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2010年12月14日 (火)

近代化と慣習の変化

 

近代化の進展に比較し、慣習の変化は何年ぐらいの差で近代化を追い続けるのだろうか?

 

 

 

私は戦後の生まれだが、子供のころの道路というのは、埃っぽい地面であった。当然のことながら、雨が降るとぬかるみ、雨水がたまり、でこぼこ道となった。時々市と契約した業者が土を満載したトラックできて、穴の開いた路に土をかぶせ補修した。当然のことながら、でこぼこ道なので、車はスピードをだせず、トコトコ走り、小学生であった私たちは走ってトラックの後ろにたどりつくと、運転手に見つからないように後ろの荷台にぶらさがったまま隣の村まで運んでもらった。今は、どこも舗装されていて、昔の面影はなくなってしまった。

 

 

 

子供の頃、青っ洟をたらしていて良く先生から鼻をかむように紙を渡された。ついつい袖でふいていたため、学生服の袖が光っていたようでかなり汚らしい子供だったようだ。あれは、舗装されていなかったので、道路の埃が舞いあがり、鼻の中に侵入し、それを防ぐために鼻汁がでていたのだろうか? 舗装されているせいか、今の子供で青っ洟をたらしている子供はとんと目にしない。

 

 

 

道路が舗装されていなかった頃は、長年そうしたであろう慣習が村には根付いていた。たとえば手鼻をかむ、道端で小便をする、痰を吐く、野糞をする。今でこそ、こういった習慣は、まるで文明人ではないように取り扱われ、軽蔑されているが、もともと土に、その土地に根差した習慣だった。しかし、国際化が叫ばれ、文化国家が叫ばれるようになると、突然、こういった習慣が悪の慣習のように言われ、紳士の行動ではないと言われるようになった。確かに、石畳がひろがる欧米の都市の習慣の比較で言えば、そうなのだが。

 

 

 

北京にいると、よく文明という言葉が目に付く。北京の人々は昔の日本のように、手鼻をかみ、つばを吐く。道端に看板があり、ここに糞をするなという殴り書きさえある。国際化社会に追いつこうと、中国政府はかつて日本がやったように市民教育から始めようとしているようだ。

 

 

 

以前購読していた英字新聞に、日本が文化国家でない証拠として、酔っ払いが建物の隅に立ち小便をしていることを指摘しているエッセイがあった。この女性は日本の歴史を真摯に勉強したのだろうか? それとも、単なる嫌悪感からこのエッセイを書いたのだろうか? 戦後60年経って、日本は近代化し、経済大国になったと言っても、文化国家になったとは言えない。60年前まで、日本の道は舗装されていなかったのだ。単に一世代で国民の行動が変わるとは言えないだろうと、思わず反発を覚えたものだ。

 

 

 

日本は近代化とともに、その慣習を西欧に少しでも合わせようと努力してきたが、60年近くもかかってもその進歩は遅い。中国の場合、西欧の慣習が浸透するまで何年かかるのだろうか。北京は建設ラッシュで、あちこちで再開発が始まっている。とてつもないスピードで胡同が消え、近代的なビルに生まれ変わっていく。清国から辛亥革命までの流れは、誇り高い中華民族が西欧列強に頭を下げられるかといった自意識の強さがめだった。昨今は、そのような防波堤が、いつの間にか消えつつあるようにも思う。日本が一時期、国際化、国際化と叫んだように、この国では文明化という言葉があちこちで見られる。

 

 

 

手鼻をかんだり、塀に小便をしたりという悪習慣と呼ばれているものは、戦後に発展した日本のあちこちで見られ、良識ある人々からは眉をひそめられた。再開発で、都市化していくなかで、欧米人には不思議な現象だったろう。今、私は中国にいて、似たような感情を共有している。

 

 

 

文明が発展し、急激な近代化がすすんでも、こういった慣習の変化は、教育という作業をともなうためか時間がかかり、なかなか変化しない。今から教育に取り入れたとしても、その効果は一世代後と見るべきだろう。

 

 

 

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