歴史に見る足場の弊害
建物を建てるには土台と足場が必要だ。建築物ができあがってしまうと、土台は隠れて見えなくなり、足場は不必要となる。建築物が出来上がって後も、足場が組まれたままでは、建物の壮麗さや素晴らしさはわからず、醜い姿をさらすだけとなる。 たとえば、豊臣秀吉は織田信長が本能寺で亡くなった後、天下統一を果たす。普通に考えれば、ここで必要な人材は、徳川家康のような秩序を作り上げる人材であって、軍人ではなかったはずだ。しかし、秀吉は最後まで軍人の意識を棄てなかったし、その軍人意識は、やがて朝鮮、明を征服しようという野望まで発展する。足場となる人間が権力を掌中にして、ひたすら権力に執着した醜悪な姿を晒した例だろう。戦によって勝ち抜いた指導者は、鎮圧後も戦的な思考を変えようとしない一例といえよう。というより、戦によってしか、物事は解決しないと考えるのだろう。中国でも、毛沢東が実権を握るまでは、戦の連続であった。しかし、一旦新中国を設立してからも、戦争は外部対立から内部対立へと発展している。林彪が、自己保身と、その流れを少しでも変えようとクーデターを起こすが、失敗した。 毛沢東は、第二革命と呼ばれる文化大革命を起こし、さらなる復権への野望を固めた。結局、毛沢東の足場を少しだけ残して、大部分取り外したのは、毛死後にトップとなった鄧小平だった。 歴史上でも、土台となり、足場となって潔く舞台から去っていった人も多い。維新を代表する人物として、土台となったのは吉田松陰であり、その弟子であった高杉晋作だった。維新の足場を作ったのは坂本竜馬や西郷隆盛だろうか。坂本竜馬は新政府の閣僚として名をあげることを拒んだし、西郷隆盛も自説が受け入れられないと知ると、陸軍大将の位を捨て、鹿児島に帰り下野する。後に西南の役でかつぎあげられ、やむなく立ち上がるが本意ではなかったろう。 明治政府の土台は大久保利通が作り、松下村塾出身の伊藤博文、木戸孝允、大隈重信や奇兵隊出身の山縣有朋が足場を作ったはずだった。伊藤博文はやがてハルビンで安重根によって暗殺され、他の志士も政界を去っていくなかで、山縣は軍閥の祖として裏で権勢をふるい続ける。明治政府ができても、山縣という足場がそのまま残ったことになる。その余波が第二次世界大戦後の軍部崩壊まで続いたようだ。 フィリピンのフェルディナンド・マルコス前大統領は20年間にわたり、独裁政治を維持した。戦後の国の復興に尽力したと讃えられる面もあったが、その強権政治は1986年の人民革命によって終止符を打つ。私が、フィリピンに駐在したのは、1983年当時で、8月のベニグノ・アキノしがマニラ空港で暗殺される、10か月ほどまえだった。その頃でさえ、フィリピン人と政治的な話しをする際は、屋外でした。彼らの言うには、屋内では隠しマイクがあるかもしれず、秘密警察もおり、おおっぴらに言えないと漏らしていた。汚職や賄賂がはびこり、それなしには政府は機能しないのではと思われた。マルコス退陣の運動や健康不安説もあり、イメルダ夫人が政権を引き継いでほしいとの人々の要望もあった。しかし、ベニグノ・アキノ暗殺事件に続く、1986年人民革命によってハワイに亡命し、そこで命を終わる。 後日、フィリピン人と話す機会があったとき、マルコスは大統領を辞めたくとも辞められなかっただろう。辞めると過去の汚職が表面沙汰になるかもしれず、マルコスが辞めると取り巻きの既得権益が失われるため、大統領職にしがみつくしかなかったのだという。 これも、フィリピンという国家ができあがっているのに、足場が残った例と言えるかもしれない。 スカルノ前インドネシア大統領も、オランダからインドネシアが独立し、初代大統領となった。インドネシアの発展に尽力した国父である。スカルノ政権の間、やはり、官僚や軍人の既得権益やら汚職の噂が絶えなかった。15年も強権政治を続けたが、1966年には共産党へ接近の責任を追及され「9月30日事件」によって大統領職を停止され実権をうしなった。これも、初代の功績という足場に頼りすぎたからだろう。 自民党は戦後、日本自由党からはじまり、もうすぐ結党55年を迎えるという。鳩山一郎、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作といった土台に始まり、その後田中角栄、大平正芳と続いていく。戦後の日本の政治・経済を引っ張ってきた政党であり、土台の強権政治からその後の民主政治に道を開いたため、命を長らえたとも言える。しかし、バブル景気にとった政策の余韻が、景気低迷後も後をひき、ドラスチックな政策転換もできないまま2009年の選挙で民主党が勝利し、とうとう与党から野党へ転落した。田中角栄は列島改造論を進め、足場を作り上げるためには官僚の協力が必要になり、官僚の天下り優遇策を実施した。それを長年続けたことによる足場の弊害が、昨今の「仕分け」の中で明らかになっていく。 スポーツ業界でも、最盛期と同じコンデションを保てないようなら、今まで使ってきたフォームをドラスチックに変えて、その年代にあった方法を試みる。それでもダメなら引退時期を伺うと聞いたことがある。いかに潔い引退ができるかが、後に最盛期の栄光をどう輝かせるかにかかっていくのだろう。 こうした歴史を見ていくと、先駆者が引退時期を間違えると、その国の命運にあまり良い影響を与えていないことがわかる。開拓者がいつの間にか既得権益の上や権力の座にあぐらをかいたため、後継者が育たず、古い手法を継承したままで外の情勢の変化に柔軟な対処ができず、むしろ後継者の邪魔になっていることがよくある。それは、職場でも会社という組織でもそのようだし、共産党一党が支配する中国でもそのようだ。 足場は建物が完成した時点で、できるだけ早く取り除いた方が良い。足場に当たる人は、築き上げた権威や既得権益をすべてなげうって、後継者の育成や後継者が育つ道を準備するべき度量が必要なのだが、歴史をみるとそういった人材は少ない。 それが権力の魔性であり、「絶対権力は絶対腐敗する」の意味でもあろう。老子の言葉に「功成名遂、身退、天之道也。」がある。功を成し遂げたら、身を退くことが天の道だという。その域に達することの難しさよ。
« 北京レポート(16)人口の多さと競争社会 | トップページ | 近代化と慣習の変化 »
「随筆」カテゴリの記事
- なぜ、戦争が起きたのか?(2016.08.21)
- 関門トンネルを歩く(2016.07.20)
- 巌流島を訪れて(2016.07.20)
- 詩:村の子供は、今どこに(2016.07.20)
- 強制連行、徴用問題の歴史認識(2014.04.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント