2021-03-24(Wed)
カリスマのない社会を
私はカリスマが嫌いだ。
カリスマに頼る社会を嫌悪する。
カリスマの元では、決して自らの自由を得ることはできないと確信している。
「正しいカリスマ」だろうが「悪のカリスマ」だろうが関係ない。
すべて嫌いだ。
そのわりに、小沢一郎とか山本太郎とか、カリスマ性のある政治家を応援してるじゃないか、と言われるかな。
小沢一郎は、カリスマになる要素を完璧に備えているにもかかわらず、いや、だからこそカリスマになることを自ら拒否していると私は感じている。
「日本に民主主義を根付かせる」という、小沢一郎の執念にかけて、カリスマになることを拒否している。
自らがカリスマになってしまえば、日本人の自立はむしろ阻害される。それが分かっているからだ。
なんで先頭に立ってくれないのかともどかしい思いをすることもあるけれども、きっと胸の内はそういうことなのだろう、と私は思ってきた。
逆説的だが、「小沢さんなら何とかしてくれる」と信心するオザシンンがいなければ、小沢一郎は思い切って先頭に立っていたのではないだろうか。
かつて山本太郎は、街宣の度に「山本太郎を疑え」と言っていた。
ぱっと見とは逆に、常に自分を振り返り、疑いながら慎重に進んでいた。
だから私は、安心して、あれこれ保留せずに応援することができた。
しかし、れいわ新選組になってからは、振り切ってしまった。
どころか「あなたを幸せにしてあげたい」と言う教祖様になってしまった。
結果を出したいという焦りなのだということは、痛いほど分かるけど、今のれいわ新選組の未来に、自立した日本人の決起があるようには、どうしても思えない。
■
オリンピックも、カリスマの独壇場だ。
というか、スポーツ真理教の祭典なのではないか。
スポーツの面白さは私もある程度わかるつもりだ。
でも最近はやりの「勇気を届けたい」を聞く度に、やっぱ宗教だとおもってしまう。
勇気はあげるものじゃない。
自分の好きなことに勝手にうちこむ人がいて、それを見て勝手に勇気がわいてくることがある。それだけだ。
「あげたい」というおこがましさこそ、教祖さまでありカリスマなのである。
復興五輪?
事実は、復興(予算を削り取って実現する)五輪である。
スポーツ真理教のみなさんは、その現実をふまえ、「被災者の皆さんに勇気を届ける」じゃなくて「被災者の皆さんから予算をいただいています」と、言ってもらいたいものだ。
■
最終形は、権威というものが消滅してほしい。
人が人の圧力を感じずに生きられるようになってほしい。
私が生きているうちには無理だろうけど、いつか、そんな世の中が来てほしいと、真剣に思っている。
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カリスマに頼る社会を嫌悪する。
カリスマの元では、決して自らの自由を得ることはできないと確信している。
「正しいカリスマ」だろうが「悪のカリスマ」だろうが関係ない。
すべて嫌いだ。
そのわりに、小沢一郎とか山本太郎とか、カリスマ性のある政治家を応援してるじゃないか、と言われるかな。
小沢一郎は、カリスマになる要素を完璧に備えているにもかかわらず、いや、だからこそカリスマになることを自ら拒否していると私は感じている。
「日本に民主主義を根付かせる」という、小沢一郎の執念にかけて、カリスマになることを拒否している。
自らがカリスマになってしまえば、日本人の自立はむしろ阻害される。それが分かっているからだ。
なんで先頭に立ってくれないのかともどかしい思いをすることもあるけれども、きっと胸の内はそういうことなのだろう、と私は思ってきた。
逆説的だが、「小沢さんなら何とかしてくれる」と信心するオザシンンがいなければ、小沢一郎は思い切って先頭に立っていたのではないだろうか。
かつて山本太郎は、街宣の度に「山本太郎を疑え」と言っていた。
ぱっと見とは逆に、常に自分を振り返り、疑いながら慎重に進んでいた。
だから私は、安心して、あれこれ保留せずに応援することができた。
しかし、れいわ新選組になってからは、振り切ってしまった。
どころか「あなたを幸せにしてあげたい」と言う教祖様になってしまった。
結果を出したいという焦りなのだということは、痛いほど分かるけど、今のれいわ新選組の未来に、自立した日本人の決起があるようには、どうしても思えない。
■
オリンピックも、カリスマの独壇場だ。
というか、スポーツ真理教の祭典なのではないか。
スポーツの面白さは私もある程度わかるつもりだ。
でも最近はやりの「勇気を届けたい」を聞く度に、やっぱ宗教だとおもってしまう。
勇気はあげるものじゃない。
自分の好きなことに勝手にうちこむ人がいて、それを見て勝手に勇気がわいてくることがある。それだけだ。
「あげたい」というおこがましさこそ、教祖さまでありカリスマなのである。
復興五輪?
事実は、復興(予算を削り取って実現する)五輪である。
スポーツ真理教のみなさんは、その現実をふまえ、「被災者の皆さんに勇気を届ける」じゃなくて「被災者の皆さんから予算をいただいています」と、言ってもらいたいものだ。
■
最終形は、権威というものが消滅してほしい。
人が人の圧力を感じずに生きられるようになってほしい。
私が生きているうちには無理だろうけど、いつか、そんな世の中が来てほしいと、真剣に思っている。
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