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信念~遠藤護の場合~ 後編

「そう、正解。そして、奪われるものだ」


その声は2人の後ろから聞こえてきた。2人が歩いていた帰り道から聞こえてきた。2人は鈴木の家から事務所へと向かい、5つ目の角を曲がっている所だった。その声は4つ目の角から聞こえてきた。ガバッと2人は振り向く。

ブランド物で固めた真っ黒いスーツ。金色に輝きその存在を過大に主張している腕時計。黒々としたオールバックに、猫の目をイメージさせる細目に一重瞼。スーツとは対照的な白い肌は奇麗と言うよりも、不気味という言葉を連想させた。そして、その男はゆっくりと口を開く。
「金、渡してもらおうか」
「はぁ?何を言ってんだ?」

斉藤と喋っていた男は思わず聞き返してしまった。今までそんな事を自分達に向けて言えた奴は誰一人としていなかったからだ。厳密に言えば【言った男】はいた。だが、言った瞬間に斉藤に拳を叩きつけられて沈黙した。結論としてそんな生意気な言葉を自分達に向け切った奴は今まで存在しなかった。だが、その男はもう一度、正確な言葉を付けくわえて言い切った。
「これは失礼、説明が足りなかったな。あの鈴木って男が言ってたでしょ。他にも金を払う場所があるってね。それがうちなわけ。だからさ、お金を渡してもらおうか」

言葉こそは丁寧であったが、言っている内容は完全に理不尽そのものであった。要求された兄貴は思わず笑いだす。
「あんた…中々ジョークのセンスがあるよ。漫才師やコメディアンになったら売れるかもね。だけどさ…1つだけ聞かせてくれよ。あんた…俺達が鈴木から取り立てをしていた時に近くにいなかったか?」
「あなたは中々推理のセンスがあるようだ。探偵や刑事になったら繁盛するよ。どうしてお分かりに?」
「確かに鈴木は【他にも金を払う場所がある】って言ったさ。あんたの言った通りに言った。良いか?その通り過ぎなんだよ。推測だけじゃそこまでピタリと当てられない。あんた、俺達が取り立てをしていた時に近くでそれを見てたろ」
「ご名答、ホームズさん。鈴木さんがドアを開けた頃ですかね、その頃あたしも到着して、お2方の商談を邪魔しちゃ悪いと思って見物していたんですよ。ちなみにもう一つ理由を言えば、あなた達のやり方は不味過ぎだ」
「それは俺も思ってた所だ。次回からは気を付けるし、気を付けさせるよ」

じろっと斉藤を睨みながら言う。斉藤は大きな体をしゅんと縮めているように見えた。
「敵を追いつめるのは良いんです。しかし窮鼠猫をかむという言葉がある様に、追い詰め過ぎは厳禁なんですよ。あなた達のは明らかにやり過ぎてた。あのままじゃ警察を呼ばれる可能性があったし、万一呼ばれた際に自分も聴取されるのはお断りですからね。だからこそ静観していた訳です」
「なるほどなるほど。つまりだ、あんたは取り立ての現場にはいたけど、警察が怖いので隠れていて、無事俺達が金を回収した後に、のこにこ現れてその金をよこせと。そういう事なのかな?」
「その通りです、理解が早くて助かりますよ」

斉藤は見ていた。兄貴が再び笑い出し、そしてピタッと笑い声を止めた。次に聞こえてきたのは笑い声とは真逆である、ドスの利いた低い声だった。
「ふざけるな、そこまで来ると笑えねぇよ」
斉藤は思った。ああ、兄貴はキレたな。兄貴は一歩踏み出して、男に攻撃の視線を向ける。
「周りを見て物を言えよ。今1対2という状況だ。そしてこの斉藤、力ずくで相手を屈服させる事に関しちゃ右に出る者はいないぜ」
斉藤は聞いた。兄貴の許可を、兄貴の許しを。
「斉藤…許可する。思う存分拳を振るいな」

笑い声が再び聞こえてきた。その声は兄貴のものではなく、斉藤のでもない。兄貴から脅され、暴力の行使を受けようとしている男からだった。
「なるほどなるほど。君の言っている事は、一つは正解で、もう一つは不正解だ。まず正解から――1対2というのは確かに合っている」
男はニヤッと斉藤を見ながら言っていた。その視線は余裕という意味でなく、不敵という意味でもない。もっと別の――「もう良いんだよ」そう言っているように見える視線だった。兄貴はくるっと斉藤を振り向く。自分は斉藤に指示を出したはずだ。この男をやれと、なのに何故斉藤は動かない?相手の言葉が急に思い出される「確かに1対2だ」その言葉の意味を考えていると、次の声が聞こえてきた。
「そして不正解――その力自慢に許可を出すのは君じゃない、俺だ。なぁ、斉藤」

その声が兄貴に聞こえてきた最後の声だった。「どういう事だ?」口はそう問おうとしたが、言葉が喉元から発射される前に鳩尾へと斉藤の拳がめり込んだ。鈍い音がする。内臓を拳が圧迫していた。胃液が、食物が、逆流しようとしていた。口を慌てて手で塞ぐと、斉藤が自分の襟元をガバッと掴む。いとも簡単に自分の体は斉藤に持ち上げられる。斉藤の片手で宙に浮き、もう片方の手は自分の顔面に向けて放たれようとしていた。その瞬間、観戦していた男から声が掛かる。

「斉藤、ここじゃ人目に付く。そこの路地裏でやれよ」
「はい、分かりました。遠藤の兄貴」
遠藤は顎で薄暗い路地裏を指し示す。ゴミと腐臭が充ち溢れた路地裏に遠藤を男を引きずって行く。臭く、暗く、腐った匂いがする細い道は、自分の未来を暗示しているようだと男は思った。次に男が思ったのは純粋な後悔だった。そうか…こいつが遠藤なのか…男は、薄れゆく意識の中やっと相手の名を知った。それは【絶対に関わってないけない男】【絶対に手を出してはいけない男】【絶対に目を合わしてはいけない男】としてこちらの世界では有名な男の名前だった。そして部下だと思っていた斉藤が言っていた事がある。
「自分には絶対勝てない相手というのがいますね」
こちらに向けて言っていた為。答えは自分だと思い込んでいたが、それはどうやら違うらしい。ようやく真の答えに気付いたが、それは後の祭りという奴だった。もう遅ぇよ。首根っこを引きずられながら男は思ったが、既にゲームオーバー。次に見えてきたのは、部下だと思い込んでいた斉藤の拳だった。

そして拳が顔面にめり込む。何度も、何度も。

遠藤はじっと道端で待っていた。聞こえてくるのは車道を走る車のエンジン音や道端を歩く人々の話し声だが、耳を澄ませばすぐそこの路地裏で、鼻が曲がる音や歯が折れる音が聞こえてきそうだ。3本目のタバコを吸い終わった頃、斉藤が路地裏から出てきた。遠藤は何も言う事無く、黙ってハンカチを斉藤に差し出す。斉藤も黙ってハンカチで手を吹いた。薄青色のハンカチは瞬時にしてどす黒いほどの赤色に変色していた。

そして口を開いたのは斉藤の方からだった。
「兄貴、お久しぶりです」
「ああ、半年ぶりくらいか。ちょっと田舎へ出張してたよ。しかしお前は相変わらず馬鹿な奴の手下に付いてるな。ああ、訂正。【付いてた】だな」
「これは手厳しい、あれでも会社内では部長候補と呼ばれていましたのに」
「あんなのが部長になったら会社がこけるぞ」
「兄貴が部長になったら良いじゃないですか」
「嫌だね、俺は元々主任になるのも嫌だったんだ。1人でのんびりやってくのが性に合っているんだよ。それを課長がやれやれ言うからしょうがなくやっているだけなんだ。本音を言うなら今すぐお前にこの立場を譲って、名も無い平社員に戻りたいよ」
「それこそ願い下げですよ。俺は主任になりたいんじゃない。望むのは昇進ではなく、兄貴の下です」
「それこそ願い下げだ」

歩きながら、2人は笑いあった。それは数年来の親友のように、それは長く寄り添った2人のように。自然な、見ていて気持の良い笑い声だった。そんな2人の遥か後方――暗く、汚い、路地裏では1人の男が鼻や口から血を流してポリバケツの中へと顔をうずめられていた。後数10分もしたら、残り物を探しに来たホームレスの発見されるのだが、それはまた別のお話だ。

遠藤は斉藤と喋りながら歩いていた為、前方への注意が甘かったのかもしれない。いつもなら曲がり角を直進する時は少しでも注意するものだが、その時はたまたま意識がお喋りの方に富んでいた。もしかしたら交通事故ってのはこういう要因で発生するのかもしれないなと後々遠藤は考えたものだ。曲がり角を真っ直ぐ歩いていると、目の前へ急に人が現れた。斉藤だったら間一髪避けられたかも知れないが、遠藤自身にそこまでの肉体的な能力は存在しない。それは目の前に現れた相手も同様らしく、結論として2人は曲り角で正面衝突した。前方不注意による出会い頭の事故って奴だ。

最初に分かったのはぶつかった衝撃。
次に分かったのは相手の小さな叫び声。
その次に分かったのは、バシャッとスーツに飲み物が掛かる感触。
最後に分かったのは、
「あー!ボクのバニラクリームフラペチーノがー!!」
という叫びだった。

黒いスーツに真っ白なクリームがべったりとついている。ぶつかったには連れがいるらしく、
「おいおい、前を見て歩かないからこうなるんだよ」
そう注意をし、こちらに向けて頭を下げてきた。当の本人はと言えば地面とスーツに落ちたシェイクを恨めしそうに眺めていた。その表情が余りにも可哀想なので、遠藤は怒るべきなのか謝るべきなのかすら分からなくなった。迷っていると斉藤が先に結論を出してきた。

「おい、お前。ぶつかっておいて謝罪の言葉一つ無いとはどういう事だ!」
怒鳴るが、相手は怯む事無く、
「すいませんでしたー。でもそれはお互いさまじゃないですかぁ?」
言葉こそ謝罪しているが、口調にはその意思がまったく見られない。本人自身謝罪の気持よりも地面に落ちたシェイクの方が気がかりのようで、チラチラ惜しそうに見ている。

さすがにその言葉には遠藤もカチンと来た。だが、それ以上に頭に来た男がいたようだ。斉藤はぶつかって謝りもしない男の首根っこを掴んで引き寄せる。ここは先程の路地裏ではないが、今にもさっきの光景が再現されそうだった。
「ちょっ…ちょっと何してるんすか…」
男は金魚のように口をパクパクさせながら、掴まれた手を振りほどこうとしている。しかしそのひょろひょろしてえる体格では、両手を使った所で斉藤の片手すら振りほどけない。いつもの遠藤なら「ここじゃ止めろ」や「路地裏でやれ」とか言っていただろうが別に構わない気がした。斉藤も先程のレベル迄はしないだろうし、一発や二発位ならこの場所でも大丈夫だろうと思っていたからだ。

斉藤は握り拳を固めている。その手は目標に向けて発射される寸前だった。慌てているのはひょろひょろしている男と、連れの男だけだった。特に連れの男は当人以上にあたふたしていた。
「ちょっと…暴力沙汰は止めてもらえませんか。確かに悪いのはこちらですが、そこまでする事は無いでしょ」
ひょろひょろしている男は目に涙を浮かべていた。飲み物如きでぎゃあぎゃあ騒いだり、人に飲み物を掛けても謝らないし、この段階になったら泣きそうになる。まるで子供だな、遠藤は思っていた。子供相手にここまでするのも大人気無いかもしれない。そう思って斉藤の手を止めようとしたら、その手は既に止まっていた。ひょろひょろしていた男の連れが斉藤の手を掴んでいたのだ。

「お願いします。説教程度ならこいつの為にもなるでしょうが、殴るのは勘弁してもらえませんか。もちろんクリーニング代はお支払いします。だから、勘弁して下さい」
不思議な光景だ。ぶつかった当人は何も言わず、連れが謝っている。更に慰謝料まで払うと言う。その男は謝りながら名刺を差し出してきた。
「この男は私の部下なんです。確かに見ての通り不出来な部下ですが、それでも私の部下なんです。何とぞここは一つご容赦願えませんでしょうか?」

差し出された名刺には江崎信二と書かれている。会社名は中堅所の出版社が書かれていて、役職名は主任と書かれていた。ほう、絞ればそれなりに金を生みそうだな。それにしても中々出来た上司だ。それに比べてこの不出来な部下はどうだ。泣きそうな顔で金魚のように口をパクパクさせていたから、何も言えないと言うのが正解かもしれないが、この状況で何も言わないというのは最低だろ。斉藤が男の首根っこを掴んだままこちらを振り向く。何も言っては無いが、その眼が語っていた。「兄貴、どうします?」

もちろん会話の主題は許すとか許さないではない。いくらで許すのかという事だ。そりゃあこれしきの事で帯が必要な程の札束は奪い取れないが、少なくとも焼き肉に行って、その後お姉ちゃんのいる店で飲む位の金を手にする事は出来る。いつもならそうしていたろう。江崎からも「お前も不注意だからこうなった」と、2人して金を払わせる事だって出来だろう。だけど、遠藤にその気は起きなかった。

「もう良い、行けよ」
遠藤はぼそっと呟いた。ぶつかった相手も、江崎も、斉藤も、そして何よりも自分自身がその言葉にびっくりしていた。それは男の目を見たからかもしれない。その目は見た事がある目だ。見た事があると言うよりも自分がかつてしていた眼だ。

護るべきものがある男の瞳だ。

敢えて理由をもう一つ上げるとすればちゃんと部下を庇う先輩。当たり前の事と言えば当たり前なのだが、世の中当たり前の事が出来てない奴が多すぎる。だからこそ下らないニュースが毎晩テレビで放映されているのだ。

「斉藤、手を離してやれ」
斉藤は渋々ながら襟元を掴んでいた手を離す。斉藤自身はこの結論――せっかく魚が掛かったのにわざわざ離してしまう事に納得していなかったようだが、兄貴の結論だからしょうがない。手を離すと掴まれていた男は喉元を押さえながら咳をしていた。

そして、解放されたその男は、小さく舌打ちをした。

それが見えたのは遠藤だけだった。斉藤にも、江崎にも分らないほどの小さな仕草だった。常人ならばその意味は決して分からなかっただろう。殴られる、金を取られる、絶体絶命のピンチから救われたはずなのに何故舌打ちをするのか?まともな人なら決して答えは分からなかったろう。そして見間違いと言う誤答に辿り着くのが関の山だ。だが、遠藤は正解に辿り着いた。何故ならば…

遠藤も、また、まともではないから。

「本当に申し訳ありませんでした。このお詫びはいつか必ず…」
この言葉はぶつかった当人のものではない。江崎のセリフだ。ぶつかった本人と言えば、「ほら、お前も謝るんだ」という言葉も無視して、不貞腐れている。まるで悪戯をした子供とそれを謝る親だ。その2人と別れてまた斉藤と歩く。

斉藤が道端の小石を蹴りながら尋ねてきた。
「何でさっきの奴ら、何もせずに帰したんですか?もったいない」
何もしてない訳じゃないだろ、現に名刺は貰った。これを有効利用すれば小遣い程度は稼げるんだよ。遠藤はそう言おうと思ったが、それをする気はなかったし、斉藤に向けて先に言うべき事があったので、そちらを優先した。
「斉藤、さっきの男がいたろ。江崎とやらじゃなくて、ぶつかった方な」
「ああ、あのあほですね」
斉藤は笑いながらそう言った。
「言っておく。ありゃあほじゃねぇぞ。あほに見せかけたあほだ」
「何だ、結局あほなんじゃないですか」
「俺に比べたらって意味だ。お前よりは遙かに格上だ。これは命令ではない、純粋に忠告だ。今後あの男に会った時にちょっかいは出すなよ。お前一人だとやられるぞ。間違い無く返り討ちにされる」

斉藤は冗談だと思った。ここは笑うべきところかとも思った。しかし兄貴の真剣な顔を見ると本気という事がよく分かった。兄貴の言った言葉に間違いはない。もし間違った結果になったとしても、それは結果の方が間違っているだけだ。だから斉藤は兄貴の言葉を信用する事にした。「はい、分かりました」斉藤が肯定の返事をしようとすると、遠藤の携帯が鳴った。斉藤は喋りかけた言葉を喉元に押し込め、じっと宙を仰ぐ。そして遠藤の会話が始まる。

「はい、もしもし。ああ、これは田中先生。お久しぶりです。最近の調子はどうですか?いえいえ、こちらは相変わらず大変ですよ。ところで今日はどんなご用件でしょうか?……はぁはぁ、なるほど。つまりその記者に余計な事をさせなければ良いのですね。え?そこまでする必要はない。黙らせるだけで良い。分かりました。そのように致します。その代わり、またお願いしますね。それでは、打ち合せはそちらで」

ピッと携帯の通話ボタンを押して話を終了する。斉藤は先程の言葉を言うのを止めて新たなる疑問を口にする。
「兄貴、仕事ですか?」
遠藤は笑って答えた。
「ああ、ブンブン煩い小蠅を叩き落としてお金を貰うお仕事だ」
労働は尊いからな。遠藤はそう言い切って、田中医院への道を歩き出した。


時は6月の終わり、これからどんどん暑くなる。そんな夏が近づいている日の出来事だった。



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仕事くれと思ったり、仕事辞めてぇと思ったり、ニート最強と思ったり、そんな有意義な事を考えつつちまちま更新(?)していくブログです。

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