プロフィール
谷藤友彦(やとうともひこ)

谷藤友彦

 東京都城北エリア(板橋・練馬・荒川・台東・北)を中心に活動する中小企業診断士(経営コンサルタント、研修・セミナー講師)。2007年8月中小企業診断士登録。主な実績はこちら

 好きなもの=Mr.Childrenサザンオールスターズoasis阪神タイガース水曜どうでしょう、数学(30歳を過ぎてから数学ⅢCをやり出した)。

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2016年05月02日

『しなやかな交渉術(DHBR2016年5月号)』―「固定型」のアメリカ、「成長型」の日本、他


DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2016年5月号 [雑誌]DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2016年5月号 [雑誌]
ダイヤモンド社 DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部

ダイヤモンド社 2016-04-09

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 (1)
 一般に、強い怒りを示したペアほど交渉が思わしくない結果―たとえば訴訟や膠着状態(決裂)―に終わることが多い。(中略)交渉に怒りを持ち込むのはプロセスに爆弾を投げ込むようなもので、結果に多大な影響を与える傾向があるということだ。
(アリソン・ウッド・ブルックス「喜怒哀楽の巧みな表現を力に変える 交渉を有利に運ぶ6つの感情の見せ方」)
 随分前の旧ブログの記事「果たして意思決定に感情は不要なのか?」で、意思決定の際には「冷静さ」という感情が必要であると書いた。逆に言えば、怒りのようなそれ以外の感情は、認知を歪め、冷静な意思決定を阻害する。この点は、特に日本人にとって重要だと思う。

 アメリカ人やフランス人は、交渉の段階で感情的になり、相手を口汚い言葉で批判することがある。だが、彼らが批判するのは相手が言っている内容のことであって、相手そのものではない。つまり、論理と感情を切り離している。だから、交渉がまとまれば、今までの喧嘩モードが嘘のように相手と握手を交わし、ハグもする(ちなみに、ドイツ人やデンマーク人は、冷静かつストレートに相手の発言を批判するらしい。この流儀に慣れていない人は、土足でずけずけと踏み込まれたような気分になり狼狽する。だが、彼らにとってそれは普通の対応であり、悪気はない)。

 日本人は論理と感情を切り離すことがあまり上手ではない。そのため、交渉の途中で感情的になると、つい相手の性格そのものを否定するような発言をしてしまうことがある(ある有名な上場企業に勤める友人から聞いた話によると、その社長は役員会議で他の役員のことを「バカ」とか「焼け死ね」などと平気で面罵するらしい)。最近問題になっているヘイトスピーチも、特定集団に対する人格攻撃である。そういう攻撃を食らった人が、その後も前向きな気持ちで交渉を続けてくれるとは到底思えない。日本人は感情の扱いにとりわけ注意する必要がある。

 ただ、本号には次のような記述もあった。国際的な人権NGOであるヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)の日本代表を務める土井香苗氏のインタビュー記事である。
 嫌われたくない、敵を増やしたくないというのは人間の自然な感情なのでしょうが、時には悪役になって正論を言い続けなければならない。いまの状況を打破しなければ前に進めないならばそうすべきです。
(土井香苗「【インタビュー】非政府組織・非営利組織の交渉術 正論こそ最強の武器である」)
 土井氏は、例えば養護施設に多くの子どもが預けられている問題を取り上げて、「施設を維持することで利益を得ている人がいるからではないか」などと官僚に対して正論を言うそうだ。正論を言う土井氏自身は努めて冷静なのかもしれないが、正論を言われた方はいい気がしない。むしろ、怒りの感情が湧いてくるだろう。そうすると、交渉にマイナスの影響を及ぼしそうである。冒頭の引用文と土井氏の発言の違いはどのように解釈すればよいだろうか?

 私なりに考えてみた結果は次の通りである。相手が交渉のテーブルに着いてくれた後は、感情、特に怒りをコントロールし、お互いに冷静な判断ができるようにしなければならない。しかし、相手が交渉のテーブルに着く前、とりわけ、交渉のテーブルに着く必要がないと考えているケースでは、わざと相手の怒りを刺激するのも一手である。もちろん、相手がへそを曲げて交渉を拒否してしまうリスクはある。しかし、相手が「何を言ってくれるんだ!?」と振り向いてくれたら、こちらの目論見は成功である。土井氏は、正論の効果について次のように述べている。
 それに誰かが悪役になることで、同じ目的を持った他の誰かが動きやすくなることがあります。たとえば、世論を喚起して、そのプレッシャーで政府を動かすところまでは私たちがやって、関係者のコンセンサスづくりに入る段階になったら、悪役の私たちは後ろに下がる。他のNGO団体などに現実的な交渉役になってもらい、合意形成まで持っていく。悪役が際立っているほど、後から出てきた交渉役はみんなの合意を得やすくなるからです。
 (2)
 心理学者であるキャロル・ドゥエックは、「固定型」と「成長型」という、人生に対処する2つの基本的な思考を特定した。「固定型」思考を持つ者は、知性と才能を概して生まれつきのものと考える。人は生まれつき知性と才能を持っているかいないかのどちらかだというのである。(中略)

 対照的に、「成長型」思考を持つ者は、挑戦課題と学習の機会を探し求める。彼らは、どれほど優れた者でも努力と訓練によってさらに向上すると考える。失敗を無能の証とは見なさず、すすんでリスクを取る。
(フランチェスカ・ジーノ、ブラッドレイ・スターツ「4つのバイアスが人の行動を型にはめる なぜ「学習する組織」に変われないのか」)
 またしても私の勝手な思い込みかもしれないが(いつものことか・・・)、キリスト教圏、とりわけアメリカは「固定型」が支配する社会であると考えられる。それぞれの人間の使命は唯一絶対の神が決めている。その使命を達成するのに必要な知識と能力を内包した状態で、人間はこの世に誕生する。人生とは、その知識や能力が発露する過程である。

 アメリカ人は、生まれたばかりの段階では、自分の持つ特別な知識や能力が何であるかを知らない。それを知るためには、神を強く信じるしかない。アメリカ人は、毎週日曜日になると教会に通い、私に課せられた使命とは何かを神に問う。テレビで流れるキリスト教の番組に耳を傾けて、自己啓発の参考にする。こうした祈りを通じて、アメリカ人は「私の使命はこれだ」と標的を定める。そして、その使命を全うすることを神と約束する。これが「契約」である。

 ただし、その契約が正しいかどうかは、実は神しか知らない。神は、その人に与えた使命と、その人が自覚した使命が違っていても、何らアドバイスしない。そのため、神と正しい契約を結べるアメリカ人は、ごく一部に限られる。正しい契約に到達した一握りのアメリカ人だけが、生来的に備わっている知識と能力をいかんなく発揮し、強いリーダーシップで強烈なイノベーションを実現する。神との契約を正しく履行し、使命を達成することを、アメリカ人は「自己実現」と呼ぶ。自己実現できなかったその他大勢のアメリカ人との間には、極めて大きな経済格差が生じる。


 《2016年9月3日追記》
 引用文にあるように、「固定型」においては、人は生まれつき知性と才能を持っているかいないかのどちらかだとされる。この傾向は、とりわけアメリカで強いように思える。アメリカでは、とてつもない天才が現れる一方で、能力が低い者も結構多い。私が好きな野球の話で恐縮だが、MLBには日本人では絶対真似できないスーパープレイヤーがいると思いきや、「こんな守備で本当にプロなのか?」と言いたくなるような選手もいる。アメリカは平等社会と言われるものの、実際には平等社会ではない。平等であるのは、神によって選ばれた者の間においてのみである。

 石角友愛『才能の見つけ方 天才の育て方』(文藝春秋、2016年)に興味深いデータが紹介されていた。IQテストで全人口の上位2%以内のスコアを出した人のみが加入できる非営利団体「メンサー・インターナショナル」という世界組織がある。各国のメンバーを見ると、1位はアメリカの5万人である。2位はイギリスで2万2700人、3位はドイツで1万2500人と続く。日本は12位で1250人にとどまる。もちろん、同組織に所属しない高IQの人たちもいるから断定することはできないが、アメリカは他国に比べて天才が多い傾向がありそうである。


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石角 友愛

文藝春秋 2016-06-29

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 一方の日本人は、「成長型」の社会である。日本人はアメリカ人と違い、生まれた時には何の知識や能力も持っていない。この点で、日本人はアメリカ人に対して劣等感がある。しかし、逆説的だが、劣等感があるからこそ、何者にもなれる可能性を秘めている(以前の記事「『未来をひらく(『致知』2015年2月号)』―日本人を奮い立たせるのは「劣等感」と「永遠に遠ざかるゴール」」を参照)。本号でユーグレナ代表取締役社長の出雲充氏が興味深いことを述べていた。
 私はそもそも、個人差によるスキルや効率が物事の成否を分けるという考え方にはとても懐疑的である。微生物の研究を通して、そう考えるに至った。人間は一般に23対の染色体を持ち、それは約30億の塩基で構成されている。そして塩基の99.9%以上が一致しているからこそ、身長が10メートルの人もいなければ、10センチメートルの人も存在しない。生物学のレベルで見れば、人間がやることに大きな違いなどなく、それは交渉力についても変わらないのだ。
(出雲充「ベンチャー企業に成功の近道などない 未知の価値を売り込む「ゼロ・トゥ・ワン」の交渉術」)
 アメリカ企業はスペシャリスト育成を重視する(最近は、取締役にも専門性を求める声が高まっているようだ)のに対し、日本企業はゼネラリスト育成に注力してきた。アメリカ企業がスペシャリストを重視するのは、前述のように、その人にはその人特有の知識や能力が生来的に備わっているという考え方と無縁ではないだろう。一方、日本企業は、あらゆる社員に対して定期的にジョブローテーションを行い、様々な仕事を担当させる。これは、日本人は最初こそ何もできないものの、十分な経験をさせれば、多様な能力を習得できると信じているからである。

 日本人は非常に長い時間をかけて学習を続ける。その結果、ある程度の適材適所は生じるだろうが、出雲氏の言葉に従えば、年齢を重ねた人でも能力にはそれほど大きな差が生じないことになる。最近、私は年功的な賃金体系を支持している(以前の記事「坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社2』―給与・採用に関する2つの提言案(後半)」を参照)。これは、給与が能力や成果に対する見返りではなく、社員の生活費をカバーするものであるという考えに立脚したものである。しかし、仮に多くの社員の能力が同じように年々高まり続けるのであれば、年功制が能力や成果に対する見返りであると位置づけても十分に話が成立すると考えられる。

 (もちろんこれは、社員が長期間学習を継続することが前提である。学習の意欲を失った社員には厳しい態度で臨むべきだ。私が支持するのは年功制であって、終身雇用ではない)

 日本人の学習は非常に長いマラソンである。ということは、途中で数年程度のブランクが生じたとしても、後から挽回できるチャンスが十分にあることを意味する。日本企業は、大学卒業後にブランクのある若者、就職難で大学卒業後しばらくは非正規社員として働いた人、子育てのために数年間離職した女性、親の介護のために一時的に休職した社員を正社員として採用することに消極的である。ブランクなどがあると、能力がリセットされると考えてしまう。実際にはそれは誤解であり、数年程度で能力に大きな差は生じないと、人事部は認識を改める必要がある。

 企業は、一時的に離職した人も積極的に正社員として迎え入れ、原則として同年代の社員と同じ仕事を担当させるべきだ(給与も同年代の人と同じとする)。それではどうしても不安だと人事部が思うならば、まずは3歳ほど下の社員と同じ仕事をさせる(給与もその分下げる)。そして、本人が努力して遅れを挽回できたら元のレールに戻す、といった運用をするとよい。

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