『満州事変から日中戦争へ』
『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子、岩波書店
岩波新書のシリーズ日本近現代史の5巻目。全十巻なので、前半終了というか、最終巻は『日本近現代史をどう見るか』という概論みたいなので、ちょうど半分というところでしょうか。明治維新から考えると、日本の近現代史は約25年間の内戦・建国期を経て、日清戦争の勝利から第二次大戦の敗北までの約50年間にわたる戦争につぐ戦争の時代、そしてこれまでのところ60年ちょっと続いている平和と安定の時期という感じなんでしょうかねぇ。
後書きを読んで面白いと思ったのは《軍隊については嫌というほど書いた》(p.241)というあたり。同じ女性であるということでひとくくりにはしようとは思いませんが、個人的には塩野七生さんが『ローマ人の物語』で個々の戦闘について自らオリジナルの地図作成を指示し、嬉々として戦場を描写しているような感じを思い出しました(もちろん塩野さんよりは抑制はされていますが)。
でも、この方の本格的な軍史を読んでみようかな、と思わせるだけのものはありました。もっと紙幅を与えて、実は大好きなんじゃないかと思う日本の旧帝国陸軍に関して好きなだけ書かせてあげたい、そんな感じ(海軍に関してはほとんど無視するという冷淡さがかえって個人的には好感度アップ)。思い切り褒めれば筆力もあるし。
まあ、それはおいておいて、ずいぶん忘れていたり、個々の事実は知っていたけどそれが全体とどうつながっているかについては意識していなかった部分については整理してもらったことはありがたい限り。しかし、惜しむらくは、最後のあたりでもいいから、日本と欧米と中国とソ連の動きが有機的にわかるような年表を加えてくれたら、例えばリットン調査団の報告書がなぜあれだけ注目を浴びつつ、発表後に忘れ去られてしまったのかあたりの流れがもっとよくわかるんじゃないかと思いました。
また、これは無い物ねだりなのかもしれませんが、ソ連のリトヴィノフ外務人民委員が1932~33年のソ連の混乱(コルホーズ農業の失敗による大量の餓死)を前に、日本に対して不可侵条約締結を打診した後、34年以降に五カ年計画が軌道に乗ってきた後の対応の変化みたいなのも書いて欲しかったかな、と。これは雑感ですが、日本が国際連盟を脱退した後、ソ連もアメリカも内向きになって行くんですね。
この本ではアメリカの中立法が日中戦争を「宣戦布告なき戦争」として縛っていったんだな、というのも強調されています。《中立法はアメリカ自身を戦争から遠ざけておくための国内法として意味をもついっぽう、他方で、アメリカの物資と資金力の巨大さにより、周辺諸国の戦争勃発を抑止する力をもっていた》(p.232)ということで、日本も金融上の取引制限などをやられてはたまらないから日中戦争では宣戦布告しなかったというんですね。ここらあたりは、この本には書いてないけど、日露戦争なんかはゴールドマン・サックスなどの融資で英国の戦艦を買って戦ったわけだし、まだまだ帝国としての蓄積が不十分だったということなんでしようかねぇ。
個人的に不思議に思ったのは石原莞爾の存在をあまりにも大きく描きすぎているのではないか、ということ。まあ、満州を押さえればソ連の軍事力と米国の海軍力に抗して「日本の内地から一厘も金を出させない」で持久戦争ができるという荒唐無稽な論理はそれなりに国防費負担に悩んでいた指導層の一部に影響は与えたとは思いますし(p.104)、彼の盧溝橋事件以降の不拡大戦術=兵力の戦力の漸次投入という初歩的な過ちにつながったのは、防衛線を高く北方にあげて精鋭部隊をソ連との国境付近に貼り付けたままにしなければならなかったからだ、というわかりやすい流れを意識付けることには成功しているとは思いましたが。
南京大虐殺に関しては『関与と観察』中井久夫の感想にも書きましたが、精鋭部隊が北に残されたため、主に後備の未成年と補充兵を招集せざるを得ず、軍紀が弛緩して上海から南京に至る過程でも《牛や豚の徴発は憲兵に見つけられてよく叱られたが、第一線に出れば食わずに戦うことはできないから、見つけ次第片端から殺して食ったものだ」「戦闘間一番嬉しいものは掠奪で上官も第一線では見ても知らぬ振りをするから思う存分掠奪するものもあった」「戦地では強姦位は何とも思わぬ」》(p.230)という『草の根のファシズム』吉見義明に証言されているような事態が続出し、さらに南京を攻略すれば中国政府は降伏すると思ったのに重慶に退却して、復員する希望がなくなった日本兵がやけっぱちになって行われた、という流れはよく理解できましたかね。
閑話休題になりますが、従軍慰安婦に関して陸軍の関与があったとかなかったとか、南京大虐殺に関してその規模が大きすぎるとか言っている人たちは、視野狭窄に陥っていると思いますし、それを煽っているのが「美しい国」の政府かもしれないというのはお寒い限りだと改めて思います。陸軍の関与がなければ、兵隊を慰安所に並ばせることなんかできないでしょうし、南京大虐殺の死者の数について殺った側としての責任を逸脱するような議論をする前に、それに間接的につながった参謀本部の兵力の戦力の漸次投入という手法と軍紀が緩んでいる予備兵を投入していったという誤りをなぜ問題にしないのか、よくわかりませんし、そういうことだから、アメリカの下院から非難決議案なんかも出るんじゃないかと思っています。
■目次
はじめに
第1章 満州事変の四つの特質
1 相手の不在
2 政治と軍人
3 事変のかたち
4 膨張する満蒙概念
第2章 特殊権益をめぐる攻防
1 列国は承認していたのか
2 アメリカ外交のめざしたもの
3 新四国借款団
4 不戦条約と自衛権
第3章 突破された三つの前提
1 二つの体制
2 張作霖の時代の終わり
3 国防論の地平
第4章 国際連盟脱退まで
1 直接交渉か連盟提訴か
2 ジュネーブで
3 焦土外交の裏面
第5章 日中戦争へ
1 外交戦
2 二つの事件
3 宣戦布告なき戦争
おわりに
あとがき
参考文献
略年表
索引
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