに、歴史が動くのではないかということです。
柄谷:フロイトがいう「死の欲動」とは何かというと、それは、有機体が無機質に戻ろうとする衝動を指します。無機質とは、社会の次元でいうと、葛藤、戦乱、経済的成長がないような定常的状態です。それが徳川時代にあった。(中略)憲法9条を支える超自我は、無機質に戻ろうとする「死の欲動」であり、それは徳川の「文化」の回帰であった、といっていいわけです。
柄谷:マルクスは、社会主義革命は世界同時革命でしかありえないと考えていました。一方、カントもルソー的な市民革命を支持しながら、それが一国だけでは成り立たないと考えた。周囲の国から妨害されるからです。そこで、彼は諸国家連邦を考えた。それが平和論となっていったわけですが、もともと市民革命論なのです。(中略)戦争をもたらすのは、資本と国家です。それらを揚棄しないなら「永遠平和」などありえない。要するに、世界同時的市民革命が必要です。
(以上、柄谷行人、大澤真幸「9条 もう1つの謎 「憲法の無意識」の底流を巡って」)

この記事を読んでいて私はとても恐ろしくなった。上図の説明は以前の記事「【ドラッカー書評(再)】『産業人の未来』―人間は不完全だから自由を手にすることができる」に譲るが、引用文の発言は全て、右上の象限に該当し全体主義につながる発想である。大澤氏は、人間の完全な理性が神の絶対性・無限性を手に入れる時、歴史は動くと述べている。
ただ、厳密に言えば、「歴史が動く」という表現は(左派にとっては)正しくない。完全無欠の神に似せて創造された人間は、生まれた時点で既に完成している。だから、生まれた瞬間という現在の1点が時間の全てであり、現在が時間を無限に覆い尽くしている。過去や将来という時間軸が入り込む余地はない。教育によって人格を改良するなどもってのほかである。また、どの人間も神の分身であるから、1人であると同時に、神という全体性に等しい。これが、柄谷氏の言う「定常的状態」である。左派はしばしば革新だの進歩だのと言うけれども、実際にはその場から全く動かない。左派が重視する個性や多様性も、単なる幻想である。
現在が時間の1点であると同時に無限の時間の全てである、私という存在が1人の人間であると同時に完全な神=人類の全体である―この2つを前提とするならば、柄谷氏が述べるように「世界同時革命」しかあり得ない。順次的な革命は考えられない。革命が順番に起こるということは、時間の流れを想定していることになるからだ。また、革命によって実現される姿は、世界共通である必要がある。そうでなければ、神=人類の全体が完全・無限であることに反する。
しかし、左派は世界同時革命を一体どのように引き起こすつもりなのだろうか?卑近な例だが、あれだけ世界中で影響力を持つマイクロソフトが、Windows10にアップデートするのでさえ四苦八苦している。私には、世界同時革命のシナリオが全く見えない。また、左派は戦争をなくすために世界同時革命を行うと主張している。しかし、その革命手法が非武力的である保証はどこにもない。そもそも、マルクスも革命は暴力革命によると主張していた。世界同時革命に反対する者が武力で攻撃してきた時、左派は一体どのような行動に出るのだろうか?
(5)
山口:4月に「報道の自由度ランキング」が発表され、日本は世界72位までランクを下げたことが話題になりました。第2次安倍政権下でメディア攻撃の嵐が吹き荒れ、表現の自由が露骨に抑圧されていることは大きな問題ですが、なぜジャーナリスト、学者など、表現活動にかかわる人間が強い抵抗を示すことができないのでしょうか。安倍政権が、とりわけ安保法制をめぐってメディアに露骨に介入したことが「報道の自由度ランキング」を下げたと言いたいようだ。しかし、一般社団法人日本平和学研究所は、2015年9月14日~18日における各局の安保法制をめぐるTV報道の時間を集計した結果によると、反対が89%(11,452秒)、賛成が11%(1,426秒)だったという(小川榮太郎「亡国前夜或いは自由の喪失」〔『正論』2016年7月号〕。同記事には、TV局別に賛成、反対の報道時間を分析した詳細な結果が掲載されている。ワールドビジネスサテライトだけが唯一、賛成・反対をほぼ半分ずつの時間で報じたのに対し、その他のTV局は約7割~9割の時間を反対に割いている)。
(山口二郎、森達也、西谷修「自発的隷従の鎖を断ち切る「小さな揺らぎ」」)
安倍政権が露骨にメディア介入をしているならば、こんなに各局揃って安保法制反対キャンペーンを張ることはできないはずだ。むしろ、偏向報道を繰り返したと表現した方が正しい。その偏向ぶりは、当時の世論とも温度差を生じている。安保法制の成立を受けて実施された世論調査によれば、朝日新聞では賛成30%、反対51%、毎日新聞では賛成33%、反対57%、読売新聞では賛成31%、反対58%であり、概ね賛成:反対=1:2弱となっている。反対の報道時間が約7~9割にも上るのは、明らかにやりすぎである。
確かに、安倍政権が多少はメディアに注文をつけたことはあるかもしれない。しかし、実際には、メディアは安倍政権の意に反する報道を続けた。しかも、そのやり方は度を過ぎていて、世論からも離れてしまった。私は、「報道の自由度ランキング」で日本がランキングを落としたのは、民意に寄り添いながら多様な視点・意見を提供するというメディアの役割を放棄し、一方的な報道を展開したメディア側に原因があるのではないかと考える。
そもそも、各界の論者が『世界』に自由に投稿をし、私がこうして『世界』を簡単に購入できる時点で、日本では表現の自由は何の制約も受けていない。本当に言論統制が敷かれているならば、私は地下組織の伝手をたどって、必死の思いで『世界』を入手しなければならないはずだ。