アジア連帯講座のBLOGです
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仙谷官房長官発言糾弾 首相官邸へ緊急抗議
菅首相の沖縄訪問--辺野古新基地建設のごり押しを許さない
仙谷官房長官は十二月十三日の記者会見で、普天間基地の辺野古移設に関して沖縄には「甘受していただく」と発言した。沖縄県知事など沖縄からの反発が即座に起こるなかで、翌日には「撤回することもやぶさかではない」とまたもや沖縄の心情を裏切る発言を繰り返した。そして、菅政権は十二月十七日午前中の閣議で防衛大綱を決定した。中国脅威論をふりかざし、「動的防衛力」の概念を打ち出し、南西諸島防衛の強化を明記した。那覇基地の戦闘機部隊の増強や与那国島への自衛隊の配備を念頭に陸上自衛隊の沿岸監視部隊を新設する。こうした「日米同盟の深化」をひっさげて、菅首相は十二月十七~十八日沖縄を訪問した。沖縄民衆は前日から県庁前で抗議の座り込みを行い、基地のこれ以上の押しつけを絶対に許さない姿勢を明らかにした。
十二月十七日午後六時半から、「仙谷官房長官発言糾弾 菅首相の沖縄訪問--辺野古新基地建設のごり押しを許さない」首相官邸への緊急抗議が辺野古への基地建設を許さない実行委の呼びかけで行われた。司会者が仙谷発言を紹介し、「甘受」は辞書によると「甘んじて受けること、快く受けること」とあり、「基地建設にノーを何度となく突きつけている沖縄が基地を快く受け入れることなどありえないのに、こうした発言をしていることは重大だ」と指摘した。沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの木村さんが仙谷発言の経緯と沖縄でどう受け止められたかを報告した。
「沖縄では県知事を始め県議会や宜野湾市の基地問題協議会でも発言に怒っている。仙谷の出身の徳島や他の府県でも米軍基地を新たに受け入れる所がないことを承知していて、沖縄には基地受入れを認め、がまんしろと言った。アメリカにこそもう基地はいらないとハッキリ言うべきだ」。
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの吉田さんが菅首相の訪沖の目的を、辺野古への基地の移設、沖縄への自衛隊の配備増強そしてそれを飲ませるために振興策を打ち出すものだとし、それに対して沖縄では県庁前での抗議行動が連日続けられると報告した。続いて、ジュゴン保護や高江ヘリパッド建設に反対している
環境団体の花輪さんが「日本はCOP10で議長国になり、愛知ターゲットという生物多様性を守る行動計画を作り、海を守り絶滅危惧種を保護する目標値を決めた。沖縄の海、辺野古のある大浦湾を米軍基地にして環境破壊を進めてはならない」と訴えた。
県内移設に反対する県民会議の山城事務局長が電話を通してメッセージを寄こした。「朝から怒りの声でつつまれている。県庁前に午前九時に集合して菅首相が帰るまで抗議の声をあげる。菅首相は改めて県知事に辺野古受け入れを求めた。県知事は県内移設に断固反対の意思を示した。菅の認識に怒り心頭に発して
いる。缶を鳴らし、たたき抗議した。政府は県政を懐柔しようとしているが許さない。さらにへこたれず、あきらめることなく闘い続けていく。東京の人たちとともに最後までがんばろう」。
この後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックと沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会が仙谷長官、菅首相へ抗議・申し入れを行った。沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会の園さんが、「六回の新宿ど真ん中デモを行ったが、まだまだ知らされていない問題がたくさんあり、なぜ沖縄に基地が押しつけられているのか、米軍の駐留の目的は何か、中国との間はどうなっているのか、などを丁寧に説明していくと関心を持つ人がまだまだいる。やれることはいっぱいある。来年もともにがんばろう」と訴えた。最後に官邸に向けて、抗議のシュプレヒコールを行った。
(M)
菅首相の沖縄訪問--辺野古新基地建設のごり押しを許さない
仙谷官房長官は十二月十三日の記者会見で、普天間基地の辺野古移設に関して沖縄には「甘受していただく」と発言した。沖縄県知事など沖縄からの反発が即座に起こるなかで、翌日には「撤回することもやぶさかではない」とまたもや沖縄の心情を裏切る発言を繰り返した。そして、菅政権は十二月十七日午前中の閣議で防衛大綱を決定した。中国脅威論をふりかざし、「動的防衛力」の概念を打ち出し、南西諸島防衛の強化を明記した。那覇基地の戦闘機部隊の増強や与那国島への自衛隊の配備を念頭に陸上自衛隊の沿岸監視部隊を新設する。こうした「日米同盟の深化」をひっさげて、菅首相は十二月十七~十八日沖縄を訪問した。沖縄民衆は前日から県庁前で抗議の座り込みを行い、基地のこれ以上の押しつけを絶対に許さない姿勢を明らかにした。
十二月十七日午後六時半から、「仙谷官房長官発言糾弾 菅首相の沖縄訪問--辺野古新基地建設のごり押しを許さない」首相官邸への緊急抗議が辺野古への基地建設を許さない実行委の呼びかけで行われた。司会者が仙谷発言を紹介し、「甘受」は辞書によると「甘んじて受けること、快く受けること」とあり、「基地建設にノーを何度となく突きつけている沖縄が基地を快く受け入れることなどありえないのに、こうした発言をしていることは重大だ」と指摘した。沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの木村さんが仙谷発言の経緯と沖縄でどう受け止められたかを報告した。
「沖縄では県知事を始め県議会や宜野湾市の基地問題協議会でも発言に怒っている。仙谷の出身の徳島や他の府県でも米軍基地を新たに受け入れる所がないことを承知していて、沖縄には基地受入れを認め、がまんしろと言った。アメリカにこそもう基地はいらないとハッキリ言うべきだ」。
沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの吉田さんが菅首相の訪沖の目的を、辺野古への基地の移設、沖縄への自衛隊の配備増強そしてそれを飲ませるために振興策を打ち出すものだとし、それに対して沖縄では県庁前での抗議行動が連日続けられると報告した。続いて、ジュゴン保護や高江ヘリパッド建設に反対している
環境団体の花輪さんが「日本はCOP10で議長国になり、愛知ターゲットという生物多様性を守る行動計画を作り、海を守り絶滅危惧種を保護する目標値を決めた。沖縄の海、辺野古のある大浦湾を米軍基地にして環境破壊を進めてはならない」と訴えた。
県内移設に反対する県民会議の山城事務局長が電話を通してメッセージを寄こした。「朝から怒りの声でつつまれている。県庁前に午前九時に集合して菅首相が帰るまで抗議の声をあげる。菅首相は改めて県知事に辺野古受け入れを求めた。県知事は県内移設に断固反対の意思を示した。菅の認識に怒り心頭に発して
いる。缶を鳴らし、たたき抗議した。政府は県政を懐柔しようとしているが許さない。さらにへこたれず、あきらめることなく闘い続けていく。東京の人たちとともに最後までがんばろう」。
この後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックと沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会が仙谷長官、菅首相へ抗議・申し入れを行った。沖縄を踏みにじるな!緊急アクション実行委員会の園さんが、「六回の新宿ど真ん中デモを行ったが、まだまだ知らされていない問題がたくさんあり、なぜ沖縄に基地が押しつけられているのか、米軍の駐留の目的は何か、中国との間はどうなっているのか、などを丁寧に説明していくと関心を持つ人がまだまだいる。やれることはいっぱいある。来年もともにがんばろう」と訴えた。最後に官邸に向けて、抗議のシュプレヒコールを行った。
(M)
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十二月十六日午後六時半から、「与那国島への自衛隊派兵を許さない防衛省前行動」が今年最も寒さが厳しいなかで行われた。呼びかけは沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック。
関東ブロックの木村さんが、「政府は防衛大綱を見直して、即応性を発揮して南西諸島防衛を行うとしている。その具体的なこととして、与那国島に二百人の自衛隊員を国境警備隊として配備しようとしている。これは台湾、中国からすれば新たな脅威になり、信頼関係を壊すものだ。尖閣諸島も歴史的にお互いの共存を図って一度も緊張状態はなかった。軍事力に頼らない平和が必要だ」と与那国島への自衛隊の配備を批判した。そして、「十二月三~十日に行われた日米共同統合訓練はPAC3の配備によるミサイル防衛と中国が沖縄を占領したという想定の下に、それから奪還するという大規模なものだった。辺野古新基地建設は自衛隊の海兵隊化、日米の軍事出撃拠点化の一環だ。こうした動きに対して、人口千六百人の与那国島では配備反対の署名が始められた。一月いっぱいで人口の過半数をめざしている」と報告した。
参加者からのあいさつが行われた。「戦争に協力しない、させない練馬アクション」は自衛隊練馬基地から米軍キャンプ座間に自衛隊中央即応司令部が移動し、米陸軍第一軍団司令の米本土からの移動とともに、日米軍事強化が行われていることを指摘した。アジア共同行動は米軍岩国基地強化に反対する行動を行ったことを報告した。東水労の仲間は練馬、朝霞の自衛隊基地への抗議行動を連続的に行ってきたことを報告し、日米安保体制反対の闘いの重要性を訴えた。
一坪反戦関東ブロックの吉田さんが午後四時から行われた防衛省交渉の報告を行った。「なかなかしたたかな回答だったが、マスコミ報道以上のものはなかった。『与那国島への配備が決まれば二千万円の予算計上するが、具体化しているわけではない。負担軽減については、基地を置くことが負担にならないようにやっていく。動的抑止力の整備をやっていく。さらに、追及していくと、『考えているけれど』とあいまいだったが、『中国の海・空軍の配備が強烈となり脅威だからだ』と結局、配備を認めるものだった』。
最後に、仙谷官房長官の辺野古への基地移設を「甘受せよ」とする発言に抗議する十二月十七日の緊急首相官邸前行動が呼びかけられた。
(M)
関東ブロックの木村さんが、「政府は防衛大綱を見直して、即応性を発揮して南西諸島防衛を行うとしている。その具体的なこととして、与那国島に二百人の自衛隊員を国境警備隊として配備しようとしている。これは台湾、中国からすれば新たな脅威になり、信頼関係を壊すものだ。尖閣諸島も歴史的にお互いの共存を図って一度も緊張状態はなかった。軍事力に頼らない平和が必要だ」と与那国島への自衛隊の配備を批判した。そして、「十二月三~十日に行われた日米共同統合訓練はPAC3の配備によるミサイル防衛と中国が沖縄を占領したという想定の下に、それから奪還するという大規模なものだった。辺野古新基地建設は自衛隊の海兵隊化、日米の軍事出撃拠点化の一環だ。こうした動きに対して、人口千六百人の与那国島では配備反対の署名が始められた。一月いっぱいで人口の過半数をめざしている」と報告した。
参加者からのあいさつが行われた。「戦争に協力しない、させない練馬アクション」は自衛隊練馬基地から米軍キャンプ座間に自衛隊中央即応司令部が移動し、米陸軍第一軍団司令の米本土からの移動とともに、日米軍事強化が行われていることを指摘した。アジア共同行動は米軍岩国基地強化に反対する行動を行ったことを報告した。東水労の仲間は練馬、朝霞の自衛隊基地への抗議行動を連続的に行ってきたことを報告し、日米安保体制反対の闘いの重要性を訴えた。
一坪反戦関東ブロックの吉田さんが午後四時から行われた防衛省交渉の報告を行った。「なかなかしたたかな回答だったが、マスコミ報道以上のものはなかった。『与那国島への配備が決まれば二千万円の予算計上するが、具体化しているわけではない。負担軽減については、基地を置くことが負担にならないようにやっていく。動的抑止力の整備をやっていく。さらに、追及していくと、『考えているけれど』とあいまいだったが、『中国の海・空軍の配備が強烈となり脅威だからだ』と結局、配備を認めるものだった』。
最後に、仙谷官房長官の辺野古への基地移設を「甘受せよ」とする発言に抗議する十二月十七日の緊急首相官邸前行動が呼びかけられた。
(M)
十二月十六日、日本教育会館大ホールで「開示勧告から1年 - 今こそ全証拠の開示と事実調べを」狭山事件の再審を求める市民集会が同実行委員会の主催で開かれた。会場には全国からかけつけた部落解放同盟員らで埋め尽くされた。
二〇〇九年十二月の東京高裁による開示勧告を受けて、二〇一〇年五月に三十六点の証拠開示が行われた。その中に、石川一雄さんが四十七年前の逮捕当日に書いた上申書があった。犯人が出した脅迫状の字体と似ても似つかないものであった。開示された取り調べテープは自白後のものであり、犯人ではないとしていた自白前のものが開示されなかった。さらに、殺害現場の血痕検査報告書など三点を「不見当(見当たらない)」と回答した。十二月十五日に、三者協議が開かれ次回は三月に決まった。全証拠の開示と事実調べによって再審の扉を開かせよう。足利事件、布川事件など再審無罪が次々と出されようとしている「新しい風」の吹く中で狭山闘争は二〇一一年こそが再審開始・無罪判決を勝ち取る正念場になっている。
集会は組坂繁之さん(部落解放同盟中央本部委員長)の開会あいさつの後、辻惠さん(民主党、衆院議員)、福島みずほさん(社民党党首)があいさつを行った。
辻さんは「狭山弁護団の一員として三者協議に参加したが予断を許さない。連帯と共同行動の強化が必要だ」とし、さらに取り調べの可視化法案を時期国会に提出したい」と述べた。狭山弁護団の一員でもある福島さんは「狭山は大きく動き、変わってきている。三十六点の証拠開示がされたがすべてではない。自白録音テープは自白の後のものだけだ。殺害現場を撮影した八ミリフィルムは見当たらないと回答している。では撮影したと報告がある警察にちゃんと言っているのか。事実調べをやって欲しいと裁判長に要望したが、裁判長は即答しなかった。事実調べをかちとり再審を開始させよう」と訴えた。
次に当事者の石川一雄さんが「新たな証拠開示によって、脅迫状と私の書いたへたな字の上申書が一致しないのは誰が見ても分かってもらえるだろう。私は万年青年だ。自分が無実を勝ちとってから歳のことを考えたい。前進あるのみだ」と勝利に向けてがんばるとの決意を語った。連れ合いの早智子さんは「事実調べをやってくれれば無罪判決出せる。狭山には風が吹いている。正義はわたしたちのものだ。三者協議は前進があった。凍っていた司法の壁が溶け始めている。来年は決戦の時だ。良き年になるように願っている」と語った。
続いて、中山武敏弁護団長と中北龍太郎弁護団事務局長が裁判の状況について報告した。
四十七年ぶりに五月二十三日に逮捕された時に提出した上申書の石川さんの字と脅迫状の字はまったく違っている、詳しく上申書と脅迫状の字体や文体の違いを明らかにした。さらに、不祥事で検察が責められるが、検察の暴走を止められない裁判所の責任が看過されていないか。判検交流など、検察とのなれあいを廃止されるべきだと述べた。次回、三者協議が三月に開かれるが、新証拠を出して、証拠開示と事実調べを要求していきたい、と述べた。
庭山英雄さん(市民の会代表・弁護士)は「イギリスでは法曹一元化が進んでいる。弁護士が元になって、検察官や人権をちゃんと勉強している人を裁判官に推薦するので、証拠を隠すようなことはしない」と証拠開示は他の国では当たり前であることを紹介した。次に松岡徹さん(部落解放同盟中央本部書記長)が「狭山事件は警察・検察によってつくられたえん罪事件だ。百万人署名など運動的にがんばってきたが、解決の道は政治の力が大切だ。取調べの可視化法案の成立を実現しなければならない。三月十六日布川事件の判決が出るが、狭山はそれに続いて再審を実現しよう」と基調報告を行った。
次に、再審えん罪事件当事者からの連帯アピールが行われた。足利事件で再審無罪を勝ちとった菅家利和さんは突然犯人として逮捕され、髪の毛を引っ張られたり、蹴飛ばされたりというひどい取調べ状況を述べ、いかに犯人にでっち上げられたかを怒りを込めて語った。さらに、菅家さんは取り調べた警察官や検察官そして、誤判犯した裁判長が謝っていないことに対して何度も何度も絶対に許さないと厳しく責任を追及した。
布川事件で再審判決をむかえる杉山卓男さんが「三十数年前に石川さんと会った。その後千葉刑に移された。千葉刑では石川さん、菅家さんそして私たちはえん罪四兄弟と言われた。検察はストーリーをつくり犯人に仕立てる。そのために証拠を隠す、証拠を改ざんする。私たちは百点以上の証拠を開示させた。殺害方法が扼殺か絞殺か、指紋が一致しない、毛髪が一致しない、目撃証言が合わない、これが再審のカギになった。証拠開示が無罪につながる。えん罪を明らかにすることは容易ではない。後もう少しの辛抱だ。がんばろう」と訴えた。
同事件の桜井卓男さんは取り調べ時間の改ざんやウソ発見器にかけられた時の証拠が水害で流されたとウソを言っていたことが証拠開示で明らかになった。検察・警察は事件がえん罪になっても、罪に問われない。私は菅家さんのように検察に謝れと言わない。代わりに証拠を隠した人を犯罪者として罰するようにと言いたい。国家賠償をして責任を追及する」と語った。
袴田事件で弟の無実を訴える袴田秀子さんと清水・静岡市民の会代表・楳田民夫さんが袴田巌死刑囚の様子を語った。「逮捕からすでに四十四年になり、死刑が確定してから、精神的に不安定になった。七月二十日以後、面会拒否をしていて、昨日も会えなかった。千葉法相による死刑執行が影響しているのではないかと思う。三者協議が開かれ、九月十三日、十二月六日に五点の衣類の証拠を開示してきた。一年二カ月にわたり味噌樽に漬かっていたとする犯人の衣類は、緑色や血の色も鮮明でともて、検察の主張と合わないものだ。証拠を出せば出すほどおかしいことになっていく。検察は必要な証拠は出すといっている。さらに証拠
開示を求めていく」。
鎌田慧さんが「狭山の勝利なくして民主主義はない。来年こそ無罪を獲得するために命がけでがんばろう」とまとめた。最後に集会アピールを全員で確認した。
(M)
二〇〇九年十二月の東京高裁による開示勧告を受けて、二〇一〇年五月に三十六点の証拠開示が行われた。その中に、石川一雄さんが四十七年前の逮捕当日に書いた上申書があった。犯人が出した脅迫状の字体と似ても似つかないものであった。開示された取り調べテープは自白後のものであり、犯人ではないとしていた自白前のものが開示されなかった。さらに、殺害現場の血痕検査報告書など三点を「不見当(見当たらない)」と回答した。十二月十五日に、三者協議が開かれ次回は三月に決まった。全証拠の開示と事実調べによって再審の扉を開かせよう。足利事件、布川事件など再審無罪が次々と出されようとしている「新しい風」の吹く中で狭山闘争は二〇一一年こそが再審開始・無罪判決を勝ち取る正念場になっている。
集会は組坂繁之さん(部落解放同盟中央本部委員長)の開会あいさつの後、辻惠さん(民主党、衆院議員)、福島みずほさん(社民党党首)があいさつを行った。
辻さんは「狭山弁護団の一員として三者協議に参加したが予断を許さない。連帯と共同行動の強化が必要だ」とし、さらに取り調べの可視化法案を時期国会に提出したい」と述べた。狭山弁護団の一員でもある福島さんは「狭山は大きく動き、変わってきている。三十六点の証拠開示がされたがすべてではない。自白録音テープは自白の後のものだけだ。殺害現場を撮影した八ミリフィルムは見当たらないと回答している。では撮影したと報告がある警察にちゃんと言っているのか。事実調べをやって欲しいと裁判長に要望したが、裁判長は即答しなかった。事実調べをかちとり再審を開始させよう」と訴えた。
次に当事者の石川一雄さんが「新たな証拠開示によって、脅迫状と私の書いたへたな字の上申書が一致しないのは誰が見ても分かってもらえるだろう。私は万年青年だ。自分が無実を勝ちとってから歳のことを考えたい。前進あるのみだ」と勝利に向けてがんばるとの決意を語った。連れ合いの早智子さんは「事実調べをやってくれれば無罪判決出せる。狭山には風が吹いている。正義はわたしたちのものだ。三者協議は前進があった。凍っていた司法の壁が溶け始めている。来年は決戦の時だ。良き年になるように願っている」と語った。
続いて、中山武敏弁護団長と中北龍太郎弁護団事務局長が裁判の状況について報告した。
四十七年ぶりに五月二十三日に逮捕された時に提出した上申書の石川さんの字と脅迫状の字はまったく違っている、詳しく上申書と脅迫状の字体や文体の違いを明らかにした。さらに、不祥事で検察が責められるが、検察の暴走を止められない裁判所の責任が看過されていないか。判検交流など、検察とのなれあいを廃止されるべきだと述べた。次回、三者協議が三月に開かれるが、新証拠を出して、証拠開示と事実調べを要求していきたい、と述べた。
庭山英雄さん(市民の会代表・弁護士)は「イギリスでは法曹一元化が進んでいる。弁護士が元になって、検察官や人権をちゃんと勉強している人を裁判官に推薦するので、証拠を隠すようなことはしない」と証拠開示は他の国では当たり前であることを紹介した。次に松岡徹さん(部落解放同盟中央本部書記長)が「狭山事件は警察・検察によってつくられたえん罪事件だ。百万人署名など運動的にがんばってきたが、解決の道は政治の力が大切だ。取調べの可視化法案の成立を実現しなければならない。三月十六日布川事件の判決が出るが、狭山はそれに続いて再審を実現しよう」と基調報告を行った。
次に、再審えん罪事件当事者からの連帯アピールが行われた。足利事件で再審無罪を勝ちとった菅家利和さんは突然犯人として逮捕され、髪の毛を引っ張られたり、蹴飛ばされたりというひどい取調べ状況を述べ、いかに犯人にでっち上げられたかを怒りを込めて語った。さらに、菅家さんは取り調べた警察官や検察官そして、誤判犯した裁判長が謝っていないことに対して何度も何度も絶対に許さないと厳しく責任を追及した。
布川事件で再審判決をむかえる杉山卓男さんが「三十数年前に石川さんと会った。その後千葉刑に移された。千葉刑では石川さん、菅家さんそして私たちはえん罪四兄弟と言われた。検察はストーリーをつくり犯人に仕立てる。そのために証拠を隠す、証拠を改ざんする。私たちは百点以上の証拠を開示させた。殺害方法が扼殺か絞殺か、指紋が一致しない、毛髪が一致しない、目撃証言が合わない、これが再審のカギになった。証拠開示が無罪につながる。えん罪を明らかにすることは容易ではない。後もう少しの辛抱だ。がんばろう」と訴えた。
同事件の桜井卓男さんは取り調べ時間の改ざんやウソ発見器にかけられた時の証拠が水害で流されたとウソを言っていたことが証拠開示で明らかになった。検察・警察は事件がえん罪になっても、罪に問われない。私は菅家さんのように検察に謝れと言わない。代わりに証拠を隠した人を犯罪者として罰するようにと言いたい。国家賠償をして責任を追及する」と語った。
袴田事件で弟の無実を訴える袴田秀子さんと清水・静岡市民の会代表・楳田民夫さんが袴田巌死刑囚の様子を語った。「逮捕からすでに四十四年になり、死刑が確定してから、精神的に不安定になった。七月二十日以後、面会拒否をしていて、昨日も会えなかった。千葉法相による死刑執行が影響しているのではないかと思う。三者協議が開かれ、九月十三日、十二月六日に五点の衣類の証拠を開示してきた。一年二カ月にわたり味噌樽に漬かっていたとする犯人の衣類は、緑色や血の色も鮮明でともて、検察の主張と合わないものだ。証拠を出せば出すほどおかしいことになっていく。検察は必要な証拠は出すといっている。さらに証拠
開示を求めていく」。
鎌田慧さんが「狭山の勝利なくして民主主義はない。来年こそ無罪を獲得するために命がけでがんばろう」とまとめた。最後に集会アピールを全員で確認した。
(M)
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