本文中にある褐色字は、書籍ならばルビを振りたい語句です。マウスポインタを合わせて下さい。ツールチップでその読みが表示されます 〔必ずしもその漢字本来の読みではないことに注意〕。
サロン 銀座四丁目
<初日 11:00AM>
おはようございまーす。これから一週間 どうぞよろしくお願い致します。
おはようございます。こちらこそ、今年もよろしくお願いします。……看板の向きはあれで良かったですか?
はい、OKです! 晴海通り側がメイン アプローチですから、DMと、それから紹介記事に載った作品の面がそちら向き、ということで……。
そう、そう……出版社から掲載号が届いてますよ。あちら……テーブルの下に置いておきました。
あっ、どうもありがとうございます。こちらに届いてましたか……?
それにしても、ずいぶん目立つ場所に載りましたね。
そうなんですよ……。担当コレクターの方によれば、50音順に並べると こちらさんが必ず画廊欄のトップに来る、ということで……。
まあ、それはそうでしょうけれど、デパート欄の中に御一つだけ、というのは、ねえ……。同じ見開きの中に、東郷青児と棟方志功、それに舟越桂さん……でしょう……?
ええ、そうそうたるメンバーで……。何とも光栄なことです。偶然っちゃ 偶然なんですけど……。
いいえ いいえ、それだけじゃないと思いますよ。絵画系の作家さんにしては珍しく、宣伝活動にも ご尽力なさっているようで……。
まあ、それも仕事のうちですから……。
『美術の窓』 4月号 〔P217〕 掲載作品
“『亀谷 稔 非在世界 微細画の破綻』 展
2009年4月13日 〔月〕~4月19日 〔日〕
中央区銀座4-………画廊
過去に発表した微細画の重ね描きによる、半具象的心象風景の変遷。従来の画風とは異なる世界が展開される。絵画作品20数点と木彫作品 6点を出展予定。”
<初日 2:15PM>
あっ、どうもありがとうございます! なんだか後光が射して見えますよ。
えっ、どうして?……俺が初めての客なの?
そうなんです……。もう どうなることかと思ってたんですよ。
いやあ……ずいぶん変わってきたね。これ みんな、うちの企画展* が終わってから描いたわけ?
いえいえ、まさか……。ほぼ1年かけて描き溜めたものです。これが昨年5月の今回第1号で……入口から半時計回りに、だいたい制作順ですね。
へえー、そうなの……? それにしては、ずいぶん跳ばしてたじゃない、最初から……。なんだか、こっちまで嬉しくなってくるよ。
いやあ、どうもありがとうございます。
あれ?! この作品 こんなに小さかったの? もっと大きいのかと思ってたけど……。
そうですか……。出版社さんに5枚 画像データ送って、よろしいのを使って下さい、ってお任せしたら、最終的にそれが選ばれたんです……。まあ、手持ちの額の中では最小サイズですから、記事にしたときの縮小率がいちばん低くて済むわけで……なるほど それがプロのご判断なのか、と……。
この絵柄で 「大地と天空」……だしね。とても解りやすい、っていうこともある……。全体的に言っても、去年と比べてタイトルが解りやすくなってるじゃない。
ええ、それは意識しました。あのときはちょっと凝りすぎてしまい、あまりにも難解すぎる と不評でしたから……。中には、よく勉強してる、なんて褒めてくれた年配者も居ましたけど……。
あのさあ、これを大画面で描いてみたら、どうなの? きっと凄い作品が出来上がると思うんだけど……。
ああ、それ 面白そうですね。同じ絵柄を別スケールで、ということは未だやったことがないので、なかなか そそられるご提案です。
俺は それ、ぜひ見てみたいな。今度やってみて下さいよ。
はい、いずれ 必ず……。
<初日 6:30PM>
後半の入りが凄かったわねえ。初めは まるで人が来なかったのに……。
そうでしたね……。一日を通して見れば、かなり幸先のいい滑り出しではありました……。では、今日はお先に失礼します。
お疲れ様でした。
明日もよろしくお願い致します。
<2日目 3:45PM>
ああ、こんにちは。遠いところを遙々ありがとうございます。あれっ、どうも……。ご一緒でしたか……?
地下鉄の出口で ばったり会ったんです。
よかったら荷物を置いて下さいね。
ああ、ありがとうございます。でも大丈夫よ。
1月の個展の時とは違って、だいぶ色味が出てきたわね。これも全部 ボールペン……?
ええ、そうです。本数は前より増えましたけど、白地系 ・黒地系 それぞれ同一シリーズの製品を……。
両方おなじ種類じゃ ダメなんですか?
ええ、ダメなんです。黒地の紙に……今回はカラーケントを使ってますが……例えば ああいうヴィヴィッドな赤を載せたとしても、完全に沈んでしまって 全ぜん絵にならないんですよ。黒地に描いて映えるのは、メタリック系かパステル系に限られてるんですね。ところが……これはインクそのものの違いなんでしょうけど、その手の色は いちばん細くても 0.7m/mまでしか売ってない……。多分、それ以上 ほそくすると、詰まっちゃうんだと思います。……で、本当はもっと細い線が引きたいんですけど、仕方なく市販の現物に甘んじています。
画材に関する悩みやストレスは誰にでもあるものね。探しに探してみたところで こっちの技術やニーズも徐々に変化していくから、結局 100パーセント満足できる物は決して手に入らない……。最後は 自分で拵えるしかない、ってことになってしまうのよ。
もしかして M さんは、ご自分で道具を作ったりするんですか?
ううん、まだ そこまで行ってないけど、いつかは鍛鉄を習いたいな、って……。父方の生業がもともと鍛冶屋だったらしくて、美術の中でも刃物を扱うジャンルを選んだの、やはり血筋かな、って……ううん、本当は選んだんじゃなくて、選ばされたのかもしれない、って最近 おもうわ。
あのう……亀谷さんも木彫をやるんですね……。私の場合、同じ版画でも M さんとは違って銅版ですから、かなり その課程が異なりますけど、逆に その違いを実感している立場からすれば、木版画に通ずる木彫と 銅版画のようなシャープな線で構成されるペン画を両方やられてるところが、とても面白いと思いました。
自分でも不思議なんですが、いざ木に向かってみても、細かい模様を彫りたいとは 全然おもわないんですよね。絵の時は、まるで強迫観念に駆られるかのように、手が猛スピードで動き出すんですけど……。まあ、刃物を持った状態で自動描画モードになるなんて、危険きわまりないことは確かでしょう……。
私の観た感じ、ペン画と木彫では 制作上、求めてるものが違うような気がするわ。シャープでドライな表現が可能なペン画……もちろん これもあなたの持ち味ですけれど、それに対して もっと生々しい表現というか……表出の意欲が、自然と形になっているように感じるの……。
鋭いですね。おっしゃるとおりだと思います……。木彫 だすのは2度目なんですが、前回にも増して強く自覚したことがあって、それは、女体に対する異様なまでの嗜好性……。しかも、私にとって理想的な女性像が完全に意識の中に記録されていて、彫ってると解るんですよ、これはまだ そうじゃない、って……。だから、これじゃあ 幼児体型だろう……ここの “贅肉” を落とさなけりゃ ライン崩れかけのオバサンだろう、っていうふうにして だんだん収斂させていくと、遂に、本当に納得する瞬間に到達する……。そういう まるで渇望するような感覚は、描画の際には全くないですね。……そう、確かにその感覚を欲してます、俺は……。焼け付くように激しい渇望感のあとに、心身を満たしてくれる充足感を……。
ほらね。
えっ? なんです?
今、オレ、って言ったでしょう。それがご自分に対する答えなのよ。
ああ、そうか……そうですね。……たぶん 性的欲求不満の転嫁……よくても せいぜい昇華なんでしょう、この衝動充足は。
さあ、どうかしら……? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない……。でも、仮にそうであったとして、いったい なんの悪いことがあって? あくまで私たちは、たぎるような血の流れる生き物なんですから……。
<3日目 11:45AM>
すみません、5分くらい経ったら お茶を2杯いただけますか。
えっ? 5分……ですか……?
ええ、今 ご覧になってるところなので……。
あっ……はい、わかりました。
毎度 どうもありがとうございます……第1回目から欠かさず来て戴いて……。もう 完全にお得意さま、ですね。
いやいや、ただ観にきているだけで……。買いもせずに 恐縮です。
いいえ、とんでもない。観て下さるだけでありがたいです。……最近 だんだん解ってきたんですが、たとえ絵があまり売れなくても、私の作品をまた観てみたい、という人たちが複数いらっしゃる限り、こういうことがずっと続けられると思うんです。まあ、潜在意識レヴェルのバックアップというか……。
バックアップ……。それは、いわゆる 元気をもらう、ということでしょうか?
いいえ、全然ちがいます。心理的な励ましなどというものを超えた 実際上の援助のことです。……いっけん偶然という形で、必要なときに必要な物事……それは金銭という形をとるかもしれないし、機会、あるいは出会いであるかもしれませんが、とにかく 私がそのとき真に必要としているものがタイミングよく与えられるだろう、ということです。
そう確信している、ということですね……?
いや、確信というよりも 経験から割り出した推測、と言ったほうが近いでしょう。例えば!……もう3年間、雇われ仕事をせずに 制作活動だけに専念していますが、それは、亡母の実家の土地が売れた金……つまり もう亡くなって久しい祖父母の遺産が入ったから続けられてきたことであって、さもなければ いまごろ既に飢え死にしてるはずなんです。ついでに言えば、最後に勤めていた福祉施設を辞めたとき、我が生涯で初めて……まず間違いなく 最初にして最後ということになるでしょうけれど……退職金がもらえたんですが、その金額が……なんと、この画廊の借り賃に等しかったんですよ。しかも、手続き上 おくれて振り込まれたその時期が、第1回個展の会期直前という完璧なタイミング……!
へえー、本当ですか……?
そういうわけで、まあ、あと2-3年はこのまま続けられるでしょうが、貯金が底を突く前に なんとか生計を立てられるところまで持っていかないと……今度は本当に飢え死にですね。人間たちのなかに入って彼らと一緒に働くなんていうこと、もう二度とやりたくないですから……。
背水の陣、というわけですか……。
ええ、そうです。……でも 逆に言えば、まだ金があるうちは……本当に追い詰められないうちは ものにならない、ということかもしれませんけどね。
あっ……ちょっと失礼します……。どうも、どうも、お久し振り……。お元気そうで……。
亀谷くんも……。
最後に会ってから……15年くらい?
そこまで いってないんじゃない。……12年半……かな。'96年の冬だったから……。
荷物はそこに置いてね。
ありがとう。……じゃ、まず観させてもらいます。
わたし、これがいちばん好き。
ああ、それ……けっこう 人気あるんだよね、シンプルなわりには……。それがいい、っていう人、もう3人目……。作り手の俺としては、一度は単純な “放射系” をやっておくか……みたいな軽い気持ちで描いただけなんだけど……。
なんだか引き込まれているような……そう、自分のほうが突き進んでいってるような心地よいスピード感……。それに……変な言い方だけど、懐かしい感じがする。たぶん 夢で見たことがあるんだと思う。こういう状況に近い 別次元へトリップする体験を、実際に……。
それって 通常の夢じゃなくて、《夢見》 じゃないの……?。
カスタネダがドン=ファンから
習った……?
そう。
さあ、憶えてはいないんですけど……。でも、この絵をずっと見つめていたら、いつか きっと思い出せるかな、って気がするの。……うーん、8万円かあ、“極貧”のわたしには ちょっと手が出ないなあ……残念だけど。
インターネット やるんだよね……て ことはパソコン持ってるんだ。……メールで画像を送るよ。デジカメで撮った写真を色調整 ・トリミングした、圧縮してないやつを……。
わぁお、ありがとう! 嬉しい。
おいおい、人前だぜ。
こちらは……以前 森林保護運動の現場に通い詰めてた頃、いっしょに重機の前に座り込んだりした、舞踏家の……で、いいんだよね、まだ……?
もう何年も人前では踊ってないけど……うん。ときどき独りで踊るから……。
……舞踏家の H さんです。
こんにちは。初めまして。
初めまして。
……で、こちらは、K さんです。……ええと、すみません、お仕事は何をなさっているんですか?。
あまり名は売れていませんけど、フリーの美術感想家でございます……。
あっ、そうだったんですか……。失礼いたしました。
……舞踏というと、万国で通用する あの BUTOU……ですか?
ええ。いわゆる暗黒舞踏ですね。土方さん* の直系ではありませんけど……。
あの踊りには 日本舞踊のような型がないんでしょう?
基本的にはありません。わたしの師匠 大野先生の口癖は、フリー スタイル、です。
じゃあ、音楽も かけないで……?
無音で踊る場合もありますが、曲を流すことも多いですよ。……あっ、そうだ、亀谷くん……これ わたしの愛聴盤なんだけど……どうぞ。
えっ、もらっちゃっていいの? どうもありがとう。……ANOUSHKA SHANKAR……。インドの人?
そう。シタール奏者……。?
シタール! なっつかしーい。西早稲田の薄暗い稽古場が、いっきなり フラッシュバックしてきたぜ。 あれはもう 25年……四半世紀も前のことだよね。
もしや、亀谷さんも舞踏 やってたんですか……?
ええ、少々……。彼女とは大学がいっしょで……ムサビだったんですが……森林保護のときも十数年ぶりの再会だったんです。
3年目にして初めて知りました……。
べつに隠してたわけじゃありませんけど、訊かれませんでしたので……。あっ、ちょうど このピアソラ作曲の 張り詰めるまでに もの悲しいナンバーで4枚目
が終わりますから、次に早速かけてみましょうか……。
かっこいいね、これ……。もろ エスニックじゃない、こういうの大好きだよ。かなりジャズっぽいし、打ち込みが音に広がりを出してるし……。
わたしも 生々しいエスニックってダメなの。まるで精製されてない食品みたいで、精神的消化不良を起こしそう。
言えてる、言えてる。なんか こう、食べ物にまだ 藁っくずが附着してる、みたいな……?
口に入れたら芒が喉に詰まる、みたいな……?
渡してくれたオバサンの手の脂で ベトベト、みたいな……?
あははははははは
……………………
あっ、すみません。二人だけで盛り上がってしまって……。
あれ、もう こんな時間……? わたし、行かなきゃ。5時からヨーガのレッスンなの。
場所は?
吉祥寺。
けっこう きついんじゃない……?
ごめんなさい……さようなら。 また メールします。
本当にどうもありがとう。“放射系” の画像 おくるから。
あっ、お願い!
では、わたくしも これで……。
あっ、そうですか……。どうもありがとうございました。
2009. 4. 30 続
* この対話編はフィクションです。筆者の記憶を元ネタとしてはおりますが、登場人物たちのキャラクターを含めた全ての設定は 執筆中に生じた妄想の赴くままに展開させたものです。ただし、作中 固有名詞で言及される実在の作家や作品に関しては、その限りではありません。