キャベツはレタスでも玉ねぎでもないのだよ
みなさんこんにちは
ドゥロワーの山路です。
この商売を始めてから、人のふり見て我がふり直すという事に出くわすことが多く、ここ最近も改めて襟を正す必要ありだなとつくづく思います。
ドゥロワーの山路です。
この商売を始めてから、人のふり見て我がふり直すという事に出くわすことが多く、ここ最近も改めて襟を正す必要ありだなとつくづく思います。
教育という分野でゴハンを食べるには、当然「伝える」という技術がとても重要であり、これが唯一の生命線でもあると思います。
知っていることを、知っている人に伝える場合、それぞれが「知っている」ためにイメージの共有がしやすく、たとえばキャベツと言えばキャベツであると比較的簡単に伝わります。
しかしながら、知っていることを、知らない人に伝える場合、イメージの共有がしにくいため、伝える人が伝えられる人のイメージを掴みやすくしてあげるために、ある程度のスキルを持って伝えてあげる必要があります。
キャベツを知らない人は、キャベツをイメージできないわけですから、それをしやすくするために、いくつかのキーワードや似ているものなどをヒントとして提供し、さらに間違っていたら修正してあげるという大変根気のいる作業が要求されます。
例えば、キャベツを知らない自分の部下に、近くにある畑で「キャベツを取って来い」という指示を出さなければならないとします。
ある人は、「キャベツを取って来い」という指示のみ出します。
またある人は、「緑色のきれいなキャベツを取って来い」という指示を出します。
さらにある人は、キャベツがどんなものかを部下に確認し、知らなければ教えてから「キャベツを取って来い」という指示を出します。
さらにさらにある人は、なぜキャベツを取らなければならないのかを説明し、部下が納得した上で「キャベツを取って来い」という指示を出します。
さあ、皆さんはどうでしょう?
ちなみにこれはキャベツ。
これはレタス。
非常に良く似ていますが、全然違うものです。
またまた違いますが、これは玉ねぎ。
先ほどの指示の出し方について、話を戻しましょう。
一番最初に指示を出した人は、恐らく自身は相当できる方なのだと思います。
世の中全ての人が、当たり前のこととしてキャベツを知っているものだと思い込んでいて、指示を出された部下がキャベツを知らないなんて微塵にも思いません。
この位、自信を持ってシンプルに指示されてしまうと、部下は萎縮して「すみません、キャベツってなんですか?」と聞けなくなるものです。
結果として、レタスを持ってきたり、玉ねぎを持ってきたりするでしょう。
次に指示を出した人は、ほとんど1番目の方と変わらないのですが、何度か望むとおりのキャベツがを入手することができなかった経験がある方です。
このケースも、部下と「キレイ」の定義をそろえておかないと、理想的なキャベツを手に入れることはできないでしょう。
その次に指示を出した人は、失敗をさせないために部下の状態を確認し、間違いなく指示を遂行させるためのコントロールができていますので、部下は間違いなくきれいなキャベツを持ってくるでしょう。
しかしながら、それ以上の事は期待できません。
最後に指示を出した人は、部下の「やらされている」という感覚を取り除き、主体的に行動できるように目的の共有と理解を行ってから指示を出します。
この場合、部下はやる気にあふれ、きれいなキャベツを選ぶどころか、目的に応じて畑にある中で最適と思われるキャベツを持ってくるだけでなく、さらに必要な状態に加工して上司に差し出すでしょう。
場合によっては、キャベツよりも目的に最適な他の野菜を差し出すかも知れません。
このように、同じ目的でも指示の方法が異なれば、全く違った結果になるのです。
よく、1番目や2番目の人のような指示の出し方をする管理者の方を見ることができますが、部下が失敗した時、このような上司に限って、やたら部下を叱責したり、だめな部下だと言って回ったりしている傾向にあります。
私から言わせれば、そのような上司の指示の出し方に問題があり、いくら自身が優れた方でも、「伝えるチカラ」が無い方は、はっきり言って「能無し」と言わざるを得ないと思います。
では、どうしたらいいのかというところですが、私もこれを仕事にしてますのでここでは書きませんが、唯一にして最大の効果を得るために、「人の話を聴く」という事に尽きると思います。
聞く、ではなく聴くです。
人の話が聴けない人は、きっと自分の話も聴いてもらえていないと考える必要があり、世の中には私も含めて、まだまだ多くの人は聴く努力を惜しまない事が重要なんだと思います。
というわけで、明日も人の話をできるだけ聴いて、さらに成長したいと思います。
はぁ~ねむい。
では、次の引き出しをお楽しみに。
知っていることを、知っている人に伝える場合、それぞれが「知っている」ためにイメージの共有がしやすく、たとえばキャベツと言えばキャベツであると比較的簡単に伝わります。
しかしながら、知っていることを、知らない人に伝える場合、イメージの共有がしにくいため、伝える人が伝えられる人のイメージを掴みやすくしてあげるために、ある程度のスキルを持って伝えてあげる必要があります。
キャベツを知らない人は、キャベツをイメージできないわけですから、それをしやすくするために、いくつかのキーワードや似ているものなどをヒントとして提供し、さらに間違っていたら修正してあげるという大変根気のいる作業が要求されます。
例えば、キャベツを知らない自分の部下に、近くにある畑で「キャベツを取って来い」という指示を出さなければならないとします。
ある人は、「キャベツを取って来い」という指示のみ出します。
またある人は、「緑色のきれいなキャベツを取って来い」という指示を出します。
さらにある人は、キャベツがどんなものかを部下に確認し、知らなければ教えてから「キャベツを取って来い」という指示を出します。
さらにさらにある人は、なぜキャベツを取らなければならないのかを説明し、部下が納得した上で「キャベツを取って来い」という指示を出します。
さあ、皆さんはどうでしょう?
ちなみにこれはキャベツ。
これはレタス。
非常に良く似ていますが、全然違うものです。
またまた違いますが、これは玉ねぎ。
先ほどの指示の出し方について、話を戻しましょう。
一番最初に指示を出した人は、恐らく自身は相当できる方なのだと思います。
世の中全ての人が、当たり前のこととしてキャベツを知っているものだと思い込んでいて、指示を出された部下がキャベツを知らないなんて微塵にも思いません。
この位、自信を持ってシンプルに指示されてしまうと、部下は萎縮して「すみません、キャベツってなんですか?」と聞けなくなるものです。
結果として、レタスを持ってきたり、玉ねぎを持ってきたりするでしょう。
次に指示を出した人は、ほとんど1番目の方と変わらないのですが、何度か望むとおりのキャベツがを入手することができなかった経験がある方です。
このケースも、部下と「キレイ」の定義をそろえておかないと、理想的なキャベツを手に入れることはできないでしょう。
その次に指示を出した人は、失敗をさせないために部下の状態を確認し、間違いなく指示を遂行させるためのコントロールができていますので、部下は間違いなくきれいなキャベツを持ってくるでしょう。
しかしながら、それ以上の事は期待できません。
最後に指示を出した人は、部下の「やらされている」という感覚を取り除き、主体的に行動できるように目的の共有と理解を行ってから指示を出します。
この場合、部下はやる気にあふれ、きれいなキャベツを選ぶどころか、目的に応じて畑にある中で最適と思われるキャベツを持ってくるだけでなく、さらに必要な状態に加工して上司に差し出すでしょう。
場合によっては、キャベツよりも目的に最適な他の野菜を差し出すかも知れません。
このように、同じ目的でも指示の方法が異なれば、全く違った結果になるのです。
よく、1番目や2番目の人のような指示の出し方をする管理者の方を見ることができますが、部下が失敗した時、このような上司に限って、やたら部下を叱責したり、だめな部下だと言って回ったりしている傾向にあります。
私から言わせれば、そのような上司の指示の出し方に問題があり、いくら自身が優れた方でも、「伝えるチカラ」が無い方は、はっきり言って「能無し」と言わざるを得ないと思います。
では、どうしたらいいのかというところですが、私もこれを仕事にしてますのでここでは書きませんが、唯一にして最大の効果を得るために、「人の話を聴く」という事に尽きると思います。
聞く、ではなく聴くです。
人の話が聴けない人は、きっと自分の話も聴いてもらえていないと考える必要があり、世の中には私も含めて、まだまだ多くの人は聴く努力を惜しまない事が重要なんだと思います。
というわけで、明日も人の話をできるだけ聴いて、さらに成長したいと思います。
はぁ~ねむい。
では、次の引き出しをお楽しみに。
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