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2013年02月27日
【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―「雇用の維持」は企業の社会的責任か?
ドラッカー名著集3 現代の経営[下] P.F.ドラッカー ダイヤモンド社 2006-11-10 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
前回の記事「【ドラッカー書評(再)】『現代の経営(下)』―既存の人材マネジメントに対するドラッカーの不満が爆発している」の中で、ドラッカーは「絶対的な雇用保障という労働組合の要求、すなわち年間賃金保障の要求は、不死の約束を要求するように愚かである」と主張し、イタリアの法律を批判していることを述べた。しかし一方で、ドラッカーは不況期に雇用の維持を約束したIBMのことを次のように称賛している。
IBMにおいても、雇用保障の経営方針なくしては、従業員1人当たりの生産量は上昇し続けるどころか、高い水準を維持することさえできなかったに違いない。実は、このIBMの最も過激ともいうべきイノベーションは、大恐慌の初期のころに採用されていた。結局ドラッカーは、企業に雇用の維持を求めているのかどうかは釈然としない。この辺りが、ドラッカーは右派なのか左派なのか解らないとしばしば批判される要因の1つなのかもしれない(当の本人は、自分が典型的な右派であり、古典派経済学を信奉していると告白している)。
IBMは資本財メーカーである。製品のほとんどは企業によって使われる。したがってその雇用は、景気変動(つまり顧客たる企業の好不調)に対してきわめて敏感である。事実、IBMの競合相手は、大恐慌時には大幅に雇用を調整していた。だがIBMのトップマネジメントは、雇用を維持することこそ自らの仕事であるとした。事実IBMは、(事務機器という新しい)市場を見つけ成長させることに成功し、あの1930年代を通じて、事実上その雇用を完全に維持した。
ドラッカーは本書の最後で、企業の社会的責任について次のように述べている。
社会に対するマネジメントの第一の責任は、利益をあげることである。そして、これとほぼ肩を並べて重要な責任が、事業を発展させることである。企業は社会における富の創出機関であり、生産機関である。マネジメントは、経済活動に伴うリスクを補うだけの利益をあげることによって、富の創出能力をもつ資源を維持していく必要がある。
少なくともアメリカでは、能力と実績による昇進の機会を広く開放する責任をマネジメントに課す。もしこの責任が果たされないならば、やがては富を創出するための活動が、社会を強化するどころか、階級を生み、階級間の憎悪と闘争をもたらすことによって社会を弱体化することになる。前者の引用文中にある「富の創出能力をもつ資源」のうち、ドラッカーが最も重視しているのは人材であるから、前者の引用文は企業に雇用の維持を要求していると解釈できる。また、後者の引用文は、アメリカの建国の理念であり、社会の土台をなす自由主義や機会の平等を守るために、企業に昇進の機会を要求するものである。よって、両方を合わせて読むと、ドラッカーは、「企業が社会の富の創出機関として、また自由主義を体現する機関として責任を果たすためには、雇用を維持し、さらに広く昇進の機会を解放する必要がある」と主張していることになる。
だが、そんなことが果たして可能なのか、簡単なモデルで検証してみたいと思う。役員(50代)、部長(40代)、課長(30代)、一般社員(20代)の4階層からなる組織を想定してみる。管理職と部下の比率は1:10、すなわち、管理職1人につき部下が10人いるものとする。役員が10人とすると、部長はその10倍の100人、課長はその10倍の1,000人、一般社員はその10倍の10,000人となり、全体で11,110人となる。1人あたり売上高が1,000万円(SIerなどの労働集約型産業は、この数値に近いと思う)だとすれば、全社の売上高は1,111億円となる。
この企業の10年後の人員構成はどうなるだろうか?10年後に役員は全員退任し、その他の階層については3割が退職、残りの7割が自動的に上の階層に昇進するとすると、人員構成は下図(右)のようになる。つまり、役員が70人、部長が700人、課長が7,000人となり、新卒採用で一般社員を70,000人採用することになる。1人あたり売上高が1,000万円と変わらないならば、全社の売上高は7,777億円となり、10年間で7倍になる計算だ。
しかし、売上高を10年間で7倍にするのは、草創期のベンチャー企業でも至難の業であり、一般企業ともなればウルトラCの離れ業でもない限り不可能である。なぜならば、売上高を毎年22%、10年にわたって成長させ続ける必要があるからだ(1.22の10乗=約7.3)。
では、もう少しハードルを下げて、10年間で売上高を3倍にするとしよう。この場合、全員を上の階層に昇進させることはできなくなり、一部の人たちは10年後も同じ階層にとどまる。下図(右)のように、部長100人のうち、役員に昇進できるのは30人だけであり、退職者30人を除く40人はそのまま部長にとどまる。役員が30人なので、部長のポストは300人分しかない。したがって、課長1,000人のうち、部長に昇進できるのは260人に限られ、昇進率は26%となる。同様に、課長1,000人のうち、部長への昇進者260人と退職者300人を除く440人はそのまま課長にとどまる。部長が300人なので、課長のポストは3,000人分しかない。したがって、一般社員10,000人のうち、課長に昇進できるのは2,560人に限られ、昇進率は25.6%となる。
しかしながら、この10年間で売上高を3倍にするという目標も、本当はそれほど現実的ではない。なぜならば、毎年12%の成長を10年間続けなければならないからだ(1.12の10乗=約3.1)。ハードルを下げたとはいえ、実は高度経済成長期並みの成長を遂げる必要がある。日本企業の特徴である終身雇用と年功序列は、高度経済成長期の実情に合わせて成立したという見方があるが、少なくともこのシミュレーションを見る限りは、高度経済成長期においてすら、既に制度的に破綻していたと言えなくもない。
では、さらにハードルを下げて、年率3%の成長を10年続けるとしよう。1.03の10乗=約1.3であるから、10年間で売上高は1.3倍になる。1990年代以降の約20年間、日本の名目GDPの平均成長率は年率マイナス0.7%程度であるから、3%でも十分に野心的かもしれない。グローバル展開している企業で、国内市場の成長率を横ばいと見積もっている企業が、全社で3%の成長率を達成するためには、成長率の高い海外市場を大きく取り込む必要がある。仮に海外市場の成長率が7%であるとすると、海外事業比率が約43%でなければ、全社で3%の成長率とはならない({0%×57%}+{7%×43%}=3.01%)。
この場合、各階層の昇進率は、下図(右)からも解るように、悲劇的に低くなる。部長100人のうち、役員に昇進できるのは13人だけであり、退職者30人を除く57人はそのまま部長にとどまる。役員が13人なので、部長のポストは130人分しかない。したがって、課長1,000人のうち、部長に昇進できるのは73人に限られ、昇進率は7.3%となる。同様に、課長1,000人のうち、部長への昇進者73人と退職者300人を除く627人はそのまま課長にとどまる。部長が130人なので、課長のポストは1,300人分しかない。したがって、一般社員10,000人のうち、課長に昇進できるのは673人に限られ、昇進率は6.73%となる。部長、課長、一般社員とも、約半分は10年前から昇進できなかった人たちで占められることになる。
以上から解るように、ドラッカーの言う雇用の維持と昇進機会の開放を同時に達成することは、事実上不可能である。では、現代における企業の社会的責任とは何なのだろうか?まず、企業は富の創出機関であると同時に、市場メカニズムを通じた資源の最適配分を担う機関でもある。そして、成熟した経済の特徴は、全体を押しなべて見ると成長率はほぼ横ばいだが、個別の産業を見れば、ある産業が急速に消え、その代わりに古い産業とは関連性の低い新たな産業が急速に立ち上がる、という点にある。
したがって、衰退産業から新興産業へのスムーズな資源の移転が行われなければならない。言い換えれば、全ての企業が成長や富の創出を目指すのではなく、衰退産業は事業を適切に縮小し、新興産業に必要な資源を捻出することが社会的責任となるのである。衰退産業は、いつまでも成長の幻想に囚われて、貴重な資源である人材を奴隷にし続けてはならない。むしろ、衰退産業では余剰となった人材に対し、新興産業でやっていけるだけの能力を身につけられるよう支援する方が、社会的正義に適っていると言えるのではないだろうか?
昇進機会の開放についてはどうか?先のシミュレーションで見たような、10年間で6~7%しか昇進できない世界には絶望しかない。この数値をもっと高めることが、自由主義の立場からますます強く要請されることになるだろう。ただしその要請は、必然的に解雇のリスクを高めることになる。だが、解雇のリスクを冒してでも、自由主義を守るだけの価値はある。よって、企業に求められることは、ここでもやはり、解雇の対象となった人材に対して、次の仕事にスムーズに移行できるようサポートすることであるに違いない。
具体的にどのようなスキームで企業がこの社会的責任を果たすのかはまだ明らかではない。民間が共同出資して人材斡旋・教育訓練を行う企業を作るのかもしれないし、あるいは官がそのような組織を作るのかもしれない。いずれにせよ、企業の新しい社会的責任が、これまで以上に人材の流動化をもたらすことは間違いない。
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《2013年4月13日追記》
余剰人員の整理と再訓練について、『乱気流時代の経営』の中でドラッカーが2つの事例を紹介していたので引用しておく。
歴史上、この余剰労働力の問題は、簡単かつ効果的に解決されたことが2度ある。まず第一に、1904年から5年にかけての日露戦争後、発展を始めたばかりの日本の産業が、初めて不況に見舞われたとき、三井本社は、財閥傘下の全企業に対し、解雇と求人の予定を早急に知らせるよう求めた。
そして本社が、傘下企業の解雇と求人を突き合わせ、解雇者を求人企業に再就職させた。給与は、初任給分を再就職先の企業が負担し、解雇直前の給与とその初任給分との差額を解雇した企業が負担した。再訓練と転勤に伴う費用は両社が負担した。
第二に、今(※同書が発表された1980年)から30年前、スウェーデンにおいて、余剰労働力の発生を予期するだけでなく、むしろそれを加速し、しかもそれを労働者一人ひとりの機会と利益に結びつけるという、さらに野心的な政策が成功した。
当時のスウェーデンの労働組合運動の指導者ヨースター・レーンは、工業化前の原材料供給国としてのスウェーデンを、早急に高度技術国に転換する必要を痛感した。しかしそのためには、きわめて多くの労働者が、構造的に余剰になるはずだった。彼らに対し、新しい仕事に就くための訓練を行う必要があった。
1950年、レーンはスウェーデンの各地に、雇用主、労働組合、政府の代表から成る三者委員会を組織し、少なくとも2年前に余剰人員を予知し、その対象となる労働者に対し再訓練を行うこととした。この三者委員会は、必要に応じ、再就職先への引越費用の融資まで保証した。
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