「雑な物づくり」に未来があるを読んで思ったこと。
なんか、我慢できないので他の保留記事をさしおいて早速投稿します。
この記事を書いた方ではなく、TeXが使えないと言っている出版業界にです。
「少なくとも電子原稿は、「手書き原稿の山」なんて状態に比べれば、出版社の人も圧倒的に楽できるだろうなんて思ってたんだけれど、
手間はそんなに変わらないらしい。」(前出より)
これは間違ってますよね。
使い方によっては、「圧倒的に楽」で合ってます。少なくとも「楽」です。
まったくもう。。。ちょっと間違いを正します。
このままだと、著者が書いたTeXは出版物では使えない、なんてことになる。
誤「原稿は、今のPDFからテキスト部分だけを抜き出して、それをDTPソフトで再編集」(前出より)
↓
正「いただいたTeXからスタイル情報を(例えば)InDesignのスタイルに置き換えて再現」
※とかね
ここでフォントの影響で文字の送りが変わるかもしれないので、一度著者に確認したり、合わせて、文字化けが残ってないか確認してもらう。まあ、ここでプロの編集者の方の朱入れが入るかもしれないです。
ここが自動でいけるようなら、修正はもとのTeXでしてもらうとかもできますよね。
誤「TeX の図版はそのままだと使えないので、これはイラストレーターで全部作り直したうえ」(前出より)
↓
正「一度、図版全部ください。保存形式、画質によっては作り直しになると思いますが、素材としては有効です。」
誤「ページの相互参照が200箇所ぐらい、索引が300箇所以上あるんだけれど、こういうのは全部「手」でやるんだという。」(前出より)
↓
正「定義されたものを上手く使えばそのままいけるかもしれないですね」
加えて言うなら、TeXで書いた数式とかも再現できますよ、DTPアプリによりますが。
データをみないと、最終的にどうなるか、どう言えるか分かりませんが、まずは解析してからです。基本的に、あっても変わらない、なんてことはないです。
通して読めば、「雑な物作り」で出来たものこそ、コンテンツとして高品質な素材であって、「プロの物作り」と言っている方は、今までの体裁に拘った「無駄な物作り」なんじゃないかしら。それによって、かえってコンテンツの質の低下に繋がらないか心配です。
なんなら、TeXの方がよっぽど高品質だったりするんじゃないの、とも思います。
※そうなると仕事が減るのであんまりいいたくないですが。
本物のプロの物作りは、一般の人が作ったものをちゃんと印刷できるように、その人が納得いくレベルで仕上げるところに付加価値があるわけであって、使える素があるなら、それを最大限に活用して、効率よく作ることなんじゃないの。間違ってますかねえ。
もし、100%いけたら、TeXを管理すれば、改訂のときもそのまま使えたりするとか、めっちゃ便利になりますよね。著者と出版社が協力して、そこを目指すべきだと思います。
※ちょっと古いけど、
こんな感じで。大好きな本(アジャイルプラクティス)がこうやって作られたのは嬉しいです。
だって、「たとえばそれを電子化したいなら、LaTeX ならhtml の出力も簡単だから、こういうのが、少しは役に立つだろうなんて考えてた。」(前出より)、これ合ってますもん。
もちろん、出版社の方のプロによる編集作業で、文章を整えたり、分かりやすい表記するとかプロデューサー的なことというのは、重要なことです。それこそ僕にはできません。でも、著者が作ったTeXをうまく使えば、自分たちも楽になるのに、ということが理解されていないのは非常に残念です。
出版不況だって言いながら、こういうポイントを外すのはどうかなと思います。
制作会社はもっと厳しい。せめて無駄なことはさせないで欲しい。無駄なことをしないで済むなら、いくらでも協力しますよ。テストとか。
TeXに限らず、今は一般の人でも、プロが使うDTPアプリもしくは同等アプリを使って原稿を書くことができる。そういう時代なんですから、コンテンツの価値を高めるために、書く、編集する、制作する、印刷するというそれぞれのパートではあるけれど、どこに向かうのか、何を目指すのかを、一緒に考えないと、いつまでもこの不況からは脱出できないと思います。