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June 06, 2015

『幕末から維新へ』シリーズ日本近世史5

Bakumatsu_kara_ishin

『幕末から維新へ〈シリーズ 日本近世史 5〉』藤田覚、岩波新書

 5巻シリーズの日本近世史といいますか、06年11月の〈シリーズ 日本近現代史〉の第一巻『幕末・維新』から刊行されてきた日本史のシリーズは古代史、中世史、近世史ときて『幕末・維新』から始まったシリーズが『幕末から維新へ』につながったものの、鎌倉時代から戦国時代を扱う中世史が抜けているんで、それで完結するんでしょうか。楽しみです。

 幕末から維新史というのは、世界史の中でもカエサルからアウグストゥス、ティベリウスぐらいまでの初期のローマ帝国史、三国志の時代、フランス革命、アメリカ独立戦争などに匹敵する歴史の白眉だと思いますが、さすがに研究の厚み、進展具合を感じさせてくれました。

 シリーズ日本近世史は五巻全部面白いし、工夫されていると思ったけど、最後の『幕末から維新へ』はまさに掉尾を飾るに相応しい内容です。

 内容が濃いので、とりあえず、いつもの通り、箇条書きで。

 ロシアなどはイギリスと違って毛皮ぐらいしか貿易できる商品なかったのですが、イギリスでさえ北太平洋の北米海岸でゲットできたラッコの毛皮が広州で高く売れてヤホーイとなって東アジアの貿易が活性化(p.11)。しかも、ラッコなどは乱獲しすぎて数が減り、鯨が着目されていったというのは、なんともやりきれん話しです。こういった歴史的経緯を日本はもっと訴えるべきだと思いますがね。

 にしても、維新への道がラッコからだったとは大笑いといいますか、司馬遼泣くなw。

 レザノフらロシアとの交渉で重要だったのは、鎖国堅持と管理貿易容認派が幕府内でも拮抗したこと。また、幕府が求められもしないのに朝廷に事後報告をしたこと。これが先例となり、朝廷は対外政策への介入を始めた、と。

 日本は天皇を戴く世界に比類のない国と誇る皇国史観は国際的にまったく通用しない独善的な自尊史観・観念だが、皇国が屈辱を受けた、侮辱されたと感じると凄まじい反撥を引き起こすんですが、とにかく、こうして幕末の対外危機の中で皇国は氾濫し、天皇は押し上げられます(p.39)。


 繰り返しますが、すべてはラッコから始まっていますw

 関東に無宿人、浪人が集まったのは、幕領、大名領、旗本領など領地が入り組んでいて管理しきれなかったからなのか(p.47)。

 遠山の金さんは、天保の改革をしゃっちょこばって進める水野忠邦に対して、寄席や芝居小屋、飲食店の存続を求めて将軍相手に直談判するなど反論しまくったんだなというのは初めて知りました。遠山の金さんの父親は江戸幕府版のなんちゃって科挙である「学問吟味」で良い成績を残し、御小姓組から目付、長崎奉行、勘定奉行へと前例のない出身をしたんだそうです。息子は学問吟味を受けることなく、大目付まで出世。彼らは例外だが、幕末には有能な幕臣が輩出されていく、と(p.101)。

 ちなみに、咸臨丸に乗船して太平洋を横断した軍艦奉行、木村喜毅も乙及第にせよ嘉永元年の学問吟味で良い成績を残していたのか。他にも安政五年に廃止されるまで幕府の対外政策の評議機関だった海防掛は甲及第、乙及第が多い、と(p.106-)。

 朱子学は道徳や規範を説く時代遅れの偏狭な学問だったが、一面、合理的な部分もあり、佐久間象山や横井小楠が、朱子学をつきつめ時代状況の中で最大限に読み替え、外国・開港への指導的な思想家になったのは、丸山真男がつとに指摘、と(p.108)。

 信濃の農村部でも、18世紀末には無筆が多かったが、その頃から素読が流行し、19世紀半ばの弘化年間になると、一年契約の奉公人も読み書きができるようになった、と『見聞収録』仲条唯七郎には記録されています。信濃の田舎で夜学する奉公人に驚きます(p.113-)。

 現在の千曲市森の住民の記録では、当時の農民は、高い値で売れるとわかると杏、養蚕、天草などを手がけ、何百両も稼いだとのこと。社会の経済化が進み、もはや江戸時代の村や農民ではなくなった、と。こうした人々が娯楽を求めたから、江戸の出発点があれほど栄えた、とそうで、なんとなく長野県人はマジメすぎて苦手なんですが、やることはやっているんだな、と。

 それより驚くのが庶民の柔軟性。低価格で良質な綿布、綿糸の輸入は、綿花の輸出も加わって国内の綿織物・綿糸業に大打撃を与えたが、養蚕・製糸業を発展させるとともに輸入綿糸を使った綿織物産業を立て直す。このように外国貿易に対応できた民衆の力量こそが、幕末日本経済の発展段階の高さを示す、と(p.156-)。

 尊王攘夷だ横浜鎖港だと声高に争っても、民衆はもはや引き返すことなど到底不可能な経済活動の領域にはいりこんでいた、と。欧米列強との関係だけでなく、国内の民衆、経済との関係でも鎖国に引き返すことなど非現実的なものとなっていた、と。

 ここら辺は浅い司馬遼史観にヤられているようなバカに読ませたいw

 幕府は海外との金銀価格差を是正するために天保小判の品位と目方を1/3にした万延小判を鋳造し、さらに質を落とした万延二分金を発行、巨額の改鋳益を手にした。また、諸藩も軍備強化で大量の藩札を発行してインフレに。しかし、賃金も2-3倍になったので誰も困らなかった、と福沢諭吉は強調しているそうです。まあ、話し半分に聞いても、なるほどな、という感じ。

 英米仏欄四国艦隊による下関砲撃は下関戦争と呼ばれるべきもので、自由貿易を妨害する勢力には武力攻撃も辞さないという欧米列強の強烈な意思だった、と。これには幕府も孝明天皇に押されて約束させられそうになっていた横浜鎖港につながる五品江戸廻し令を撤廃せざるをえなかった、と(p.166)。

 桜田門外の変は、直接的には、孝明天皇が幕府と水戸藩に出した戊午の密勅の返納命令を拒絶した藩士らによって引き起こされたんですが、水戸藩士というのは凶暴ですよね。桜田門外の変に続いて、公武合体を進めた安藤政信を坂下門外で襲撃したり、東禅寺でオールコックを襲撃したんですから。もっとも優秀な人間が無駄に失われて、残党も天狗党で蹴散らされて、手柄も全部、薩長に持っていかれたけど…。

 いろいろ攘夷はやってみたけど、全部失敗し、孝明天皇は欧米列強の兵庫沖への艦隊派遣という威嚇を受けて、それまでの鎖国攘夷を投げ捨て、政治生命を失います。大阪夏の陣で、大砲を浴びた淀君みたい。第二次長州征伐への勅命は、大久保利通からは非義の勅命と非難され、権威は落ちるところまで落ちた、というあたりでお馴染みの戊辰戦争に入っておひらきとなります(p.196)。

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