9月6日・・実家・静岡にて、大学2年生・建築学科・宿題・課題・製図たっぷりでしたが、やはり・・実家はいい!・・
郡山では・・いやっ!福島は、俺にとっては「修行の場」なんだ!そう・・とらえ、苦しみなんて、楽しんで過ごせと・・・
忍耐の夜と戦った。 9月7日・・
郡山へ戻る・・・・まだ夏休みは約1ヶ月程、残ってたが、やはり、参議院選挙F取りの為、早めに帰省許可が出たとは言え、主体は
郡山での闘い・・支援が待っていた。
郡山に着くと、友人・仲田君(留年組)のアパートへ行った。 彼も、やはり、他の建築学科友人・(留年組)等と集まって宿題をやる準備をしていた。 宿題の製図・課題なんて、集まってやっても、意味が無い・・自ら描ききるしかない事が分かってるのか・・・・まぁ彼は神奈川県出身で、静岡の隣県だが、彼が正しいとは決していえない。 忠告や、アドバイスしても、無関心・無抵抗の彼だ・・一生付き合うわけでもないし、彼とはディスコ・カラオケ行けば、楽しめる・・悲しいか・・遊びだけの・・友達か・・?・・と・・思ったのだ・・。 9月8日・・ヒマだー!
暇・・ひま・・・・学校無いし・・活動無いし・・「
最大の不幸とは苦痛よりも
暇を感じる事である」・・・とは、哲学か?
聖教新聞で読んだ一説だったな?・・ヒマって感じたら、題目だべ?決まってんだろ?俺が、使命を果たす為に助かった生命なんだ!題目し、自分の父を入信させるんだ!韓国に住む母の姉も・・んでもって、ガールフレンドを
郡山でもいっぱい作るんだべよ?・・俺って豊かな時代で、しかも、日本に生まれてこれて、御本尊様とめぐり合ったんだべさ・・だから恐ろしき「ヒマ」が来るのは当たり前だ!そんなときゃ・お前!未来の為にも題目第一だべ!ser・・・・大学時代に「
聖教新聞」にての良いと感じた記事は全て1冊のノートにまとめたのだが、今は見当たらないので、見つかり次第、付け足すとするが、'89・8・16この当時記載の「名字の言」が日記にあったので書くが・・
『もし自由になる一定の時間があったら、少しでも楽をしたい、いい思いをしたい、と考えるのが凡人の常である▼「毎日、
自分の嫌いな事を二つずつ行うのは魂のためによいことふだ(モーム)。人間楽しいこと好きなことだけをしていれば、それに越したことはない。が厄介なのは「好きなこと」が必ずしも自分のプラスにならないことだ。むしろ「好きなこと」にうつつを抜かした分、後悔しなければならない▼ここにいう「嫌いなこと」とはそれに挑戦すれば有益であちながら、怠情やおっくうの心が働いて避けてしまうもの。それを「二つずつ」とする必然性を代弁すれば、一つでは心もとないし、三つ以上では重すぎる、程のことか▼ある作家いわく「一流の人は嫌いなことに挑戦して好きな時間に出会う。二流の人は嫌いなことを避けて好きな時間に巡り合えない」。嫌いなことには苦痛がともない、忍耐が必要になる。その持続の上に勝ち取った時間は、ずっしりとした重みがある。当然「好きな時間」になる▼「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合わて南無妙法蓮華経とうちとなゐへさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや(御書P1143)苦しみを避けた人生、嫌いなことに背を向ける生き方は一見いいようで、これ程、空疎なものはない。むしろ現実の苦楽を真正面に見据え、それに挑んでいってこそ、一切を楽しみ切っていく境地が開ける▼鍛えの夏も終盤。人生を深めるために、これまで成そうとして成し得なかった「苦手」に、二つといわず、たとえ一つでも挑戦してみたい。』
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