信念~遠藤護の場合~ 前編
友情?愛情?
何だそりゃ、食えるのか?
そんな一円にもならないものはいらねぇんだよ
欲しいのはたった一つ、全部を塗りつぶす力だ。
全てを一色に。全てを黒色に。そして、全てを俺色に。
信念~遠藤護の場合~
ドアがドンドンとノックされている。比喩的な意味じゃなくて、本当にドアを拳で叩いていた。もしもドアが生きているならば「そんなに叩かないでよ、そこまで大きな音を出さなくても中の当人には聞こえてるよ」と泣き言を言っていた事だろう。だがそんな事はノックしている本人も百も承知だ。このノックにはそれ以上の意味がある。相手の来訪の目的を知らせるためと、威圧だ。
「鈴木さーん、いるんでしょー。出てきてくださいよ~」
更にドアを叩きながら中の本人に向かって声を張る。安い木製のドアはぎしぎしを悲鳴を上げ、今にも叩き破られそうだ。木造建ての2階建てアパート、「ハイツ鈴が峰」名前こそは立派だが実際には地震が来たら即座に倒壊しそうな建物だ。ハイツと銘打っている割にはアパートの壁はネズミ色に変色しており、部屋の中は壁で遮られているのに、その装甲の薄さ故に隣の部屋の声が普通に聞き漏れてくる。そんな状態だから、ドアの外で叫んでいる男の声はもちろん部屋の中まで聞こえていた。鈴木真一はドアの外から聞こえる声におびえながら必死に「帰ってくれよ、帰ってくれよ…」と念じ続けていた。
しかしその祈りは届かない。人は絶体絶命のピンチにおいて普段信じない神様に祈りを捧げるものだが、そんな時だけ頼られても神様もきっとお困りだ。そんな暇があるならこの危機を脱出する方法でも考えた方がよっぽど為になるのだが、そこまでは知恵が回らず、大抵の人間は頭を抱えてうずくまっているだけだ。そしてより最悪な状況へと追い込まれていく。ドアを叩いていた男が一際声を張り上げる。
「いないんですかー、いないなら両親のところにお邪魔しますよ~もちろん事情はすべて説明したうえでねー」
この言葉は効果てきめんだった。今までどんなにドアを叩かれても居留守を決め込んでいた男は、即座に玄関へと向かいドアの鍵を解除した。固く固く閉ざされていたドアはいとも簡単に開かれて、真っ赤になりながらあせっている男がそこにはいた。
「ありゃ、鈴木さん。こんにちは。いるならいるで早く出てきてくださいよーいないかと思って帰る所でしたよ」
ノックというより拳を叩きつけていた男は、白々しくも笑顔で挨拶をしてきた。
冷や汗をかきながらドアを開けた鈴木が見たものは、ドアの前に立ちはだかっている2人の男だった。意外だった、1人分の声しか聞こえなかったから、1人だと思っていたからだ。先程から声を張り上げていたのはこの男だろう。1人はリーゼントに白いスーツという完璧に本職という格好をしていたチンピラ。白いスーツは暑い胸板で盛り上がっていて不格好という言葉を連想させたが、それを言わせない体格をしている男だった。もう1人はその男の後ろで静かに佇んでいた。格好こそ普通の白いシャツに黒いスーツ。短めにカットした髪にノンフレームのメガネを掛けている。
取り巻きの男がいなかったらとても取立人とは見えないだろう。どこにでもいそうなサラリーマン。初見はそんな印象を受けた。しかし青年は動物として直感でこの男の危険性を認識する。この男は危険だ。先程からドア越しに吠えていたこの男はまだ安全な方だ。そりゃあこっちの男も危険という事には変わりはないが、この男は格が違う。キャンキャン吠えている犬ころと、じっと待ち伏せながら獲物を物色している獰猛な狼。そんな印象を受けた。
2人の男にそれぞれ異なる印象を抱きながら、こういう借金の取り立ては2人で行うのがルールだと本に書いていたを思い出した。1人よりも2人で、人数上で有利に立とうとする考えだ。だが有利とか不利とか言ってられない。親に知られるのだけは何としても阻止しないといけないからだ。鈴木は断固として抗議する。
「ちょっと…!親に言うのは卑怯でしょ…!!」
しかし言われた相手は動じない。
「だって子の不始末は親が被るもんでしょ。それなら親に借金を肩代わりしてもらうのもアリだと思うんですけどねー」
「そんな事は認められていない。法律上でも保証人でもない限り、子供の借金を親が肩代わりする必要は無いと、きちんと明記されている!君等も金貸しならその程度の常識はわきまえて欲しい。あぁ、闇金如きに常識は無いのか」
「何だとこの野郎…!」
さすがに頭に来たのだろう。犬ころがぐいっと鈴木の胸ぐらを掴んだ。鈴木の体が宙に浮く。絶体絶命のピンチなのに鈴木は心の中でほくそ笑んでいた。先に手を出した方の負け、これは幼稚園でも教わる人間世界での絶対的ルールだ。殴れよ。さぁ、殴れ。痛いのは嫌だが、それでこの状況を覆せるのならいくらでも耐えてやる。だからこそ敢えて無礼な事を言ったのだからな。チンピラの握り拳が鈴木の顔面に突撃しようとしていた瞬間、後ろで見守っていた男が声を掛ける。
「おい、止めとけ」
キャンキャン吠えていた男はピタッと動きを止める。腕力という面で言えば間違い無くこの男がボスなのだが、どうやらこの男ははやり犬ころで、飼い主は後ろで見守っていたメガネの男らしい。
「失礼しました、うちの若い者は礼儀知らずで、どうかご容赦下さい。だけど、その闇金如きから金を借りたのはどこの鈴木さんですかね?」
それを言われると言葉は出ない。鈴木はぐっと黙り込む。飼い主はペットの無礼を詫びながら、これからの踏み込み方を考える。この男の言っている事は本当だ。だてに大学で法学部に在籍していない。確かに親の所に行ったって、借金を払ってもらえる道理や当ては無い。しかし、親の元に行って事情を説明すると言えばこの男は確実に金を払う。その道理や当てだけは充分過ぎるほどあるのだ。
法学部に通っている男が出会い系サイトで女子中学生を捕まえて猥らな行為を行った。一体大学で何を勉強しているのかと考えてしまう行動だ。故郷の田舎で農業を頑張りつつ、都会で法律を学んでいる息子に仕送りを続ける健気な両親。そんな2人の親が息子のしでかした事を知ったらどんなに嘆き悲しむだろう。しかも息子はその行為を生で行った。その軽はずみな行為の結果、相手から中絶費用を請求され、困った学生は我がローン会社の門をくぐる事になった。それが地獄の1丁目とは知らずにだ。ちなみに補足するならば、その女子中学生と我が社は繋がっているのだが、それはこの青年に言うべき事実ではない。だって手品の種明かしなんかするもんじゃないだろ?飼い主は明るい表情で、真っ青になっている青年へと語りかける。
「鈴木さん。お金、返してくれますね?」
ぐっと鈴木が黙っていると、もう一歩飼い主が踏み出した。そして低く重い声で、ゆっくりと鈴木に問いかける。それは鈴木が聞いた、その男の本気の言葉であり、鈴木にとって止めの言葉でもあった。
「どっちが良い?親が払うか、君が払うか」
「だけど…お金が…他にも払うべき場所があるんです…」
「そんなのは関係無いんです。あなたがどこから借りてようが、いくら借りてようが我々には何も関係無い。最早子供の借金は親が払うべき~とかそういう問題でもない。今問題なのはあなたが私にお金を返してくれるかどうか、その一点だけですよ」
。飼い主は鈴木に問いかけながら胸元のポケットから携帯電話を取り出す。男は数字を口にしながらゆっくりと、電話の表面に刻まれた数字のボタンを押していく、それは鈴木に見せつけるように。そして鈴木に言い聞かせるように1つずつ数字を読み上げながら。
「879-○○…」
それは鈴木にとって見覚えのある数字、それは鈴木にとって聞き覚えのある数字、それは鈴木にとって慣れ親しんだ数字、それは鈴木の実家の番号だった。
即座に鈴木が止めようとするがチンピラがそれを許さない、チンピラの体は重戦車のように動かなく、筋肉に包まれた体は一ミリたりとも後退しなかった。ダイヤルを押している指はゆっくりと、しかし確実に鈴木の家に辿り付こうとしていた。鈴木は死に物狂いで抵抗するがチンピラから肩を掴まれて思うように動けない。そうしている内にもどんどん数字が呼ばれていき、押されていく。実家の番号である7桁の番号、その6個目の数字が押された所で指が止まる。鈴木が安堵したのもつかの間、飼い主は、ニコッと商談用のスマイルを向けながら、もう一度同じ趣旨の言葉を繰り返した。
「お金、払ってもらえますね?」
鈴木は黙って部屋の中に入った。逃げるためではない、なけなしの金をかき集めてこの男に払う為だ。
「しっかし、兄貴はやりますね~簡単に金を払わせちゃうんだもんなー」
鈴木から全ての金を徴収した2人は事務所への帰り道を歩いていた。兄貴と呼ばれた男は鈴木の家から二つ目の角を曲がった瞬間に、ぐいっと部下の首元を掴んだ。そして小さな声で恫喝する。
「斉藤、お前は馬鹿か、手を出したら負けっていつも言ってるだろ」
「だけど兄貴…俺達の商売は力を見せつけてなんぼだって…」
斉藤は怯えていた。兄貴に対してお世辞を言ったつもりだったのに、いきなり首根っこを掴まれて凄まれたからだ。もちろん純粋なる力という意味では兄貴など怖くは無い。今まで自分と素手で戦って勝った男は誰一人としていないし、その腕っ節を買われてこの会社に職を得る事が出来たからだ。しかしこの兄貴の怖さは暴力とは無縁のところにある。それは力という意味とは別の意味での暴力だ。そして、その暴力という意味において、自分を打ち負かせる男はこの世に1人しか存在しない。だからこそ、斉藤は怯えていた。兄貴と呼ばれた男は襟元から手を離して斉藤に説教を始める。
「斉藤、確かに俺は言ったよ。暴力というのはな、見せつけるものであって行使するもんじゃない。それでも、どうしても、使わないいけない時ってのは必ずやってくるが、その時は俺が言う。お前の判断でお前の拳を使うな。言ったろ、お前に対する支持は俺が出す。力にしろ、何にしろ――全てだ」
兄貴の説教も終わり、2人は再び事務所への帰路へと向かう。この沈んで雰囲気を変えたくて斉藤はわざと明るい調子で兄貴に話しかけた。
「しっかし、今回の奴も払うには払ったが金払いが悪かったですねー。金は返すものという常識が通用しないんでしょうか?借りる時だけバッタのようにヘコヘコして、いざ返す段になったらぐだぐだとごねやがるきっと奴らにとっちゃ金は返すもんじゃなくて、借りるもんとして認識されているんでしょうね」
兄貴はくすっと笑って斉藤の言葉を訂正した。
「それは違うぞ。金は返すものでもなければ、借りるものでもない。金は、奪うものだ」
「そう、正解。そして、奪われるものだ」