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2012年8月23日 (木)

中国で反日デモが起こる理由

知り合いで、中国人の共産党員を妻にした友人がいる。その人の話によると、彼女は、日本人と結婚したが、日本は大嫌いだそうだ。また大学に留学している人から聞いた話だが、中国人の学生の中には、日本はいまだに中国の冊封国(中国の属国)であるかのように錯覚している人もいるし、日本語を学びながら、日本が嫌いな人が少なからずいるとのことだった。

 

北京には数多くの外国人が住んでいる。その中でも、日本人の評判は悪いわけではない。悪いわけではないと言った理由は、歴史を振り返った場合に、日中戦争で、中国を軍靴で踏みにじってきたという日本人が抱える歴史的罪悪感と、中国人の心にある心的トラウマのような部分がなんとなく、他国の人と別な点で、こだわりや溝をつくってしまうのだろう。

 

過去にも、大学での演劇でのパロディが問題となったり、ある日本人の発言に過剰に反応したり、集団買春、さらに大手企業の社員が買春で逮捕された小さな問題から、毒餃子という大きな事件まで、他の国であったらあまり問題とならなかったような記事が二国間で飛び交った時期がある。

 

日本にいると、まったくわからなかったことが、北京に住むとその背景が良くみえてくることがある。たとえば、中国の一部の都市で、なぜ反日運動が度々もちあがるのか。先に中国人の心には心的トラウマがあると述べたが、私個人の意見では、この心的トラウマは、多くは中国における戦後教育によって作り出されたものではないだろうか。これは仮説なので、証明のしようがないのだが、教育によって心的トラウマが生み出され、そのトラウマと現実問題が絡み合って、反日デモをうみだしているように思える。

 

そもそも話は、戦中の国共合作にさかのぼる。対日政策をとるため、始めは、国民党と共産党が共同で日本に立ち向かうことに同意するが、やがて、国民党が共産勢力の急速な成長に不安と脅威を感じるようになる。その恐怖から、蒋介石軍は共産党に攻撃をしかけ、ある部隊を潰滅させたことが原因で、国共合作は事実上、崩壊し、相互の武力対決の様相を帯びるようになった。お互いに、相手を抹殺するために、謀略や殺りくを繰り返した。共産党が政権をとってからも、国民党狩りで国民党よりだった人を七十万人も公開処刑で殺した。さらに、共産党の歴史をひも解いて行くと、文化大革命で五十万人、やチベットでの圧政により八万人、大躍進運動の挫折によって四千万人が死に、日本が中国に対して行った戦争に引けを取らないほど数限りない無意味な死、残虐な拷問、リンチ、殺りくが行われた。

 

話は変わるが、以前、日本で環境問題をやっていたとき、住民から寄せられる苦情というのは、大気汚染は少ないと聞いたことがある。苦情件数で一番多いのは、騒音、そして悪臭だという。騒音公害はさておいて、悪臭の場合にどんな対策があるだろうか。悪臭で一番多いのは、家畜を飼っているケースだろう。牛、馬、鶏などを飼っていると、その糞尿の臭いが近所の苦情のネタとなることが多い。その悪臭対策として、おもしろい実験をした人がいたそうだ。

 

家畜の糞尿の臭いが、流れ出る方向にコーヒーの臭いを混ぜて流したそうだ。そうすると、苦情の件数が極端に減ったそうだ。悪臭に、悪臭よりも強い芳香が混じると、その臭いに鼻が慣らされ、悪臭に無感覚になるらしい。まして、コーヒーの臭いに嫌悪感をもつ人は少ない。似たようなことが部屋の芳香剤でも作用する。部屋の嫌な臭いがなくなったわけではないのだが、強い芳香剤を撒くことで、部屋の嫌な臭いに気がつかなくなるものらしい。

 

どうも、これと同じことが中国における教育現場で行われてきた気がする。共産党が行ってきた失敗や悪事を過小評価するため、日本が中国で行った残虐性をクローズアップすれば、当然のことながら、共産党の歴史の闇の部分を過小にすることができる。

 

史実を追って行くと、現在の共産党軍と日本軍との直接戦争は少なかった。抗日戦争で全面的に戦ったのはどうも国民党のほうだった。しかし、戦ったはずの国民党の多くの戦士は、共産党の戦士に殺された。それでは、抗日戦争の被害者意識を強調できないし、英雄としての毛沢東のイメージは築けない。そこで、戦争で日本を悪役にし、日本からの陳謝と多額の援助を引き出し、キャンペーンをはって、毛沢東を抗日戦争の英雄にしたて、毛沢東のイメージもアップできた。戦後に反日映画や戯曲が多量に作られ、それを見た人々は、日本イコール悪役のイメージを記憶の底に定着したといってよいだろう。現在ですら、そのパターンは多少トーンを弱めたとは言え、いまだ抗日の戦争ドラマは形を変えテレビで放映されている。

 

もちろんそうは言っても、日本が中国で戦中に行った殺りくや残虐行為は、過小評価できることではない。しかし、戦後67年も既に経ってしまったのだ。何故それほど過去にとらわれなければならないのだろう。しかも、中国は戦争の賠償は台湾にならい破棄したが、国際協力という別な形で日本から様々な援助を受けてきた。日本からの援助は、当然のことながら、中国のインフラなど様々な形で利用されてきたが、中国人民の知るところは少なかった。なぜなら、日本が国際協力を行うのが当然という意識が中国の指導者に多かったためだろう。

 

日本でも似たような事が起きている。案外知らないことだが、世銀から八千万ドルの借款を得たからこそ、新幹線を開発し実用化することができた。その事実が国民の知るところとなったのは、新幹線が実用化されて、かなり後のことだった。それを考えると、中国でも、日本の援助に関する再評価がくだるのは、かなり先のことだろう。

 

教育の呪縛というものは、一旦そう教え込まれるとなかなか抜け出すことができないものだ。それは、日本の教育でも同じだろう。私が義務教育で教わった頃の歴史では、敗戦記念日が終戦記念日となり、豊臣秀吉の朝鮮侵略が朝鮮征伐という美名に変わっていた。朝鮮の植民地化でさえも、韓国併合と教わった。そもそもアジアの近代史は、私は学校では詳細は習わなかったように思う。教える先生の方も、意識的に避けていたのではないだろうか。結局、学校を卒業してから、韓国の歴史も中国の歴史も自分で本を読み確認し、歴史認識を改めたことのほうが多かった。

 

考えてみると、アジアの近代史を学ばずに中国や他のアジア諸国に留学している学生は、その国で日本の軍部が行った非道をまったく知らずに、当時国で語学や専門性を学んでいることになる。だから、歴史認識の浅い日本の学生が、その国で文化的なトラブルを起こす可能性が高くなるのは、当然の結果かもしれない。これらの原因は、やはり戦後の世代が過去の歴史を隠ぺいし、清算もせず、事実を事実として次の世代に伝えてこなかったことに責任があるように思う。

 

これと同じことが中国でも起こっていると考えてもさしつかえなかろう。民衆が求める中国における民主化運動と、学校で教わってきた日本兵による残虐な歴史、これらの事が、現代がかかえる問題と三角関係を結んで、状況や事件性と関連して、ベクトルの動く方向が反日の方向に動いてきたようだ。これが、中国の一部の都市では反日運動が度々もちあがる理由の説明になるだろう。

 

そういった歴史教育を受けてきた人たちが、日本を心の底から好きになる可能性は少ない。だから、民衆のあいだで、今も、そしてこれからも反日運動が起きていくだろう。さらに、造反有理という言葉がある。現状の不満を日本のせいにして、しかも日本を悪者にすれば、造反に道理があるとして、当局からのお咎めも比較的回避できる可能性が高い。

 

これだけ、世界中にツイッターがはびこり、フェイスブックがつながり、たくさんの情報がはびこっても、教育という問題は、一朝一夕に解決できる問題ではなさそうだ。中国と日本の関係を現す言葉に「一衣帯水」という言葉がよく使われる。両者の間に狭い隔たりがあるが、互いの往来には妨げとはならないという意味で使われる。

 

この両者の間の一筋の細い川は、実は歴史問題であると同時に、教育問題でもあることに気がついている人は少ない。ことわざにも「1年の計は作物を植え、10年の計は樹木を植え、100年の計は人心を育てよ」という言葉がある。歴史はやがては、過去の遺物となるが、教育によるものは、消えずに残って行く。この教育問題を考えずして、ニ国間の本当の友好はやってこないだろう。

 

中国では、民衆や学生を思い通りに動かそうとしたことが近代であった。その最たるものは、毛沢東による復権をねらった文化大革命だろう。しかし、紅衛兵による文化大革命は毛沢東にとっても予測できない方向に進んだ。だから、復権後は、「農民に学べ」と学生を地方に送り込む下放政策に転換せざるをえなかった。日本が長年、間違った歴史教育を行ってきたツケを払わされるときがきたように、中国が行ってきた戦後教育も、やがては、党や政府の思ったものとは、まったく違った方向に進むことがある。それこそが、日本が一番警戒しなければならないことであり、中国政府自身、そのツケを払わなければならないときがくるのだろう。

 

中国が好きだった、司馬遼太郎は、次のように言っている。

「国家には適正サイズがあります。フランスもイギリスも日本も適正でしたが、中国は大きすぎる。日本人はその苦しみをわかってあげなくてはなりません。」

 

この司馬遼太郎が言った言葉を日本の政治家に送りたい。中国の苦しみはその国土が大きすぎることだろう。戦争では、国土が大きすぎることが、他国からの侵略を妨げてきた。しかし、政治や行政面では、この国を統一していくことは、とてつもなく困難なことに思える。その大国の苦しみを自分の苦しみとしてとらえ、二国間に横たわる問題を表面上だけで解決しようとするのではなく、その裏に複雑に絡んだ要素があることを認識しながら、日中両国との関係改善をはかることが必要だと気づいてほしいものだ。

 

こう考えてみると、学術的にニ国間の歴史認識のすりあわせを行っている専門家の方には、敬意を表したい。今後もアジア諸国で、近代の歴史をすりあわせすることはできなくても、過去の歴史を検証し、国家の枠にとらわれない共通認識の歴史を作り上げる必要があるだろう。その先には、国を超えた教育省の設置の必要性が見えてくる。国家の色眼鏡をはずした、正しい歴史を教育できるような教育分野での国連機関の設置を望みたい。さきほどのことわざ、「人心は100年の計」を考えるなら、今後100年かけて、歴史教育というものを変えていく必要がありそうだ。

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コメント

あなたの歴史認識はすべて間違っている
通州事件 通化事件などの事件を調べなさい。
水間政憲氏の著作でも読みなさい。 

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