2006-06-25(Sun)
辺見庸 講演会 速報
昨日、辺見庸氏の講演会が大阪の中央公会堂で行われた。
頭の中がまとまりきらないが、まだ熱いウチに速報を書き留めておく。
開場時間には長蛇の列になった聴衆は、大ホールに入りきらず、3階の中ホールにスクリーンを設置していた。たぶん、1500人以上集まったであろう。
予定の2時間半を越えて、調子の良くない体調を押して、熱く語った。前半のキーワードは「心の芯から言葉であるか」ということだったと思う。
紋切り型の「護憲」ではなく、自分にとってどうしても「諾う(うべなう)」ことができないこと。それを自分の言葉で語ること、そうしたことがテーマであったように感じた。たぶん、言いたいことがわからなかった人も多いのではないだろうか。
中でも、歌人の岩田正さんの「駄作」である
「九条の改正わらい言う議員 このちんぴらに負けてたまるか」
という歌にこめられた、心の底からの怒りの表現ということに象徴されていた。
後半は、ストレートに改憲を言うもの対する戦いの宣言であった。そこで繰り返し言われたことは
「人間であることの恥辱」
ということと
「潜思」
というワードであった。
戦時に中国人の生体解剖をした現場で、虐殺される中国人を「安心」させて実験台に乗せた看護婦を例に挙げ、積極的な犯罪でなくとも、当たり前のルーチンの中でなされる受動的な犯罪にこそ、人間としての恥辱があるのではないか、と問いかけた。
そして、今は、この虐殺される被験者が我々の目の前にいると仮定して、その時どうするか考えなければならない。ルーチンに流されるのではなく、境界を越える必要がある。
小指の先から血の一滴でも流す必要がある。
そして最後に
徒党を組むのではなく、ひとりが抵抗すること、表現すること、これを辺見庸氏は呼びかけられた。
コイズミと安倍晋三によって、抜き差しならないところまで来てしまったこの国で、次の一歩をハッキリと呼びかける声を聞いた。
詳しい感想は書くいとまがないが、
1.私の隣によく笑うおじさんがいた。笑うことによる、自己弁護のようなものを私は感じてしまう。笑うことで、私は解ってるんだ、私はこちら側なんだと言いたげな笑い。どうもそれが辺見氏の言葉にそぐわない、私の気分にそぐわない。
2.昨年9月以来、何もしないでいることが我慢ならずこのブログを書いているが、これで良いのか、これだけでも続けるべきなのか、迷いは深い。
だらだらと喋ることと、表現することの違いは何なのだろう。このことが、一番私に突きつけられた問題だった。
※講演会の実行委員会のかたから、著作権の問題があると指摘されてしまいました。録音をお渡しすることはできませんが、ぜひ、講演内容を公開して欲しいと要望しました。作品性よりもメッセージ性のほうがはるかに強い講演であり、命を削って話してくれた辺見氏の意向に添うものではないかと、勝手に想像してしまうからです。(2006.6.29)
- 関連記事
-
- テポドンが飛んで「俺はツイテル!」 by コイズミ (2006/07/07)
- やはり安倍ジョンイルが相応しい (2006/07/07)
- 北朝鮮の民衆を奈落の底に突き落とす金正日と安倍晋三 (2006/07/06)
- やはりテポドンはポーズだけ!? (2006/07/02)
- 「武装解除」伊勢崎賢治著 (2006/07/01)
- テポドンと安倍晋三の不思議な関係 (2006/06/29)
- お詫びと訂正 濱田雅行氏について (2006/06/26)
- 辺見庸 講演会 速報 (2006/06/25)
- 辺見庸 講演会 (2006/06/23)
- ブロガーの一層の奮起を! 安倍を下ろそう (2006/06/23)
- コメントやTBについて (ブログのちから) (2006/06/22)
- あらためて光市事件について (2006/06/21)
- 安倍晋三 文鮮明 金日成 (2006/06/18)
- まいど! 安晋会関連企業殿 (2006/06/17)
- 究極のインサイダー福井をかばうカルト安倍 (2006/06/15)