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2011年6月17日 (金)

北京レポート(24)北京の水源

北京に住み始めたとき、長い間、心に引っかかっていた素朴な疑問があった。北京で使用される生活水はいったいどこから来ているのだろう。

 

たとえば、日本だったら都内の生活水は主に利根川上水から取水していると聞いている。日本は雨の多い国だし、冬は山々に雪が降り、さらに台風は大量の雨雲を運んでくるので、水の水質には関心が行くが、水の供給そのものを心配することはあまりない。

 

ところが、北京に住んでみると、本当に雨が降らないのだ。冬の寒い時期に、傘など必要はないし、雨が降るのは六月~九月の間くらい。それも降り続けることなどほとんどない。昼に降っても一時間もたたないうちに陽がさしこんでくる。普通に考えれば、雨水で北京市が必要とする全生活水を供給できるわけがない。なぜなら、北方では年間降雨量の約80%が夏の四カ月間に降る雨だという。降水量が絶対的に少ないのだ。北京市の南の方で年間降水量は405mmほど。北の方の数字もこれと似た数字だろう。過去のデータでは630mmくらいあった時期もあったそうだ。年々雨が少なくなってきているように思える。東京都の年間降雨量が1500mmほどだから、北京の降雨量は東京の三割にも満たない。

 

北京市の水源に関しての何か本があるのかと思ったがなかなか見つからない。杉本信行氏の書いた「大地の咆哮」という本に、やっと短いがその水源について記述があった。北京市の主な水源は二つのダム、北京市の東北郊外にあって燕山の山並みの中にある密雲ダム。密雲ダムというのは1958~1960年代に建造された面積が183平方キロメートルの最大の人造湖である。もうひとつのダムは官庁ダム。河北省に属するダムだが、北京市の境界に近く、ここも北京の水源のひとつになっている。1980年ごろには水質が悪化し、取水を控えたという話も聞く。降雨量も減ってきているため、この二つのダムの水位も年々下がってきている。その足りない分はすべて地下水を汲み上げるしかない。しかし、地下水とて無限ではない。取水つづけ消費していくと、やがて、地下水位は低下していくことになる。

 

降雨量の少なさだけではなく、保水能力もすくないのではなかろうか。日本だと、森林に雨が降ると、落葉層や腐葉層が水を地表にためこむ、さらに地中にしみこむと微生物の働きでできた土壌の間隙に保水する。中国ももちろん森林や棚田もあるのだが、部分的で広範囲には思えないため、保水能力はさほどないように思える。と考えると貯水池に流れる水系の外に降った雨水は、保水されないまま流れ出る可能性が高い。

 

北京に住んでいる限り、それほど水の危機は感じられない。水の供給制限もまったくない。もっとも規定以上に水を消費した場合には、追加の水道料金を請求すると入居時に説明されたが、普通に暮らしていいて追加請求にあったことはない。

 

こういった都市での水不足を解消するために、中国の水利部はさまざまな対策や新規プロジェクトを考えているようだが、どれだけ実現し、水不足を解消しているのかはよくわからない。ただ、地球規模で温暖化、砂漠化が進んだ場合、いったい北京の水はどうなるのだろうと、不安になるだけである。

 

朝、中国の国内ニュースを見ていると、やはり河北省の水不足のニュースが何度か流れ、湖の水位が下がり続けていた。農民が、枯れてしまった麦を握りしめている悲しい姿は、最近の津波で自宅や家族を失って茫然と立ち尽くす被災者の姿と重なって、胸が痛む。そういった干ばつで苦しむ地域が報道されるたびに、都市部の水供給によって、地方へまわされる水が減ったためではないかと心配になる。

 

老子の言葉に「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉がある。直訳は天が張りめぐらした網は広く、目が粗いようだが、 悪人・悪事は決して取り逃がさないという意味にとられることが多い。しかし、私は加島祥造さんの訳のほうをとりたい。

 

天にあるタオの働きは

大きな網(ネット)みたいなものでね、

目はあらくて、

隙間だらけだが、

大切なものは何も漏らさないんだ。

 

私流の解釈を述べさせてもらいたい。自然災害が起こり、水不足が起きても、天の配慮の中には必ず意味のあることなのだ。それは真円であるべき円がいつのまにか、いびつな形になって真円の体をなさなくなっているようなものだ。やがて、その復元力で天の道である真円にもどろうとする。その真円にもどるとき災害はやってくる。わたしたちは、世の中がいつのまにか真円の形を失い、いびつな形になっていることに気がつかなかっただけではなかろうか。災害は忘れた頃にやってくるという。天の道である真円の形を忘れない努力をすることこそ、唯一の災害予防策となろう。

 

中国の水不足も、単なる私だけの危惧だけだったら良いのだが、将来、深刻な事態にいたらないか、心配でならない。

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