鉄腕が逝った。元西鉄ライオンズの投手で、同球団や太平洋クラブ、ロッテの監督を務めた稲尾和久氏が13日午前1時すぎ、悪性腫瘍(しゅよう)のため福岡市内の病院で死去した。享年70。稲尾氏は10月30日、福岡市内の病院に入院。検査を続けてきたが、この日、容体が急変し帰らぬ人となった。現役時代は日本シリーズ3連覇の立役者になるなど活躍し、ユニホームを脱いだ後も球界発展に寄与。しかし、最近は体調を崩し、マスターズリーグの福岡ドンタクズ監督、沢村賞の選考委員などの職から離れ、静養していた。 突然の悲報だった。10月末に入院し、検査を続けていた稲尾氏だが、容体が急変し、13日午前1時すぎ、悪性腫瘍のため帰らぬ人となった。当初は1週間程度の検査入院の予定だったが、検査でも病名が特定できず、医師との相談の上、当面の仕事を控えることを決めていた。日刊スポーツの評論家活動をはじめ、地元福岡のテレビ局の出演、すでに開幕したマスターズリーグの福岡ドンタクズ監督の職、名球会の仕事などから離れていた。西鉄時代に「鉄腕」と呼ばれた右腕も病魔には勝てなかった。 野村克也氏:「同じ世代が逝ってしまって寂しくなるな。彼との対決は頭脳勝負で楽しかった。一流が一流を育てる。彼のおかげで生きてこられたようなものだ」 中西太氏:「4、5日前に病院に入っているという話を聞いた。サイちゃん(稲尾氏の愛称)のことだから、元気になって出てくるだろうと思っていたが。寂しい限りです」 豊田泰光氏:「彼がいなければ、僕ら西鉄ライオンズの選手の人生もなかった。私の投手論の中には稲尾君しかいない」 川上哲治氏:「びっくりしました。まだ若かったですから。まだまだ野球界のためにプラスになる働きができたはず。昔のことを思い出しますよ。日本シリーズでは1人にやられた。本当に残念」 長嶋茂雄氏:「今朝のニュースで知り、突然のことで今は大変驚いています。サイちゃんとは(1958年の)日本シリーズでの対戦が思い出として深く残っています。第4戦からの投球は実に素晴らしかった。外側に切れていくスライダーは手が出なかったですよ。その年のオフ、ヨーロッパ旅行にご一緒してからは特に仲良くさせていただきました。宿敵というより仲間のように付き合わせていただいた。今はただ残念で、ご冥福をお祈りします」 |
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Author:Kio
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