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November 04, 2010

『農耕社会の成立 シリーズ日本古代史1』

Oukoushakai_no_seritsu

『農耕社会の成立』石川日出志、岩波新書

 岩波はシリーズの歴史物で勝負するつもりなんでしょうか。最高だった日本近現代史に続き、中国近現代史をスタートさせたと思ったら、こんどは日本古代史です。いやー、ありがたい。

 縄文、弥生、弥生時代の地域ごとの動き、沖縄と九州、朝鮮半島や東アジアも含めた弥生を取り巻く世界、そしてヤマト王権の時代と進んでいくのですが、縄文と弥生に関しては継続性を重視する描き方です。

 縄文に関しては「完新世の日本列島に現われた新たな生態環境に適応した諸地域文化を、穏やかに縄文文化とくくって理解する」というのがまとめになるでしょうか(p.42)。

 弥生に関しては、ちょっと複雑。

 前提となるのは「海を越えてやってきた渡来人が、縄文人にかわり、西日本を中心に新しい文化を築いた」というこれまでのイメージを覆すこと。

 長江文明から稲作が伝播されたけど、そのルートとしては山東半島~朝鮮半島か山東半島~遼東半島~朝鮮半島が妥当と考えられている、と書いていますが、以前にも紹介させていただいた『DNAでたどる日本人10万年の旅』と合わせて読むと興味深いかも。

 また、日本列島では夏場に台風が来襲すればコメの収穫が見込めなくなってしまうので、登呂遺跡ではモモ・ヒョウタン類・マクワウリといった夏の果実類と、ドングリ・クルミ、クリ・トチノキといった秋の堅果類、それにマメ類やムギ類といった畠作物と組み合わせて危険を回避していたというあたりも興味深かったです(p.71)。

 また、昔は「何に使ったのかよくわからない」とされてきた銅鐸ですが、《繰り返し舌が打ち付けられて内面突帯が磨り減っている例が認められ》るなど音響具であり(p.114)、銅鐸が打ち鳴らされる中で、物語が吟じられて、豊穣を祈る農耕儀礼のパフォーマンスが繰り広げられていたのであろうというところまで、今では確信に満ちて書かれるんだな、と思いました(p.116)。

 「おわりに」で弥生時代について書かれている、旧石器、縄文、古墳時代と比べて、地域ごとの文化的差異が大きく、どこでも刻々と社会変遷をとげているのが特徴で、森林性新石器時代文化の縄文と、古墳時代への変化の課程として理解するのが穏当か、というあたりも渋い。

 やっぱりハイライトはヤマト王権の成立のあたり。

 三雲南小路遺跡は福岡県糸島市にあるのですが、「糸島」は元は怡土郡(いとぐん)と志摩郡(しまぐん)にわけられる、と。さらに、この怡土郡は魏志倭人伝に出てくる伊都国の読みが引きつがれている、と。そして伊都国は王を持ちながらも「皆女王国に統属す」という記述があるので、邪馬台国は北部九州以外にある蓋然性を示しているのではないか、というあたりもいいかな。

 もう邪馬台国はほとんど奈良県桜井市の纏向遺跡(まきむくいせき)で確定っぽいらしいのですが、鉄器時代の訪れと同時に銅鐸などの埋葬が行われたとか、古墳時代は首長たちの葬式連合のような「前方後円墳時代」と読んだ方が正しいとかいうあたりも新鮮でした。

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